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第13話

警察署の受付にこれぼど相応しく無い二人はいないだろうと、ホレイショは苦笑しそうになるのを堪える。 二人共赤毛を綺麗に夜会巻きに巻き上げ、コートの裾からはドレスがふわふわと見えている。 そして頭の天辺から爪先まで装飾品もゴージャスに輝いている。 「私がケインです」 そう名乗ると年上の方の女性がにっこり笑った。 「初めまして、ケイン警部補。 私はロウィーナ。 こちらはチャーリーですわ」 「お話と言うのは?」 「今夜の晩餐会…レセプションパーティーで起きた出来事です。 私達もその場に居たんです」 ホレイショの目が細められる。 「お聞かせ願えますか?」 ロウィーナがホホホと笑う。 「こんな所で?」 「では応接室に」 「警察は抜きであなただけにお話したいんですの。 でも、まあ一つだけ言えるとすれば…」 ロウィーナがゆっくり瞬きする。 ホレイショにはそれがスローモーションの様に見えた。 「私はディーンの友人で晩餐会にディーンが居たことをこの目で見ています。 チャーリーも。 もしお話が聞きたくなったらここに」 ロウィーナが名刺を差し出す。 ホレイショが受け取る。 そこには『ロウィーナ』とファーストネームと電話番号だけが印字されていた。 ホレイショが目を上げると、ロウィーナとチャーリーは既にロールスロイスに乗り込んで行くところだった。 ホレイショはいつの間に…?と思ったが、車は滑るように走り出す。 ホレイショはサングラスを掛けると名刺を胸ポケットに入れた。 お前は誰だ? トレンチコートを着ているのは分かっている チラチラと裾や腕が見える それなのに僕はあいつに追いつけない ここは『精神の宮殿』なのに! まるで今の『精神の宮殿』は主を失った『迷宮』のように乱れている エメラルドのカフスボタン… 白百合のブーケ… ジョンが見える… 僕のバイオリンを聴いている だがその前は? ああ、またトレンチコートが見える 違う! 僕が見たいのは…! 「すみません。 シャーロックは考え事を始めると、声を掛けても揺さぶっても反応が無いんです」 現実のジョンの声だ… だが『精神の宮殿』から抜け出せない…! 「いえいえ宜しいんですのよ。 ただ一度だけ、ホームズさんにお声をお掛けしてもよろしいかしら?」 女の声… アメリカ訛りがあるイギリス英語を話している… 「え? ええ!勿論!」 「じゃあ失礼して」 僕の隣りに座った…? 「シャーロック・ホームズ。 トレンチコートの男を追っては駄目。 あなたは自分を見なさい。 自分を追うのよ」 囁き声… それなにのに なんて強力なパワーだ…! そして肩に白く細い手がそっと置かれる。 シャーロックはその手から電流が身体を駆け抜けるのを感じた。 「うわあああ!」 「シャーロック!?」 叫び声を上げるシャーロックにジョンが駆け寄る。 「どうした!?」 「あ、あの女は何処だ…!?」 「あの女?」 「僕に会いに来て、僕の肩に手を置いただろう!?」 「あー…ロウィーナさん? 1時間前に来て、君に話したいことがあるって言ってたんだけど、君は『精神の宮殿』に居ただろ? だから考え事をしてるから反応が無いって断ったら、君に一度だけ声を掛けさせてくれって言って…。 でも君は無反応で、ロウィーナさん達は帰って行ったけど」 「僕に囁いていただろう!?」 ジョンがあははと笑う。 「レディらしく小さな声で君の名前を呼んで、肩を少し揺さぶっただけだよ。 全く…『精神の宮殿』に居る君は、現実と脳内がごっちゃになるんだから」 「ロウィーナさん『達』というのは!?」 ジョンがため息をつく。 「そう怒鳴るなよ。 ロウィーナさんとその連れだよ。 チャーリーさん。 二人共、今夜のレセプションパーティーに出席してて、ディーンとはアメリカの友人なんだって。 それでディーンが失踪したと聞いて、君の意見を聞きたかったらしい。 でも君はいつも通り無反応で、帰って行ったよ」 「苗字は!? イギリスに住んでるのか!? アメリカに住んでいてイギリスに来たのか!?」 シャーロックに詰め寄られ、ジョンが身体を反る。 「おいおい…落ち着けって! 名前はファーストネームしか聞いてない。 相手が名乗らなかったからな。 君と話せたらきちんと自己紹介する気だったんじゃないか? 何処に住んでるのかなんて聞いてないよ。 