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第3話

「ディーン!どうした!? 大丈夫か!?」 「ホレイショ!」 車椅子に座るディーンに向かって右膝を立てて左膝を折って跪くホレイショ。 その左手はディーンの右手を乗せている。 ジョンは死んだ目で、こんな時に王子様か…!?とハートが散りばめられたディーンとホレイショの姿を見てしまう。 「良かった~直ぐに来てくれて!」 ディーンが上目遣いでホレイショを見る。 ホレイショはフッと笑うと「当たり前だ」と答えるが、ホレイショはサングラスを掛けているので、ジョンにはその表情は良く分からない。 だがきっと目だってハートだよ…と思うジョンはため息も出ない。 そしてすっとホレイショが立ち上がる。 「ディーン、俺が支える。 歩けそうか?」 「うん! ほら、ドクター!早く行こうぜ」 ジョンが一歩踏み出し、振り返る。 シャーロックはもう薄らとしか残っていない足元の床の染みを見て固まったままだ。 「シャーロック、ディーンの忘れ物を取りにホテルまで付き添って行くから。 夕食は先に済ませてて」 シャーロックから返事は無い。 硝子玉のような淡い青い瞳を見開いているだけだ。 ギシッと車椅子が軋む音がしてジョンはハッとすると、ディーンとホレイショの後に続いた。 221Bの前の通りにハマーが停まっていて、ジョンはポカンとハマーに見蕩れた。 「どうかしましたか?」 トランクを開けて素早く畳まれた車椅子を仕舞うホレイショ。 「もしかして…この車は…」 ジョンの呟きにホレイショが微笑む。 「マイクロフト・ホームズさんがご好意で用意して下さったんです。 私がマイアミでハマーをCSIの専用車として使用しているからでしょう。 ここの駐車スペースも臨時に使えるようにして下さいました。 帰国するまで、ね」 「……はあ…」 確かにハマーのトランクの下には『政府専用車』と英国警察のマーク付きのシールがコーティングされて貼られている。 ジョンはディーンの捻挫が治り次第二人はホテルに移るのに、なぜ帰国するまでなんだろう…と頭にぼんやり浮かんだが、深くは考え無かった。 今は兎に角、落ち着きたい。 ジョンは診療鞄を胸に抱き、ふらふらとハマーの後部座席に乗った。 シャーロックがレモネード入りのグラスを割ったその時、ジョンはシャーロックは『精神の宮殿』に入っているフリをして、皆の話を全部聞いていたんだと悟った。 だが直ぐにディーンに「今だ!」と囁かれ、我に返った。 ハドソン夫人は既に割れたグラスの掃除を始めている。 「……なに?」 「ドクター、俺がホレイショを呼ぶから、一緒にホテルに行こう!」 「……どうして?」 「それはホテルで話す! 今がチャンスなんだよ! ドクターは俺がホテルに忘れ物を取りに行く付き添いで着いてくる! いいな?」 ディーンはそれだけ言うと有無を言わさず車椅子を自分で動かしてリビングから出て行った。 ジョンは付き添いなら医療鞄がいるな、とふと思って自分が可笑しくなった。 こんな時にまで医療鞄の心配をしているなんて…。 こんな時? どんな時? 修羅場? いや、違うな… 「ドクター!」 ディーンの呼ぶ声がドア付近から聞こえる。 「直ぐにホレイショが迎えに来てくれるから! 付き添いよろしく!」 ディーンはニコニコと笑っている。 ディーンの横にはハドソン夫人が立っていて「良かったわね~ディーン」と、これまたニコニコ笑っている。 「…えーと…あー…はい…」 ジョンが片手をテーブルに着き、ゆっくりと立ち上がる。 なんでそんなふうに笑えるんだろう? ジョンがシャーロックを見る。 シャーロックは足元の、殆ど残っていないハドソン夫人が掃除した跡を見つめて固まっている。 シャーロックが一瞬でも自分を見てくれたら、ディーンと一緒に行かないのに。 だがジョンの願いは果たされず、ハマーに乗ることになったのだった。 