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第11話
「…ディーン…離せ」
「何でだよ?
キスくらいしてもいいだろ?」
「今朝の一件を忘れたか?
今夜の君は本当に美しい。
俺はキスだけでは終われない。
折角のタキシードが皺になる」
「じゃあパーティーなんかすっぽかせばいいじゃん!」
拗ねた態度丸出しで自分の上着のボタンに手を掛けるディーンの手を、ホレイショがぐっと掴む。
そしてディーンを真正面から見た。
「ディーン、止めるんだ。
パーティーには出なくてはならない。
これも俺の仕事の一部だ。
だが仕事が終われば俺は自由だ。
俺は君のものだ。
分かるか?」
ディーンが上目遣いでホレイショを見る。
「ホレイショが…俺のもの?」
「そうだ。
俺は君には逆らえない。
本当はいつだって。
今だって君以上に君が欲しい」
「…うん」
ディーンが照れ臭そうに頷く。
「ありがとう、ディーン。
水曜日の午後四時になれば仕事は終わる。
そうしたら観光でも何でもディーンの好きなことをしよう」
「じゃあ…今夜も?」
「勿論だ。
王子様の仰せの通りに」
そしてホレイショがまたディーンの手の甲にキスをした。
窓辺に立つシャーロックに、ジョンが「やあ!」と声を掛ける。
シャーロックは振り返ると、「君もタキシードが似合ったんだな」と言った。
ジョンがこめかみをピクピクさせながら、「そりゃどうも。君も似合ってるよ」と嫌味ったらしく言うが、シャーロックには柳に風だ。
だがそんなジョンも、シャーロックが無造作に手にしているバイオリンに目が釘付けになる。
「もしかして本物のストラディバリウス!?」
「そうだ。
僕が弾くと言っただろう」
「…うわー…。
ストラディバリウスをこんな近くで初めて見たよ!
素晴らしいなあ!」
シャーロックがフッと息を吐く。
「たかが音の出る死んだ木だ」
「…本当は弾けて嬉しいくせに」
「なに!?」
「いや本当に素晴らしい楽器だなあって」
「素晴らしい素晴らしいって君の語彙力の乏しさには困ったものだな。
こんな物よりそこのバルコニーを見ろ」
「へ?」
シャーロックが顎を向けたすぐ先には、三人立つのがやっと程の小さなバルコニーにあった。
今は赤のロープで入口を塞がれ、警備員がバルコニーの外の左右に立っている。
「へえ!
古びたデザインの素敵なバルコニーじゃないか!
それであのバルコニーが何だ?」
「実際、この歴史的建造物同様古びている。
僕の演奏中に、あのバルコニーにディーン・ウィンチェスターとホレイショ・ケインを招待してやろうと思いついたんだ。
あそこならあのバカップルにお似合いだし、演奏も綺麗に響く。
因みに僕が確認したから危険物は何も無い。
そして危険物が無いと確認してからは、あの二人以外は立入禁止にして警備員も配置してある。
僕の演奏はホレイショ・ケインの挨拶が終わって乾杯してから始まる。
君はその前に、僕の控え室にある白百合のブーケをディーン・ウィンチェスターに渡して、二人をバルコニーに案内してやって欲しい。
頼んだぞ」
ポカンとシャーロックを見上げるジョンを、しかめっ面で見返すシャーロック。
「何だ、その顔は?」
ジョンがぱあっと笑顔になり、頬を紅潮させてテンション高く喋り出す。
「……感動してるんだよ…!
他人なんてどうでもいい、虫けらみたいにしか考えない君が…!
ディーンとケイン警部補の為にそこまで考えて行動したことに!」
「…ジョン…」
「ああ!嬉しいよ!
君の演奏の前までにブーケを渡して案内するんだな?
やるよ!
それで何を弾くんだ?」
「…ベートーヴェンの『ロマンス第二番』だ…」
「ほらー!」
今にも踊り出しそうなジョンに、しかめっ面がどんどん酷くなるシャーロック。
「孤高のソリストの君がベートーヴェンのロマンス第二番!
ピアノとの掛け合いがある曲を選んだ!
成長したなあ…君!」
ウルウルしているジョンの耳元でシャーロックがしかめっ面のまま囁く。
「赤いレースのTバックのお礼だ」
ディーンがホレイショにエスコートされ、二人がパーティー会場に入って来ると、あちらこちらで人々が感嘆の声を漏らしている。
チャーリーもその一人だ。
「何か…今日のディーンは…ファンタジーの中の王子様…ううん…男装したお姫様みたい…」
「チャーリー、見蕩れてないでキャスを探しなさい!」
顔は微笑んでいるが、低く叱り飛ばすロウィーナにチャーリーが肩を竦める。
「ハイハイ。
でもロウィーナだって見えるでしょ?
ほんの小さな埃みたいな恩寵の輝きは無数に見えるけど、キャス程の輝きは全然見えない。
あのまっずい薬酒、本当に効くの?」
「効かなきゃ埃程度も見えないでしょうが!」
「そうだね…。
だもさあ、やっぱりロウィーナがディーンとホレイショにかけたまじないのせいで、キャス本人は来れないんじゃない?