でもチャーリーさんは完全にアメリカ英語だったから、普段はアメリカに住んでるんじゃないかな?」 「チャーリーは何か喋ったのか!?」 「『Hello』だけ。 でも充分だろ?」 シャーロックがフンとジョンから顔を背け、マントルピースの前の一人がけのソファに向かい、座る。 そして「1時間前に来て帰ったんだな?」と言った。 ジョンが「うん」と答える。 シャーロックは両手を合わせて顎の下にピタリと着けると、また『精神の宮殿』に飛んで行った。 午前0時過ぎ。 ホレイショはシャワーを浴びると、仰向けにベッドに転がり、白い天井を見た。 結局、全て徒労に終わった。 ディーンが躓いたと『思われる』ピアノ線は回収出来たが、それ以外は何も出なかったからだ。 レセプションパーティーの防犯カメラの映像もマイアミデイド署CSIのAVラボに送ったが、結果は『何の加工もされていない』だった。 「ディーン…」 目を閉じる。 死にゆく自分の頬に落ちたディーンの涙をありありと感じる。 ホレイショは俺のものなんだから、俺が死ぬなんて許さない、ホレイショは絶対に死なない、と言ってくれた愛する人。 むせ返る白百合の香りの中、血を吐いた自分。 あの鉄の味。 あれが幻なんて信じない。 ホレイショがそう強く思った時、ひらひらと白い何かがホレイショの目の前を舞った。 それはふわりとホレイショの胸に落ちる。 ホレイショが小さな『それ』を掴む。 白い名刺。 「ロウィーナ…」 ホレイショは起き上がるとスマホを掴んだ。 「おい、キャス! ディーンに何をした!?」 クラウリーがカスティエルを睨み付ける。 クラウリーの腕の中では、ディーンがくすぐったそうにクスクスと笑っている。 カスティエルが噛み締めていた唇を開く。 「分からない…。 ディーンをホレイショ・ケインから奪還した時からこの状態なんだ…。 出来る限りのことはやった。 だがディーンはまともに言葉も話せない。 だからお前を呼んだんだ」 ディーンがペタペタとクラウリーの顔を触る。 「おい、ディーン、止めろ。 止めろって!」 途端にディーンの瞳が潤み、「ふぇっ…」と言ったかと思うとベソベソとぐずり出す。 慌ててクラウリーがディーンをベッドに寝かせて、引き攣りながら笑って見せる。 「ほら~ディーンくーん。 泣かないで~。 おじさんは怒ったんじゃ無いよ~。 今あっちのおじさんとお話し中だからね~。 終ったら遊ぼうね~」 ディーンは「むうっ」と言うと、くるりとクラウリーに背を向けて、親指をしゃぶり出す。 「おいおい…。 ディーンは言葉も分からないのか?」 クラウリーがため息をつきながら、カスティエルに詰め寄る。 カスティエルが俯く。 「そうなんだ…。 あれはディーンの抜け殻だ。 言葉が理解出来ないどころか、喉も乾かないし、腹も減らないらしい。 排泄もしないし、汚れもしない。 肉体はバルコニーで奪還した時のディーンを完璧に保っている。 だが脳は、最低限の身体機能の維持部分以外は停止状態らしい」 「無茶な取り返し方をしたのか?」 カスティエルが力無く首を横に振る。 「していない。 ホレイショ・ケインのふいを突いて、いつも通りの瞬間移動をしただけだ。 ただし、ディーンが心の底から私を求めてくれないと近づけなかったので、少し細工した。 そしてあの会場にいた人間や、ディーンが会場に向かった時に関わった人間の記憶と機械の記録を消した。 ホレイショ・ケインの記憶も消えてる筈だ。 だがディーンをバルコニーから連れ去る時に、何故かエネルギーをかなり必要としたので弾みに窓ガラスを割ってしまったが」 「ふうん。 じゃあ何でディーンがおかしくなったんだ? 俺様にも分からん。 それよりもな、キャス。 全部話せ。 お前がやったこと、全部だ。 じゃなきゃ力になれんぞ」 「全部? 今、話した」 クラウリーが深いため息をつく。 「ロウィーナから電話があった。 お前、サムを依り代にしただろう? お前から俺様に連絡してきた時は、ロウィーナと連絡が取れないから誰かに『代理』に行ってもらう、ってことじゃ無かったか? あの魔術は『代理』くらいなら問題無いが、依り代にするにはキツ過ぎる。 現にサムはボロボロで、ロウィーナは怒り狂ってた。 ほら、答えてみろ」 「ああ、それか」 カスティエルが首を傾げる。 「それは私も疑問だったんだ。 サムに代理を頼もうとしてもロウィーナに連絡も取れないし、近付けない。 