マイクロフトがホレイショとディーンの為に用意したホテルのデラックススイートは素晴らしい部屋だった。 しかし今のジョンにとっては、どうでも良いことだ。 ホレイショはディーンの乗る車椅子を押しながら部屋に入ると直ぐに、「ドクター、お好きなところにお座り下さい」と言ってくれたので、ジョンは一人用のゆったりとした椅子に腰掛けた。 柔らかな革張りの椅子はふかふかで、ジョンをやさしく包む。 ジョンの前に音も無く、赤ワインの注がれたワイングラスが置かれる。 「どうぞ」 微笑むホレイショはもうサングラスをしておらず、青い瞳をやさしく細めている。 ホレイショはジョンがグラスに口を付けると、ディーンを抱き上げ車椅子からソファに移してやる。 ディーンが「サンキュ!」と言って、甘えたようにホレイショの唇にチュッとキスをする。 ホレイショは「仕方ないな…。ディーン、ドクターの前だぞ」と言葉では諌めているようだが、その口調は蕩ける様に甘い。 ディーンはホレイショが怒るとは露ほども思っていないだろうと、ジョンは思う。 実際その通りで、その証拠にホレイショはもう次の行動に移り、ディーンの為にソーダ水の入ったグラスをディーンの前のテーブルの上に置いてやっている。 ディーンは「ドクターはキスくらいどうってこと無いぜ!モテるから!」となぜか断言して、ジョンにウィンクして来る。 ジョンが深いため息をつく。 ホレイショが自分のソーダ水をテーブルに置いて、ディーンの隣りに座る。 「それでディーン、急用って言うのは何だ?」 「それがさあ」 俺、ドクターにお礼がしたくて…と、ディーンがなぜか楽しげに午後にあった出来事を話し出す。 なぜか。 楽しげに。 ディーンの話が終わると、ホレイショは低い声で「そうか」とだけ言った。 ジョンはそれだけ!?と拍子抜けしてしまった。 ディーンに至っては「俺、シャーロック・ホームズさんに初めて会った時から、この人童貞だなって分かったんだ!」と得意気だ。 ホレイショが愛おしげに微笑む。 そしてディーンの髪をクシャッと撫でた。 「それでお礼にドクターの力になってやりたくなったんだな。 君はやさしいな、ディーン」 やさしい、だとぉ!? その心の叫びはごっくんと飲み込めたジョンだったが、思わず立ち上がり「違うだろ!?」と言ってしまった。 そうなるとジョンとしては止まらない。 「ディーン! 君はパーソナルで大切な事を皆の前で言ってしまったんだよ!? 僕にお礼がしたいからって、シャーロックが…どどど童貞なんて、シャーロックの前で言わなくても良かったじゃないか! 僕にこっそり言えば良かっただろ? それにどうしてみんな平気なんだ!? なんでニコニコ笑ってるんだ!? 僕はどうしてここにいるんだ!? ああ、もう!」 頭を掻きむしるジョンにディーンがあっけらかんと答える。 「ドクター、どした? だって皆の前って言っても…ハドソン夫人がいただけだし、ハドソン夫人にも意見が聞きたかったしさ~。 それにシャーロック・ホームズさんってプライド超高そうじゃん? ああいう人にはショック療法が効くんだよ! それにドクターが、シャーロック・ホームズさんが童貞だからセックスが上手くいかないって腫れ物みたいに触れないことで、シャーロック・ホームズさんだって頑なになってるなって分かったし。 それに『精神の宮殿』だっけ? そんな考えに篭ってるフリをして、俺達の話をぜーんぶ聞いてるのも分かってたし。 それでグラスを落としただろ? つまりショックを与えられたんだから、今度は冷やす番なんだよ! 誰もいないところで、さ。 そしたら嫌でも童貞だからセックスに失敗したって考える! ドクターがいたら、ドクターに当たって、また童貞問題から目を逸らして、当たり散らすか無視をしてドクターの気を引くだけに決まってる。 童貞問題解決は前進しないぜ? あの年で童貞って複雑で厄介なんだよな~」 ホレイショも微笑みを浮かべてディーンを見つめながら、ウンウンと頷いている。 