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第16話
ホレイショが「以上です」と言葉を終えると拍手が鳴り響く。
そして司会者が「ホレイショ・ケインさまでした。ありがとうございました」と言うやいなや、そこかしこから「質問良いですか!?」の声が上がる。
ホレイショが「どうぞ」と短く答えると我先にと質問が飛び交う。
チャーリーは講演会場の一番後ろの席で隣にいるロウィーナに「凄い人気だね~」と囁くと、にっこり笑って「それにホレイショ・ケインは無事ね!キャスはまだ来てないの?」と続ける。
ロウィーナはある一点を見つめながら、「ほらそこよ」と平然と答えた。
途端にチャーリーが焦り出す。
「へ!?ど、どこ!?」
「あの右隅の暗がりを良く見なさいな」
ロウィーナの白い指の先は会場の影の部分だ。
チャーリーは自分の目を疑った。
よくよく見ると、まるで暗がりが炎の様に揺らめいている。
「あの暗がりがゆらゆらしてるのがそうなの?」
そう言うチャーリーにロウィーナがため息をつき、「仕方無いわね。口を開いて」と言った。
チャーリーが「え?」と言った時、ふわっと空気のようなものが口に入り、チャーリーは自然と吸い込んでしまった。
慌てて両手で口を抑えながら、「ちょっと!何したのよ!?」ともごもご言うチャーリー。
ロウィーナはフンと顎を反らすと、「キャスは姿を消してる。だから見えるようにしてあげただけよ。ほら見て」と答えると右隅の暗がりをまた指差した。
そこにはカスティエルがポツンと立っていた。
思わず口を塞いでいた両手を外し、「キャスだ!」とチャーリーが驚いた声を上げる。
ロウィーナは冷静に、「あの様子では…ホレイショ・ケインの魂に触れる気ね」と断言する。
するとチャーリーが目をまん丸くした。
「魂!?
何で!?」
ロウィーナは至って冷静に答える。
「キャスだって分かっているのよ。
ディーンをお人形から人間に戻すには、ホレイショ・ケインのパワーが必要だと」
「でもホレイショ・ケインはどうなるの!?
魂に触れられて大丈夫なの!?」
「大丈夫も何も」
ロウィーナが余裕の笑みを浮かべる。
「キャスがホレイショ・ケインの魂に触れられる訳が無いでしょう?
ホレイショ・ケインを止められるのは神だけ!
その上、私の最上級のまじない『最も真なる愛の魔法』が掛かっているのよ?
キャスが『魂に触れる』と本気で思ってホレイショ・ケインに指一本触れた途端、キャスの器の身体は粉々に砕けて、キャス本体は虚無に飛ばされるわね」
ロウィーナの言葉にチャーリーが真っ青になる。
「そんな…!
キャスも助けてあげようよ!」
「勿論よ。
ただ…」
その時、ロウィーナのスマホが震えた。
ロウィーナがスマホを耳に当てる。
直ぐにシャーロックの興奮した声がロウィーナの耳に響く。
『ディーン・ウィンチェスターの居場所を見つけたぞ!
だが入り口が分からない!
何故だ!?
扉が無いんだ!』
ロウィーナがピシャリと言い返す。
「いいえ、扉はある。
ただ見えないだけ。
ディーンの居場所をメッセージして頂戴。
ホレイショ・ケインを連れて行くから、あなたはそこにいて」
『僕にただ待てと!?』
「だって扉が見つけられないのなら、待つしか無いじゃない」
素っ気ないロウィーナの返答にシャーロックが怒鳴る。
『よくも言ったな!
僕を見くびるな!』
「見くびってなんか無いわ。
事実よ。
じゃあね」
有無を言わさずブチッと通話を切られ、シャーロックは五階建ての廃墟のようなビルを見上げ、「絶対に扉を見つけてやる…!」と呟いた。
チャーリーがわくわく顔でロウィーナにずいっと迫る。
「シャーロックから?
ディーンの居場所が見つかったの!?」
ロウィーナが鬱陶しそうに、チャーリーの肩をグイッと押し返す。
「ええ。
でもキャスの奴、建物の入り口を上手く隠してるみたいね。
まあ、そんなこと、どうでも良いけど」
「いいの?
何で?」
「ホレイショ・ケインにはそんな小細工は通じない。
兎に角今は、キャスが粉々になる前にホレイショ・ケインをディーンの元に連れて行かなくては」
そう言うとロウィーナは、バッグから真っ赤な液体の入った小瓶を取り出した。
チャーリーの胸に嫌な予感が過ぎる。
「それ何…?」
「サムの血よ。
こんな事もあろうかと、ちょっと頂いておいたの」
「ちょっとって…!」
ドン引きしているチャーリーを無視してロウィーナが立ち上がる。
そして言った。
「あんたは今直ぐ会場の出口に行って、リムジンに乗って待ってて」
「わ、分かった…!」
そそくさと会場を後にするチャーリー。
ロウィーナは背後の白い壁に向かうと、小瓶から手に血を垂らし『印』を描く。
そして血で濡れた手で力を込めて『印』をバンッと叩くと、眩い光が『印』から放たれた。
ホレイショを取り囲む大勢の聴講者達とホレイショが、光の方向に目をやる。
ロウィーナとホレイショの目が合う。
ホレイショが「失礼」と言って人々の間をすり抜け、ロウィーナに向かって走り出す。
ロウィーナは優雅に赤く染まった手をハンカチで拭いていた。
ホレイショが息も乱さずロウィーナに、「この模様とあの光はあなたが?」と問う。
ロウィーナが微笑んで頷く。
「ええ。
ちょっと邪魔者を飛ばしたの。
これで数時間は稼げる。
それよりもディーンの居場所が分かりましたわ。
一緒に来て下さる?」
「勿論」
ホレイショは一言そう言うと、サングラスを掛けた。
リムジンの中にはロウィーナ、チャーリー、ホレイショ、ジョンがいる。
ホレイショはリムジンに乗り込んだ時、診療鞄を抱えてボーッと座っているジョンを見て、「ドクターに何をした?」と低い声で言った。
ロウィーナが平然と答える。
「ドクターなら大丈夫。
先に来て頂いておいたの。
さあ、ドクターワトソンしっかりして」
ロウィーナがパチッと指を鳴らすと、ジョンの身体がブルッと揺れ、周りをぐるっと見渡すと一気に喋り出す。
「え…?え?え?
