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第12話
『お、俺はお姫様じゃねーし!』
『何でだよ?
キスくらいしてもいいだろ?』
『ホレイショが…俺のもの?』
「…そうだ…ディーン…」
ホレイショの青い瞳が薄らと開く。
「ケイン警部補!
大丈夫ですか!?
痛みは有りませんか!?」
ジョンの冷静でいようとしながらも焦りの混じった声に、ホレイショが眉を顰める。
「ドクター…ワトソン?
ここは?」
「病院です!
あなたはレセプションパーティーの最中にバルコニーで何者かにナイフで襲われ、ナイフは避けたが…後ろ向きに倒れたんです!
でも良かった…!
不幸中の幸いで、頭にも…全身何処にも怪我はありません。
CTスキャンもしましたし、一応血液検査もしましたが、異常はありません」
ホレイショがふうっと息を吐く。
「それでディーンは?
無事ですか?」
ジョンの目が険しくなる。
「それが…ケイン警部補こそご存知有りませんか?」
「何をです?」
「ディーンはホテルに残ったんでしょう?
でもホテルの部屋にも何処にも居ないんです」
ホレイショがカバッと起き上がり、ジョンの襟元を掴む。
「こんな時に冗談は止めてくれ。
ディーンは私とパーティーに行った。
ドクターも知っている筈だ。
シャーロック・ホームズ氏にバルコニーに行くように勧められ、あなたがそれをディーンに伝えた。
あなたは白百合のブーケまでディーンに渡している。
私とディーンはバルコニーに行って、ディーンが手摺に近付こうとして躓いた時、誰かにナイフを投げ付けられた。
最初は右から。
それは私がこの手で叩き落とした。
だがその為に、ほぼ同時に左から飛んで来たナイフを避けられなかった。
そしてナイフは私の首に刺さった。
違いますか?」
「違います」
ジョンが真っ直ぐホレイショを見て答える。
「あなたはパーティーに一人でやって来た。
僕がディーンは?と訊いたら、あなたはホテルにいると答えました。
ディーンがどうしてもパーティーに出たくないと言い出して。
そしてご自分の挨拶が終わると、一人になりたいからとバルコニーに行った。
白百合のブーケはバルコニーに落ちていましたが、僕は知りません。
バルコニーであなたがナイフで襲われたのは確かです。
左右から飛んで来たナイフをあなたは避けたが、その弾みで後ろ向きに倒れて頭を打った。
そして救急車でこの病院には運ばれたんです」
「なぜそんな嘘をつく?
あなたは信用出来る人だ。
事実を捻じ曲げた事情を聞かせて下さい。
真実を」
ホレイショの厳しい眼差しと声にもジョンは怯まない。
「これが事実です。
真実です。
疑うのなら防犯カメラの映像を見て下さい。
入口から全ての防犯カメラを警察が確認しました。
ディーンは映っていません。
あなたが一人でリムジンから下りるところから、バルコニーに一人で入って行くところまでが鮮明に記録されています。
あなたは終始一人でした」
ホレイショがジョンの襟首から手を離し、首を傾げる。
「バルコニーに入って行くところまで?
ではバルコニーの映像は?」
「バルコニーには防犯カメラが着いていなかったので有りません。
それが何か?」
「バルコニーは鑑識が調べたんですか?」
「え?
ええ、調べました。
白百合のブーケとナイフが二本落ちていただけです」
ホレイショの瞳がギラリと光る。
それこそ良く磨かれたナイフの様に。
「ではエメラルドのカフスボタンは?
マイクロフト・ホームズ氏がディーンに貸し出してくれた物です。
ディーンはそのカフスを着けてパーティー会場に行った。
勿論、バルコニーでも着けていました」
「それは…。
僕が聞いた限りでは、そんなカフスボタンが見付かったとは聞いていません。
そもそもディーンはパーティーに来ていないんだし」
キョトンとするジョンにホレイショが詰め寄る。
「ではマイクロフト・ホームズ氏にダイヤモンドで縁取られたプリンセスカットのエメラルドのカフスの所在を確認して貰って下さい。
私はバルコニーを捜査します」
ベッドから下りるホレイショをジョンが慌てて止める。
「捜査って…ここはイギリスですよ?