だからどんどん魔術を強めていったら依り代になってしまったんだ。 ディーンとも連絡も取れないし近付けなくて、我を忘れていたし」 クラウリーが目を剥いて怒鳴る。 「我を忘れていたし、じゃない! ロウィーナはお前のやり方にカンカンに怒ってるんだぞ!? お前が悪意を持って行動してると決め付けてる! あのロウィーナのことだ。 どうせ金目当ての損得勘定が働いてるんだろうが、ロウィーナは金儲けを邪魔されることが一番嫌いなんだよ!」 「それは理解している。 だから自分の判断で動いた」 クラウリーが頭を抱える。 「だーかーらー! お前のその判断っていうヤツがズレてるんじゃないかってことだ! その結果の一つが、サムを依り代にして死の一歩手前まで行かせてしまった。 他にも絶対何かやらかしている! でなきゃディーンがあんな風になるわけ無いだろう! ディーンの抜け殻とお人形遊びをしたいなら別だがな さあ、元相棒。 全部話してもらうぞ!」 トレンチコートが見える… だがあいつは無視だ 自分を見るんだ、シャーロック 何処だ? ぐるぐると螺旋階段を登る あの黒いコートは…僕だ! よし、僕を追うんだ 花屋…? 白百合のブーケ… 現金払い… 白百合のブーケを買ってどうする? クソっ! 見えない! ああ、ここはパーティー会場だ…! 控え室に白百合のブーケを置いて、ストラディバリウスを持って… リハーサルか…! リハーサルが終わる 僕は作り笑顔のせいで顔の筋肉が痛くなってきている… 髭の男…調律師… 調律師と話ながら僕はピアノ線を掠め取る… セロテープを四枚切ってタキシードのポケットに少しだけ側面を着けて入れる… そのままバルコニーに向かう バルコニーを調べて…ピアノ線をバルコニーに…張っている!! 何てことだ! ジョン… 僕がジョンにバルコニーに二人を行かせるように話している…白百合のブーケを持たせて… ディーン・ウィンチェスターとホレイショ・ケインがタキシード姿で会場に入って来る… ホレイショ・ケインの言う通りだ! ディーン・ウィンチェスターは居た! 駄目だ! バルコニーに行くな! ディーン・ウィンチェスターが僕の張ったピアノ線に躓く… ホレイショ・ケインの首筋にナイフが刺さる… 口から溢れる出る血 僕は窓越しにそれを見ている… 眩しい…!! 「…はあ…ッ…!」 シャーロックが瞳を見開く。 ジョンがリビングのテーブルに突っ伏して眠っているのが見える。 シャーロックが素早くジョンの元へ行き、ジョンを容赦なく揺り起こす。 「ジョン! 起きろ! 僕だ! 僕が関わっていたんだ! ジョーン!」 「すみません、こんな遅くにお邪魔して」 瞳を伏せながら詫びるホレイショに、ロウィーナが微笑む。 「あら、そんなこと! 今はディーンが大変なんですもの! お気になさらないで。 どうぞお座りになって」 ホレイショが一番近くの一人がけのソファに腰を下ろす。 ロウィーナがその対面に座って、チャーリーもロウィーナ寄りのソファに座る。 ロウィーナとチャーリーは、まるでホレイショが来るのを予知していたかのように、ドレス姿のままだ。 「ケイン警部補、お飲み物は?」 「いりません」 「そう。 では私達はお茶を頂くわ」 「どうぞ」 ロウィーナが二つのカップにティーポットから優雅にお茶を注ぐ。 ロウィーナがカップを持ちながらにっこり笑う。 「でも凄い偶然ですわね~。 同じホテルに宿泊しているなんて」 「…ええ、そうですね」 ホレイショが眉間を指先で摘む。 「お疲れのようですわね」 「いいえ。 慣れてます。 だが…目が…」 「やっぱり疲れてるんですよ! ゆっくりソファに凭れてお話ししましょう!」 チャーリーの笑顔につられるように、ホレイショが「失礼」と言ってソファに凭れ掛かる。 「…それで…私に話というのは…」 ホレイショは瞼が重く、目が開けていられない。 「ええ…。 ねえ、ケイン警部補」 「…何でしょう…」 「ディーンを愛してる?」 「…ええ…それが?」 ロウィーナの瞳がきらきらと光る。 それに反してホレイショは、身体がソファに沈んでゆくのを感じていた。 「ではディーンを探して。 あなたとディーンを結ぶ愛…それを辿って…」 ロウィーナの囁き声がホレイショの耳に反響する。 そうしてホレイショは暗闇に落ちて行った。

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