9 / 16

第9話一ノ瀬音也

 一十木社長にお呼ばれして着いたマンションは、どこにでもある中級賃貸マンションであった。親しみやすさを感じるのはきっと、同じ瀬活レベルであると分かっただけではない。    部屋へ促されるが「社長」の部屋ということもあり、ドギマギしながらソファに腰掛けず、その下に正座する。  キッチンへ飲み物を取りに行った一十木がそれに気づいて、「あ、寛いでください。家でまで仕事モード100%は私もキツイですから」とフォローまで完璧だ。   「……あ、一ノ瀬君」  キッチンから手ぶらの一十木が出てくる。 「すみません……そういえば、うちに水すらなかったんでした……」 「気にしないでください! 俺、大丈夫ですから」 「それに、正午に集まらせておいて、ランチの話すらしてませんでしたね……お昼、食べられました? 私、まだで」 「あ、そういえば、食べてない、かも」 「良かった! では、出前でも頼みますか!!」  自宅だからだろうか。一十木社長の言動が外出時よりもやや表情に豊さを感じる。だが、敬語が常時外れないのは、もはや彼のアイデンティティなのかもしれない。  スマホで出前を取ってくれているらしい一十木の口から「うなぎ」というお高級な代物の名前を耳にし、一ノ瀬は青ざめた。    ランチからそんな高価なご飯を頂いては、夕飯が入らなくなる。 「社長っ」  スマホを持つ手首を捕まえて、一言断りを入れてから通話を交代する。「すみません、やっぱり良いです!! また今度お願いします」と一方的に切った。 「どうされたんです?」  不思議そうに首を傾げている。一十木社長の方が年上で背丈も圧倒的に自身より男らしい出で立ちであるのに、その姿が可愛らしく見えてしまった。  首を左右180度に回転させて、フィルターがかかっているなら外そうと試みた。 「っと、お、お昼にうなぎ……より、俺が作るんで、冷蔵庫……は水がないなら、何もなさそ——あ」 (失礼だったか) 「もしかして作ってくれるんです?!」  一ノ瀬は「え」と発音できずにあんぐりと開けるだけ。一十木社長は見たことない無垢な瞳で「是非是非!! でも、買い出しからになってしまいますが、一緒にどうですか!!」と嬉々としている。  多忙の上に手作りの飯にどれだけの間有り付けなかったのだろう。そう思うと、男なのに母性本能を擽られたかのように、捲る袖のない服を捲ってやる気を見せた。  一緒に再度外出することになった。今度は、運転手のついていない普通の自家用車だ。   「すみません、見せかけの社長やってて。まだまだ私一人豪遊するほど会社にお金の余裕はありませんから、皆さんと同じ生活レベルで生活してるんです」 「いえいえ。見栄も社長には必要なことなんですよね?」 「……否定はできません。他社へ赴く際には、やはりどうしても虚勢を張っていないと、会社全体のイメージにも繋がりますし。とくに、まだまだこれからの私たちのような会社は」 「……死に物狂いで開発から利益まで繋げているんですね」 「勿論、自社を堂々と自慢できるくらいには、クリーンな会社を心がけていますので……」 「……」  一十木社長が初めて苦渋を舐めさせられていることを痛感した。逆を言い返せば、真似したくなるような凄腕の社長と言える。  だが、一十木社長は人前ではポーカーフェイスを貫いていた。もっともいえば、失礼を働いた一ノ瀬の友人までフォローする器量の持ち主だ。  彼のストレスは計り知れないだろう。  助手席に案内されて、新車同然の車内に乗り込み近くのスーパーに行った。 (……ん? これ、よくよく関係性を考えると、俺は内定もらった会社の時期社員で、そこのライバル社の社長と、一緒にスーパーで買い物をしているこの図は一体なんなんだ?!)  一十木がカートをひき、一ノ瀬が食材を見て回る。端から見れば友人かもしれないが、これが一社長と一学生であるから一ノ瀬の頭上の疑問符は絶え間なく浮上している。

ともだちにシェアしよう!