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第15話
「はぁぁぁ。そうですよね、そういうことにしかなり得ないんですもんね。私の選択の分岐を間違えてしまったようですね」
憂いている様子は変わらず、一ノ瀬にむけている言葉なのかわからない意味深な落胆をして見せる。
「それは、俺を此処に引っ張ってきたのは間違いだった、とそう仰りたいのですか」
凛とした眼差しを社長に向けた。攻撃性ほどはないが、明らかな遺憾の意を示している。
その返事に社長の肩は揺れる。それも一回ではない。くつくつと長時間煮込み続け、それを早くお披露目したいのか、揺れる肩がいやにクツクツとしている。
そして、一十木社長は顔を上げて、先刻の物憂げな表情を雲散霧消に——「入社式からミーティングするまでは正解だと思っていました。何の圧力からも守ることができることにおいては、間違いではないのでしょうが」荷物を取りに行こうとして、一十木社長のもとを離れた一ノ瀬にツカツカと再度距離をつめてくる。
鬼気迫る展開であるなら、一ノ瀬は多少の恐怖を露わにするかもしれなかった。
だが、一ノ瀬は出会い頭に一十木社長に意見した男だ。仲間が粗相をして頭を下げることはあっても、言われのない不愉快なことつらつらと述べられると、酔っていてもむ、としてしまった。
ほぼゼロ距離に近づいた社長は、尚も頬を紅くして「でも、上下関係のある私たちに、この距離感はおかしいですし、そういう意味でも親しくなりたかった野望は叶えられないのです」と鼻頭を合わせ、裸一貫のような面持ちにさせられる。目の奥を射抜くとはよく言ったものだ。
「ちょっとこちらへ」社長はゼロ距離をいったんやめて、オフィス奥の少人数のミーティングルーム室に一ノ瀬を追いやって、再び眼光を鋭くさせて今度は、一ノ瀬の顎を強引に鷲掴みにした。
流石の一ノ瀬も目をパチクリさせるしか余裕はない。
「うちに来てくれて、やる気満々の貴方を見るのを楽しみに、今日まで一緒にご飯させていただきましたが、いざ当日になって見ると、感慨深いというのでしょうか、寂しい気持ちが大きくなってしまって」
「——いや、オカンか!」
そこから沈思黙考するだけの間が訪れる。密室の二人きりでそれは耐え難い。
しかし、それをようやく破ってくれたのは一十木社長であった。
「いえ、オカンではありません。貴方の恋人になりたかったから、ミーティング中のやる気に満ちた一ノ瀬君を見て、改めて、此処へ引き込んだことによるデメリットを感じてしまいました」
続けて、一十木社長はいう。「初めは良い人材として、欲しいと思った、だけだったのですが……」。
頭髪をくしゃくしゃにかき乱して、社長は背広のジャケットを脱いでいく。
「こういう親展がなかなか運びづらくて、私は堪んない気持ちになるんですよ。現に貴方の顎を掴んで、主導権をこちらが握っているはずなのに、まるで効いていないみたいです」
(こ、これが、壁ドン顎クイというやつか……!!)
少女漫画や女性に人気の漫画・雑誌でよく見かけるアレだ。アレが様になるハイスペック三次元の社長が目の前に、頬を染めて(酒の所為で)一ノ瀬に言い寄っている図である。
「どれだけ恋愛経験が浅かったのか経緯すら知りたくもありませんが、少なくとも、身近なあのひっつき虫はただのひっつき虫で終わってしまったようですが」
「ツレ、ですか」
「ええ、彼、執着心の強さを隠す素振りも見せないものですから」
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