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第13話
一件の古びた大衆居酒屋の暖簾を上げて中へ入る。タバコのヤニが壁に染み付いた年季のある店内のカウンターに一人、厨房側にいる中年のぽってり腹がチャームポイントと示唆する白シャツの親父と談笑している。
「お、黒田さん、ツレが来ましたぜ!!」
店主が一十木に気づいて声を大にする。
「大将、お久しぶりですね。ここに黒田君がいるってタクシーの運転手から聞いたものですから」
「……お前、ストーカーかよ」
「ささ、隣に座るでしょう。一十木さんも座って座って」店主は着席を促して、早速ドリンクの注文を聞いた。
一十木も店主の促されるまま、黒田の隣に腰をおろす。「私も黒田君と同じものを」。
「人聞き悪いですね。元から聞きたいことがあったので、運転手に聞いてみたらドンピシャで居場所が割れただけです。それに……」
「あ、なんだよ」
「私はまだ、そんな暴挙に出る程、焦っているわけではありませんから」
「紆余曲折って言ってくれよ。まぁ、ヒロキさんに助けられたのは言うまでもないけど」
「その話はいつ聞いても、恋人ですっけ? ヒロキさんという方の気が知れないです」
「俺も、自分の価値観を押し付けといてなんだけど、いつも拒否られてるし普通というのを理解してるつもりだったから、面食らったのは今でも覚えてる」
「ですよねぇ。まさに監禁ですからね」
「それも昔の話だ。で、話があって来たんだろ、ストーカー」悪態をついて焼酎で喉を濡らしていく黒田。彼も新進気鋭のベンチャー企業の社長であり、一十木と似たような粘質の持ち主だ。
「そうでした。監禁するような人に話すと、私の知り合いも連れ去られそうで怖いのですが、黒田君の会社ではなく、自身の一族が展開している黒田グループの傘下に入っている会社全て教えてくれませんか?」
「……なんだ、俺、あそこから一抜けしてて関わりたくないんだけど」
怪訝そうにグラスを傾けて氷を回し遊ぶ。
「承知で窺っています」
「……副社長の廣田に押し付けとくから、あとで書簡で送るわ」
「助かります」
「俺は若い時に暴走して、お前みたいに芽を摘み取る作業は怠ったから、散々ヒロキさんを振り回しけど、お前はもう若さだけで動ける歳じゃねぇし——失敗も命取りだ。気を付けろよ」
「わかっています。私は、物理的な強硬手段を取らずに済むよう善処します」
「なんなら、その廣田副社長に加持健斗という人物が関連すること全てを調査していただきたいことを伝えてください」と一十木は平然と言ってのけた。
「図々しいな! お前!!」
次々とアテが並べられているが、おしゃべり好きの店主は何も言わない。昼からの客などこの二人以外いないので、話の内容は丸聞こえのはずである。
昼から飲んだくれていられる黒田の背景には、副社長である廣田が尽力しているからに他ならないのが克明に映し出される。
小一時間、犯罪臭を漂わせながらの飲みが終わる。黒田は恋人が仕事が九州に行くので、一人で行かせるか究極に迷っているのだという。それで業務にきたしそうだから、早退して居酒屋の大将と談笑をこいていたらしい。
タクシーに乗って、会社へ戻る。
(はぁ、くだらない話に付き合わされました。……あの人、私が来る前から飲んでいたんでした。書簡で送ることを忘れていたら、監禁罪で豚箱にぶち込んでやります)
帰社する頃には既に薄暮時で、まだまだ新しいビルディングのガラスが夕日を反射して、物悲しさを演出している。
ぞろぞろと帰路に着く社員たちの流れに逆らう形でエントランスホールを通過する。
新入社員は研修期間中は必ず何があっても残業はない。空になりつつある職場に、目新しいスーツを着た、華奢で赤みが残る髪の後ろ姿を見つけた。
一十木は無自覚に足取り軽くなって声をかけていた。
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