はっきり言って、ケイン警部補に捜査権はありません」
「だがアメリカ人が行方不明になっている」
「それは…」
ぐっと詰まるジョンにホレイショが畳み込む様に言う。
「私は英国警察アカデミーから招かれてイギリスに来た。
ディーンも私が連れて来たのだから、私と立場は変わらない。
私がアメリカ領事館に駆け込めば、イギリスの司法省は困ったことになる。
違いますか?」
「…ですが!
ディーンはパーティーに来ていないんです!」
ホレイショがフッと笑う。
余りに冷たい笑みにジョンの背筋が凍りつく。
「私がバルコニーを捜査する。
嫌とは言わせない」
ホレイショはそう言うと検査着を脱ぎ捨てた。
「シャーロック!
大変なことが分かったぞ!」
ジョンが221Bの二階のリビングに駆け込んでくる。
シャーロックは両手を合わせて顎の下に着け、瞳を閉じてソファに座っている。
ジョンは構わず話を続ける。
「ケイン警部補がバルコニーからピアノ線を見つけたんだ!
1ミリも無いピアノ線をだぞ!
ケイン警部補はディーンはバルコニーの何も無い所で躓いたと言っている!
ディーンはバルコニーにいたんだ!」
「ジョン、落ち着け」
シャーロックが同じ姿勢のまま言う。
「それでそのピアノ線はどういう状態でバルコニーにあったんだ?」
「ああ、そうだな!
犯人はなんとセロテープを使ったんだよ!
しかもピアノ線は今日のパーティーで使われたピアノのピアノ線と一致した。
犯人は招待客に紛れて会場に忍び込み、調律師が控え室に置いておいたパーティー会場のピアノのピアノ線を使って、バルコニーにピアノ線をセロテープでピンと張っておいた。
ケイン警部補によれば、ディーンを躓かせるのが目的だったから、セロテープならその弾みでバルコニーから簡単に飛んで行ってしまうと計算したんだろうと言っていた。
証拠を回収すること無く消せる。
単純だが良いやり方だ。
セロテープから指紋も出なかったし。
ケイン警部補はバルコニーに残った僅かなセロテープとピアノ線の痕跡と、自分がバルコニーに居た時間の風速と風向きを計算して、バルコニーの下の道路を隈無く鑑識に探させてピアノ線を見つけ出したんだ!
ケイン警部補は鬼神のごとく捜査を指揮をしていて、アンダーソンなんて涙目になって働いてたよ!
それにもしディーンがバルコニーに居て躓いたとしたら、ナイフが飛んで来た軌道からして狙いはケイン警部補じゃなく、『躓いたディーン』になる。
ケイン警部補はまずディーンに向かって右から飛んで来たナイフを叩き落とし、左から飛んで来たナイフに首を刺されたと主張している」
「だがホレイショ・ケインは無傷だ」
シャーロックがボソッと言って、ジョンも決まりが悪そうに頭を掻く。
「そうなんだよなあ…。
ただ、ナイフは確かにケイン警部補の首の直ぐ横に落ちてたんだ。
左側の。
右側のケイン警部補が叩き落としたというナイフもバルコニーで見つかっている。
だけどナイフに指紋は一つも無いし、ナイフが飛んで来たと思われる方角の建物をレストレード警部がつぶさに調べたけど、人が居た痕跡も無いんだ。
それにディーンが居た証拠が無い!
ケイン警部補が主張してる、僕がディーンに渡したっていう白百合のブーケも確かにバルコニーに落ちてたんだけど、僕は渡していないし、花屋の指紋しか出ていない。
花屋に注文した人物も分からないんだよなあ…。
なんと花屋の監視カメラにもそれらしき人物が映っていないんだ!
花屋は確かにイギリス人の男に注文されてその場でブーケを作り、料金も貰ったって言うんだけど、人相は全然覚えていないし、その時間の店内の監視カメラには花屋が一人でブーケを作っている姿しか映っていないんだ」
シャーロックの片眉がピクっと上がる。
「また監視カメラに映っていないのか…。
妙だな」
ジョンが意気込んでシャーロックに向かう。
「だろう!?