ジョンは顔を真っ赤にして「君は何回童貞って言うんだ!?」と言い返す。 「五回です、ドクター」 となぜかホレイショが答え、「ディーンの考えは正しいんじゃないでしょうか」と付け加える。 「……ケイン警部補!? あなたまで!?」 ホレイショがフッと笑う。 無駄に男前な笑みだな…とジョンは思う。 「ディーンの言うドクターとシャーロック・ホームズさんの悩みの解決に、ディーンの行動は確実に働きかけたと思います。 私は犯人のプロファイリングもやりますが、ディーンのシャーロック・ホームズさんに対するプロファイルは正しい。 今頃、シャーロック・ホームズさんはご自身の問題に直面しているでしょう」 「だ・か・ら!」 ジョンが真っ赤な顔のまま今度はホレイショに言い返す。 「正しい、正しく無いの問題じゃ無いんです! きっとシャーロックは傷ついた! 僕はそれが心配なんです!」 ホレイショが即座に「傷つかない愛なんて無い」と答える。 「セックスが上手くいかなくて傷ついたのはシャーロック・ホームズさんだけじゃない。 ドクター、あなたもだ。 でしょう?」 ジョンが目を見開く。 「私の推測ですが、失敗から目を背けてドクターとの間に壁を作ったシャーロック・ホームズさんにドクターは傷ついた。 違いますか?」 ジョンが目を見開いたまま、小さく頷く。 そうだ… あの夜、初めてシャーロックは僕の身体に侵入しようとして出来なくて…結局萎えてしまった… そして僕の気持ちはお構い無しに、自分の殻に閉じこもってしまった… シャーロックが傷ついたのは痛い程分かる でも僕だって殻に閉じこもったきり、殻を破ることをしないシャーロックに…殻を破る手伝いすらさせてくれないシャーロックに…傷ついていたんだ… ジョンの瞳に涙か浮かぶ。 ジョンは慌てて手の甲でゴシゴシと目元を擦った。 「す、すみません…。 いい歳して泣いたりして…」 ディーンがニコッと笑う。 「なんで? ドクターは純粋ってことだろ? 俺、益々協力したくなってきた!」 ホレイショがジョンのワイングラスに赤ワインを注ぐ。 「ディーン、ドクターがノーと言うなら止めるんだぞ。 さあ、ドクター。 落ち着いたら帰りましょう」 ジョンが「…はい、ありがとうございます…」と言って、ストンと椅子に座るとワイングラスを手に取る。 ジョンが照れ臭そうに笑ってワインを飲むと、ディーンが「洗面所に行ってくる」と言った。 ホレイショがサッと立ち上がり、ディーンを車椅子に乗せる。 車椅子を押そうとするホレイショに、ディーンは「一人で大丈夫!」と言うと、自分で車椅子を動かし洗面所に向かう。 ディーンが洗面所の扉の向こうに消えると、ホレイショが「ドクター、ディーンが無茶ばかりしてすみません」と苦笑した。 だがその苦笑には愛情が溢れている。 ジョンも笑って「気にしていませんよ。ディーンは良い子ですね」と返す。 ホレイショがまた苦笑する。 「…良い子です…とても。 …だから心配になる。 大切な恋人です」 ジョンはサングラスを手元で弄りながら話すホレイショを見て、ディーンに見られながらバイオリンを弾いて照れて喜んでいたシャーロックを思い出していた。 そんな甘~い雰囲気のリビングから扉を隔てた洗面所では、ディーンがスマホでメッセージを打っていた。 たった三文字。 『GO!』と。 そして同じホテルのペントハウスでは…。 「ロウィーナ! ディーンからゴーサインきたよ~!」 と、チャーリーの声が響いていた。 ロウィーナがポンとシャンパンの栓を飛ばす。 「やっとね! うずうずするわ~! チャーリー、用意は良い?」 「勿論!」 「じゃあ送信して」 「よっしゃー!」 チャーリーが人差し指で跳ねるようにエンターキーを押した。

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