ロウィーナさん…?
チャーリーさん…?
ケイン警部補!?
僕はどうしてここに!?」
ロウィーナがふふっとやさしく笑う。
「あら、ドクターワトソンご自身から来て下さったんじゃありませんか。
ディーンの居場所が分かったとメッセージをお送りしたら」
「…は?
あれ?
そ、そうだった…かな…?」
「そうですわ。
スマホを確認して下さいな」
慌てて上着のポケットからスマホを取り出すジョン。
その時、ホレイショがサングラスを外し、ロウィーナを真正面から見据えた。
「それでディーンは何処に?」
ロウィーナもホレイショを見つめて答える。
「シャーロック・ホームズさんの捜査のお陰で、ロンドンの外れの廃墟になったビルに居ることが分かりました。
車はそこに向かっています。
ただ、問題がひとつ」
「何でしょう?」
「そのビルには入口が無いんですの。
扉がね」
ホレイショの青い瞳がギラリと光る。
「扉の無いビルを建てる者などいない」
ロウィーナがホホホと笑う。
「ええ、その通り。
でも現実に無いんですの。
シャーロック・ホームズさんでさえ見付けられなかった」
「それで私に何をしろと?」
「あなたなら廃墟のビルを見さえすれば扉を見つけられる。
そしてディーンを助けてやって」
「シャーロック・ホームズ氏程の人物が見付けられなかった扉を、私が見付けられると?
その根拠は?」
ホレイショの余りに冷たい口調に、ジョンとチャーリーの背筋が思わずピンと伸びる。
ロウィーナは全く動じること無く、「愛よ」と一言答えた。
ホレイショの頭に昨夜見た夢の中のディーンがありありと浮かんだ。
その時、ジョンがおずおずと口を開いた。
「あの…でしたら僕は必要無いのでは?
却ってお邪魔じゃないでしょうか?」
ロウィーナがジョンに向かってにっこり笑う。
「ケインさんがディーンを見つけた時にドクターワトソンが必要ですわ。
ケインさんはご存知でしょうけど、今のディーンは普通では無いんですの。
そのディーンをケインさんが託せる相手はあなただけ…ですわよね?ケインさん」
ホレイショが頷くと低く言う。
「是非、ドクターも同行して下さい」
すかさずロウィーナが続ける。
「ほら!
それにドクターワトソンとホームズさんは、ホレイショさんがディーンを助ける場に二人一緒にいれば、悩みが解決しますわ」
「…悩み…ですか?」
考え込むジョンにロウィーナが囁く。
「セクシーランジェリーで解決しようとした悩み、よ」
ジョンがボンッと赤くなる。
「どどどどうしてそれを!?」
ロウィーナがうふふと意味ありげに笑う。
「まあまあ落ち着いて下さいな。
私には色んな情報が入ってくるんですの。
深く考えないで。
第一はディーンの為ですから」
「…ま、まあ…ディーンの為でしたら…」
ジョンが下を向いてブツブツ言っていると運転手が、「ロウィーナさま。到着致しました」と言って車が止まった。
そのビルはまさに『廃墟』だった。
壁は色褪せ、窓には硝子も無い。
所々板で打ち付けられていたり、破れてボロボロのカーテンが風にたなびいている。
壁に落書きすらされていないのが却って不気味だ。
ホレイショ、ジョン、ロウィーナ、チャーリーの順でリムジンから降り立つと、シャーロックが飛ぶように駆けて来る。
シャーロックが「ジョン、扉が無い!」と叫ぶと頭を掻きむしる。
ジョンも困り顔で「ああ、そうみたいだね」と答える。
その時、ホレイショがキッパリと言った。
「何を言っている?
目の前にあるじゃないか」
シャーロックとジョンとチャーリーがガバッとホレイショに向かって振り返る。
「何処にある!?」
「何処ですか!?ケイン警部補!」
「えーっ!見えないんだけど!?」
シャーロックとジョンとチャーリーが一斉に喋り出すと、ホレイショはなんということもなく右手で壁に触れた。
ホレイショの「此処だ」という声と共に、鉄の扉が現れる。
これにはシャーロックも、扉を見つめ、口を真一文字に結んでいるだけだ。
対してジョンは医療鞄をギューッと抱え「うわあああ!」と、チャーリーは扉を指差し「ぎゃー!」と叫び声を上げている。
ホレイショが扉を開ける。
するとロウィーナが「さあ、行きましょう」と優雅な声音で言った。
廃墟ビルの中も、まさに『廃墟』だった。
壊れた家具がほんの少し散らばっているだけで何も無く、あるのは埃だけだ。
ホレイショは迷わず走り出す。
その直ぐ後ろをシャーロックが走る。
「ケイン、何処に行く!?」
「地下だ」
「なぜ!?」
「そこにディーンが居るからだ」
「どうして分かる!?
この廃墟すら知らなかったくせに」
「見たからだ」
「だから何を!?」
「お喋りは終わりだ。
私はディーンを助けに行く。
君は好きにすればいい」
シャーロックは黙ってホレイショの横に並び、二人は走り続けた。
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