16 / 21

第15話

『精神の宮殿』に入ったシャーロックは困惑していた。 『精神の宮殿』には違い無いが、何かが違う。 そこにふわりと煙の様にロウィーナが現れる。 シャーロックがロウィーナに噛み付く。 「どうなっている!? ここは僕の『精神の宮殿』じゃない!」 ロウィーナが静かに答える。 「いいえ。 あなたの宮殿よ。 でも、そうね。 ちょっと細工させて貰ったの」 シャーロックの片眉が上がる。 「何をした!?」 ロウィーナが平然と答える。 「ディーンを拉致した犯人『だけ』を追って貰えるように、余計な記憶を封印したの。 今は、あなたが飲んだ小瓶の中身は『複雑』とだけ言っておくわ。 さあ、トレンチコートの男を追って!」 「なぜトレンチコートの男が犯人だと知ってる?」 「話せば長いわ。 でもあなたはトレンチコートの男の行動が怪しいと私に伝えてきた。 この『精神の宮殿』に入った瞬間に」 「僕が!?」 「そうよ、シャーロック。 お喋りはここまで。 さあ、トレンチコートの男を追って、今何処に隠れているのか探しなさい!」 「僕に命令する気か? 僕を動かせるのは僕だけだ」 ロウィーナがにんまりと笑う。 「そしてジョン、よね? それにあなたはジョンと直ぐに友人になったディーンも気に入っている。 認めなさい。 そして早くトレンチコートの男が隠れていそうな場所を探すのよ! あの男はディーンを連れていてはロンドンからは出られない。 さあ、早く!」 「急かすな! もうやっている!」 シャーロックが指差す方向に、トレンチコートの裾がはらりと舞うのが見えた。 ホレイショは漆黒の暗闇の中、ディーンが自分を呼ぶ微かな声のする方向に迷わず走り続けた。 何十分、何時間走り続けているのか、時間の感覚が無い。 それでもホレイショは何も怖くなかったし、迷いすら無かった。 そうしてぼんやりとした光の中に淡く映る裸で横たわるディーンを見つけた。 ディーンは生気の無い瞳を見開いて、人形の様にぐったりしている。 ホレイショがディーンに向かって一歩踏み出したその時、眩しい光に阻まれる。 ホレイショが「ディーン、俺だ!」と叫ぶ。 ディーンの右手の小指が小さくピクリと曲がる。 だが次の瞬間、トレンチコートの裾がはらりと舞うと、ホレイショはホテルのベッドの上で目覚めたのだった。 講演会場に居たレストレードが慌ててホレイショに近付く。 「ケイン警部補! 本当に講演なさるんですか!?」 ホレイショがサングラスを外す。 「ええ。 今朝は確認の電話をわざわざありがとうございます。 講演は予定通りで」 「でも…ディーン・ウィンチェスターさんが行方不明のままですし…」 困惑を隠せないレストレードにホレイショが微笑みかける。 「ディーンなら私が怯む方を許さないでしょう。 私は犯罪者には屈しない。 それに私が予定通りに動くことで、却って犯人を誘い出せるかもしれない」 「…それはそうですが…」 レストレードが考え込んでいると、「グレッグ!ケイン警部補!」とジョンの声がした。 レストレードがホッと息を吐き、「ジョン!来てくれたのか?」と笑顔になる。 ジョンも笑顔で「微力ながらケイン警部補のお手伝いをしようと思って」と答える。 ホレイショも微笑みながら「私の?」と訊く。 ジョンが自分の胸をドンと叩く。 「ええ! シャーロックはシャーロックなりに捜査しています。 ですから僕はケイン警部補のお手伝いをしようと思いまして」 「それは有難いですが…ドクターはシャーロック・ホームズさんと一緒に捜査をしなくていいんですか?」 ホレイショの言葉にジョンが苦笑いになる。 「シャーロックの捜査は…その…独特でして…。 今は僕は警部補と一緒に居た方がお役に立つんじゃないかと考えたんです。 勿論、お邪魔のようならヤードの方の捜査に加わります」 ホレイショが即答する。 「そんなことは有り得ない」 そしてホレイショが右手をジョンに差し出す。 「こちらこそよろしくお願いします。 ドクター」 ホレイショとジョンは硬く握手を交わした。 午後1時から始まったホレイショの60分間の講演会第一部は無事に終わった。 ジョンは片時もホレイショから離れなかった。 打ち合わせの最中は邪魔にならない場所で控え、ディーンの捜索についてはホレイショやレストレードから招かれる形で加わった。 それにホレイショが講演をしている時は舞台袖で待機していた。 ホレイショが講演をしている間にディーン捜索の進捗報告があれば、ジョンに連絡が入るように事前に打ち合わせをしていたからだ。 そして午後3時からの講演会第二部の30分前にジョンのスマホが鳴った。 相手はロウィーナだ。 ジョンがスマホを耳に当てると『ドクターワトソン。ロウィーナですわ』と冷静な声がした。 