それに花屋の入口に着いている防犯カメラにも、その時間には誰も映っていないんだ!
それと窓ガラスが内側から外側に割れているのも妙じゃないか?
外側からならまだ分かる。
でもあんなに厳重警戒されたパーティー会場の窓ガラスを、内側から全部吹き飛ばしたのなら、何かしら痕跡や目撃情報があっても良い筈なのに、何も無い。
また監視カメラにも何も映って無いしさ。
ただ窓ガラスが内側から外側に向かって、砕けて飛んで行ってるんだよ」
「ディーン・ウィンチェスターが消えたホテルの防犯カメラにも、ディーン・ウィンチェスターは映っていないんだろ?」
ジョンが悔しそうにぐっと握り拳を作る。
「そうなんだよ!
まずディーンがデラックススイートに入って行って、数分後にケイン警部補が入って行く姿は録画されている。
だけど出て来たのはケイン警部補だけなんだ」
「この犯人は無駄なことばかりしている」
そう言ってシャーロックがパチリと瞳を開き、立ち上がる。
「今迄の証拠から、ディーン・ウィンチェスターはホテルの部屋から何らかの方法で拉致されたと考えられる。
それならばなぜ、危険を犯してまでバルコニーにピアノ線を張ったり、意味の無い白百合のブーケを作らせてパーティー会場に運び、バルコニーに置いたりするんだ?
窓ガラスにしても、なぜ割る必要がある?
しかもわざわざ内側から。
無駄だらけだ」
「そうなんだよなあ…」
ジョンが腕を組んで、天井を見上げる。
「それにケイン警部補の捜査でピアノ線という証拠が出たと言うことは、ケイン警部補の推理は正しいということになる。
つまりディーンはパーティー会場に居たんだ。
だけど誰も覚えていないって言うのがなあ…。
監視カメラは何らかの細工が出来たとしても、人の記憶を…パーティー会場に居た全員や花屋の記憶まで消すことは不可能だ」
「マイクロフトのエメラルドのカフスは?」
シャーロックの声にジョンがハッとしてシャーロックを見る。
「そうだ!
ピアノ線で興奮してて話すのを忘れてた!
カフスはバルコニーの石畳の溝からそれぞれ発見された。
なんと二つとも真っ二つに割れた状態で」
「エメラルドのカフスを真っ二つに割るか…。
確かプリンセスカットで周りはダイヤモンドで縁取られているカフスだったな。
ダイヤモンドはどうだった?」
「欠けている所もあった!
兎に角測ったように真っ二つに割れていたんだよ!」
「ダイヤモンドまで…。
それは専用器具を用いなければ出来ない。
たがそんな物をバルコニーには持ち込めない。
僕がバルコニーを確認し、警備員を配置しておいたんだから」
「そうなんだよな~!
犯人はいつピアノ線を張って、エメラルドとダイヤのカフスをわざわざ割って置いて行ったんだ?
ケイン警部補の主張を受け入れたとして、ディーンがバルコニーに居たとしてもおかしいだろ?
それにディーンにナイフを投げつけて殺そうとしておいて、実際は拉致して行くなんて…しかもわざわざカフスを真っ二つに割って置いていってね。
全てがおかしいんだよ」
「ジョン、黙れ」
「は?」
シャーロックがソファの元いた場所に座る。
「僕は『精神の宮殿』に籠る。
話しかけるな」
シャーロックはそう言い捨てると瞳を閉じた。
ヤードの会議室のドアがノックされる。
レストレードが素早く立ち上がりドアに向かう。
ドアを開けるとドノヴァンが立っていた。
「どうした?
また何か証拠が出たか?」
レストレードに向かってドノヴァンが首を横に振る。
「出ていません。
実はケイン警部補に面会人が来ています。
パーティーの件で話したいことがあると。
私がお聞きしますと言ったんですが、ケイン警部補にしか話さないと言われました。
どうします?」
レストレードが振り返るとホレイショはもう立ち上がっていた。
そしてホレイショは「会います」と言うと、レストレードの横をすり抜けて歩き出した。
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