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第8話一十木洋平

「それで、一ノ瀬君。貴方は今、内定を貰っている会社の裏事情を知りました。そして、私はまだ、貴方に送った内定直結の面接招待の返事を直接聞いていません。それに、社員からの報告もありません。なので、鞍替えをするなら、今ですよ」 (あまり深考させると、決断が鈍ります。ここは時間を与えず……)  足の組み直しを堪えて、事を急く。 「……」  だが、まだ悩んでいる一ノ瀬。 (吠えるだけなら猿轡でもさせていれば良いのですが……加持君、でしたか。彼は少しばかり頭がキレると見ました)  組み直したい衝動を抑えられず、貧乏ゆすりが始まる。一ノ瀬の視界に入ってくるであろう一十木の指は、卓上を上下しリズムを刻む。モデラートからアレグレット、そして、あっという間にアレグロまでテンポを上げている。  「すごく早く」という意味のプレストまでそう時間はかからない。 「……すみません、今日は一旦保留にして、良いですか。それで、時間切れになっても仕方のない事ですし、今回は縁がなかったと思うことにします」  一十木の貧乏ゆすりがぴたりと止む。 (縁がなかった? そんなことはありません。作為的に接点を作る前から、貴方は私の前に、寝巻き同然の姿で現れたではありませんか。縁があるから、私は外野二人の常識を欠いた言動にも目を瞑ってきたんです。——破談になんかさせてたまるものですか) 「……それは構いませんが、上司と切磋琢磨して会社の内部改革でもしない限りは、本当の意味で貴方の感じたいやりがいは……」 「……そうですね、それも含めて考えさせてください」 (それも、ですか) 「……分かりました。タイムリミットは社長面接が来週にあります。その日までに、私に連絡をしてください。良いですか、会社にではなく、私に、ください。あ、相談でもなんでも気軽に連絡してくれても良いですからね」  一十木は一週間もの猶予を与えて、一ノ瀬を送った。  再び一人になった車内で、ようやく大きく舌打ちを打つ。 「鈴木という男の方が厄介かと思ってましたが、名乗りもしないあの小さい男の方が、厄介で狡猾でしたねぇ……小賢しい。このまま大人しく返事を待っていても、決して良い方向には向かわないでしょう……まきびしを撒いた後、私も同じところを通っていては意味がないのをすっかり忘れていました」  窓から外を眺めてみるが、雑踏とした人を避ける一十木の車。立場的には歩行者が断然上なのだ。   (まるで、就活生優位の就職活動——)  乾いた笑いが出てしまう。腕組みを解かずに思案する。  一就活生にここまで肩入れをしているのは、執着心だけではないことを今日、思い知らされた。   「ふぅ……」  翌日、正午に連絡が入る。一瞬の期待を打ち消して、応答する。 「今日はどうなさいましたか? 相談ですか」 『はい、昨日は二人がいて詳しくは聞くことができなかったので。俺、ちゃんと確かめたいんです』 「その言葉を待っていました。明日、お時間はありますか?」 『明日は全休でいつでも行けます!』 「分かりました。では、少し異例ではありますし、よくありませんが……うちに来ませんか?」  「と言っても、そんな大きな家ではないし、賃貸なのですが」と付け加えた。

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