「シャーロックが目覚めたんですか!?」 ジョンの焦り気味の声にもロウィーナは動じない。 『ええ。 ホームズさんは何事も無くに目覚めて、今部屋を飛び出して行きましたわ。 情報源を使うから二時間程くれと言って。 どういう意味かお分かりになる?』 「ホームレスだ…! シャーロックにはホームレスのネットワークがあるんです! それであなたは何を見たんですか!?」 『ホームズさんの『精神の宮殿』でディーンを見つけたわ』 ジョンが思わず固唾を飲む。 ロウィーナはそんなジョンを無視して続ける。 『ディーンは確かにバルコニーから犯人にさらわれていたのが見えたわ。 けれどそれはほんの一瞬の出来事。 ディーンを発見する為に、ロンドン警察はロンドン市内だけでは無く、ディーンが消えた時間から逆算して移動出来る範囲までのホテルや宿を虱潰しに探した。 でもディーンは見つからない。 だからホームズさんは自分の情報源を最後の切り札に使うことにしたのね』 「僕はどうしたらいい!?」 『良く聞いて。 あなたはホレイショ・ケインから絶対に離れないで。 ホームズさんは必ずディーンを見つけ出す。 でもその後に犯人とディーンとホレイショ・ケインに何が起きるか分からないの。 だからあなたが揃えられる範囲で良いから、どんな非常事態にも対応出来る医療器具を用意しておいて』 「了解です!」 ロウィーナが満足気に、『よろしく、ドクターワトソン』と言うと電話は切れた。 「おいおい、人間がキャスに勝てる訳が無いだろう?」 水晶玉に映るクラウリーはそう言うと肩を竦める。 ロウィーナがキッとクラウリーを睨み付ける。 「うるさい! 人間じゃなきゃ駄目なのよ! ディーンを助けるには!」 ロウィーナが水晶玉のクラウリーに向かって人差し指を突き付ける。 「お前の目撃情報によるとディーンは年も取らない感情も無い知能も無い人形になっている。 つまり私のまじないが発動しているのよ。 キャスはディーンを手に入れたけど、ディーンはお人形になってしまった。 キャスにとっては最大の不幸が襲ったってこと。 何故ならキャスは天使だから永遠に年も取らないし、死なないし、『死ねない』もの。 そしてディーンもそうなった。 これからキャスは、お人形のディーンと永遠に生きて行くことになる。 愚か者のお前にも、それがいかに最大な不幸か分かるでしょ? それが私のまじないを遮ったキャスに下された罰よ!」 クラウリーがゲンナリした表情になり、「酷いな…」と呟く。 ロウィーナがジロッと横目で水晶玉を見る。 「酷い? 私のまじないを破ろうとするからよ! 私はキャスに警告しておいたわ。 それよりファーガス。 あんた本当にキャスとディーンが居た場所が分からないの?」 クラウリーが決まりが悪そうにため息をつく。 「ああ…分からない。 なんと言うか…次元が違った。 天使の隠れ家だからか?」 ロウィーナが勝ち誇った様にホホホと笑う。 「ほらね! お前は悪魔。 私がディーンとホレイショ・ケインに掛けておいたまじないせいで、悪魔のお前はキャスから呼ばれた場所には行けても、ディーンに関しては何も出来ない。 場所すら分からないのよ! じゃあね」 水晶玉に両手を翳すロウィーナに、慌ててクラウリーが言う。 「母さん!待ってくれ! 私はキャスが何をしたか本人から全部聞いたんだ! だから…」 「だから、何よ? 協力はお断り! 役立たずは要らない。 キャスがやったことなら全部分かってるわ。 お前を水晶玉で呼び出したのは、私のまじないが完璧に発動されているか確認したかっただけだから。 じゃあね」 「母さん!」 次の瞬間、クラウリーが水晶玉から消える。 チャーリーが「ロウィーナってば容赦無いな~」と言って水晶玉を指先で弾く。 「あら、本当のことでしょ?」 「それで私達はどうするの? ホームズさんからの連絡待ち?」 「まさか!」 ロウィーナがフフッと笑う。 「先回りしてキャスの状態を確認するのよ。 『最も真なる愛の魔法』に掛かったディーンを本当の意味で奪い返すには、同じまじないの掛かったディーンを愛する人間でなければ無理。 つまりホレイショ・ケインね。 それにいくら異才の持ち主のシャーロック・ホームズと言えども、たかが人間の情報を待つ程、私は甘く無いわ」 「それじゃあ…! ロウィーナにはキャスが居場所が分かるの!?」 ロウィーナが今度はにんまりと笑う。 「ディーンを隠している場所は分からない。 でも今のキャスが行きそうな場所はひとつしかない。 解けない問題が起きた時、原点に立ち返るのは人間だけじゃないのよ~」 「まさか…!」 目をまん丸くして見開くチャーリーにロウィーナがウィンクする。 「そう。 ホレイショ・ケインの講演会よ」

ともだちにシェアしよう!