クラウリーも無理だって言ってたし」
「クラウリーなんかよりも天才魔女の勘を信じなさい!」
「は~い。
おっと…パーティー始まるよ!」
そうしてパーティーは順調に進んだ。
英国警察アカデミー総裁の挨拶から始まり、第一支援者の貴族のスピーチ、そしてホレイショの挨拶へと。
ジョンは貴族のスピーチの間にシャーロックの控え室に行き、白百合のブーケを持つとそのままディーンの所に行き、シャーロックからの伝言を告げた。
退屈そうだったディーンは途端に楽しそうな様子になり、「ありがとう、ドクター!シャーロック・ホームズさんにもありがとうって伝えて」と嬉しそうに言った。
それからジョンはシャーロックの演奏が良く見える場所に移動した。
ディーンはホレイショの挨拶を見つめていた。
ホレイショの挨拶が万雷の拍手と共に終わり、ホレイショがディーンの元へ一直線にやって来る。
ディーンはホレイショにジョンから聞いた話をした。
ホレイショはディーンの肩を抱き、「ではバルコニーに行こう」と言ってウェイターからシャンパンフルートを二つ受け取り歩き出す。
そしてディーンとホレイショがバルコニーに着き、警備員がロープを外し二人がバルコニーに立つとまたロープを張って警備に着く。
シャーロックが弾く『ロマンス第二番』が聴こえてくる。
ディーンがシャンパン片手にバルコニーの手摺へと向かった時、ディーンが何も無い所で躓いた。
ホレイショが直ぐに左腕でディーンを後ろから支える。
その時。
ホレイショが突然、ディーンに覆いかぶさった。
石畳の上に叩き付けられる金属音。
グラスの割れる音。
ディーンから離れてゆくホレイショの身体。
振り向くディーン。
そこには血を流し仰向けに倒れているホレイショが居た。
ホレイショの首にはナイフが刺さっていた。
人々の悲鳴。
医者や救急車を呼ぶ怒鳴り声。
噎せ返るような白百合の香り。
そんな中で、ホレイショが「ディーン」と呼ぶ小さな小さな声だけが、ディーンを動かす。
ディーンはホレイショの顔を両手でそっと包む。
「俺はここにいるよ…ホレイショ…」
「…ああ、君だ。
怪我は?」
ディーンがニコッと笑う。
涙を溢れさせながら。
「全然!
何ともねーよ!
ホレイショ…直ぐに医者が来るから!」
「そうだな。
なあ、ディーン…」
「なに?」
「君は俺に夢を見せてくれた。
君は夢の中の人のようで…。
君に愛される夢は…素敵だった…」
ディーンがブンブンと左右に首を振る。
「夢じゃねーよ!
何でそんなこと言うんだよ!?
そんなたわ言、今夜いくらでも聞いてやるから!
今は…今は…」
ディーンの大粒の涙がポタポタとホレイショの頬を濡らす。
「…泣くな、ディーン…」
「泣いてねぇ!」
ホレイショの震える手がディーンの頬に触れる。
「俺は幸せだ…幸せだよ…ディーン…。
俺は警官だから…普通に死ねるなんて思いもしていなかった…。
だけど…愛する人の腕の中で死ねるなんて…」
「…ホレイショの、ば、馬鹿…!
ホレイショは俺のものなんだろ!?
だったら俺が死ぬなんて許さない!
ホレイショは絶対に死なない…っ…!」
ホレイショがフッと笑う。
儚い笑みだった。
「…そうだ…。
美しい俺の愛する人…ディーン…君のものだ…俺は…。
だから…君が幸せなら俺も…どうか君は幸せに…」
ゴブッとホレイショの口から血が溢れる。
ホレイショの手がふわりとバルコニーの床に落ちる。
ホレイショがゆっくりと瞳を閉じる。
「…ホレイショ…?」
ホレイショの顔を包むディーンの小刻みに震える手を濡らす、血。
「嘘だ!」
ディーンが叫ぶ。
「嘘だ!嘘だ!嘘だ!
ホレイショは約束した!
水曜日になれば…何でも俺の好きなことをしようって…!
ホレイショ!
目を覚ませよ!」
「ディーン!
ケイン警部補から離れるんだ!」
ジョンの怒鳴り声にディーンの身体がビクッと大きく震える。
「…ドクター…」
「ケイン警部補を病院に運ぶ。
君は離れて」
「ホレイショは死んでない!」
「だから病院に連れて行くんだ!
離れなさい!」
「嫌だ!」
「ディーン!」
ジョンがバシンとディーンの頬を叩く。
「ケイン警部補を助けるんだよ!
さあ、離れないなら力ずくで離すぞ!」
ディーンが叩かれた頬に片手で触れながら呟く。
「…助ける…?」
そして涙を零しながら絶叫する。
「見ろよ!
ホレイショは血を吐いてる!
じゃあ脈はあんのかよ!?」
「ディーン!
まだ助かるかもしれない!
警備員、ディーンを別室に連れて行け!
救急車はまだか!?」
ディーンが立ち上がり、天に向かって叫ぶ。
「キャス!
助けてくれ!
ホレイショを助けて!
キャス!早く!」
ディーンの叫びが終わるか終わらないかのうちに、カスティエルがディーンの背後に現れる。
「やあ、ディーン。
君の頼みだ。
勿論、助けよう」
「キャス!
ありがとう!
早く!」
カスティエルが頷く。
次の瞬間閃光が走り、全ての窓ガラスが砕け散る。
ジョンも堪らず腕で頭を覆い目を閉じた。
そして一秒足らずでジョンが目を開けた時、ディーンはバルコニーから消えていた。
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