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第18話

ジョンが221Bのフラットのドアを開けると、ハドソン夫人が慌ててやって来て大声を上げた。 「ジョン!待ってたわ!」 「ただいま、ハドソンさん。 何か?」 「何か?じゃないわよ~! あなたが出掛けてからシャーロックは『精神の宮殿』に籠りきり! 水すら飲んで無いのよ! 早くシャーロックに食事をさせて!」 「わ、分かりましたっ!」 ジョンは階段を全力で駆け上がった。 ジョンが二階のドアの開け放たれたリビングに飛び込むと、シャーロックはマントルピースの前の一人がけのソファに凭れ、瞳を閉じて両手を合わせ顎にピタリと付けていた。 ジョンがシャーロックを揺さぶり「シャーロック!戻って来い!」と言っても、シャーロックは無言で固まっている。 ジョンはハーッと息を吐くと、握り拳を作り、厳しい声で、「シャーロック!戻って来なけりゃ本気で殴るぞ!」と怒鳴った。 シャーロックがパチリと瞳を開ける。 「それは恐怖だな。 ジョン・H・ワトソン大尉」 「君に恐怖感があって良かったよ!」 ジョンはそう言い捨てると冷蔵庫に走り、直ぐにシャーロックの元に戻って来た。 「まずこのスポーツ飲料を飲み干せ。 話はそれからだ」 テーブルに置かれたペットボトルを嫌そうに見て、シャーロックが「いらない」と答えると、ジョンが思い切り自分のソファを拳で殴った。 シャーロックがパッとペットボトルを掴み、スポーツ飲料を一気に飲み干す。 ジョンはまたハーッと息を吐くと、ソファに座る。 シャーロックが小さく「……それで?」と訊く。 「もう一度『精神の宮殿』に入ってくれ」 「…ジョン…戻れとか入れとか…。 君は情緒不安定なのか? 僕を巻き込むな」 ジョンがキッとシャーロックを睨む。 「違う! まず君が飲み食いを忘れて『精神の宮殿』に籠るもんだから、僕がハドソンさんに怒られた! だがスポーツ飲料を飲んだから良しとしよう。 今はな! それとディーンが気になることを言ってたんだ。 君、昨日のケイン警部補の講演会の終わりから二時間くらいの間に、虹を見なかったか?」 「見てない」 「普通の君ならそうかもな。 でも『精神の宮殿』に記憶されているかもしれない。 頼むよ」 シャーロックがブスッとして呟く。 「随分ディーン・ウィンチェスターに肩入れしてるんだな…」 「ディーンは友人だろ? それにディーンが虹を見たなんて嘘をつく理由が無いし、常識外れに大きな虹が出て、しかも空間を駆け抜けて行ったらしいんだよ! もしそんな虹が現実に現れたのなら、ニュースで流れたり動画がアップされている筈なのに何も無い。 今のところ目撃者はディーンだけ! 気にならないか!?」 「……それは…気になる…」 「シャーロック!」 「ああ! 分かった! やってみよう」 そしてシャーロックが瞳を閉じ、両手を合わせた。 それから五分後。 シャーロックがパチリと瞳を開けた。 ジョンが慌ててシャーロックの顔を覗き込む。 「どうだった!?」 「虹は見ていなかった。 ただ…」 「ただ?」 シャーロックがガバッと立ち上がり、ジョンの両肩を掴む。 「僕の『精神の宮殿』の階段の所々に、微かだがヒビが入っていた! なぜだ!? ヒビが入っているということは、何かを体験し、それが僕の『精神の宮殿』から剥離したとしか思えない! だがそんな強烈な体験をしている筈は無い! なぜならホレイショ・ケインやディーン・ウィンチェスターがここに初めて来た時には、僕は退屈で死にそうだったからだ! 壁に向かって銃を撃つ程! そうだろう? ジョン!」 ジョンがコクリと頷く。 「…そうだな…。 君はこの部屋でイギリスに来たばかりのケイン警部補と撃ち合いになるところだったし…。 もしかして…」 ジョンが気まずそうに口を噤む。 シャーロックがカッと目を見開く。 「もしかして、何だ!?」 「いや…その…君には有り得ないと思うけど…心的外傷ストレスとかかな、なんて…」 「はあ!?」 シャーロックがジョンの肩から手を離し、ソファに雪崩込むように座る。 「僕が…この僕が…よりにも寄って心的外傷ストレスと診断するのか…君は…」 「いやっ! ほらさ! 全くの赤の他人と突然同居したり、ハッキングの事件でポルノを見続けたり、ディーンの影響を受けたり…ここ数日で色々あったじゃないか。 君は認めないかもしれないけど、かなりのストレスだったかもしれないかなって思った…いや閃いただけで…」 切々と訴えるジョンに、シャーロックが大きなため息をついた。 水晶玉の中で、ジョンが「とりあえず食事をしよう」と言い、シャーロックが「いらない」と言い返し、ジョンがキレるのを見てロウィーナはご満悦だった。 そこにチャーリーが「凄いよ!ロウィーナ!」と鼻息荒くやって来る。 ロウィーナが余裕で答える。 「こっちも完璧よ。 ディーンとホレイショは通常通りだし、シャーロックはあと数分もすれば『精神の宮殿』の微かなヒビなんて忘れるわ」 「こっちだって凄いんだから!」 チャーリーがラップトップを高々と掲げる。 「なんと! パーティー会場の防犯カメラの記録をハッキングしたら、ディーンがちゃんとパーティーに出席してる映像になってるんだよ!? 街頭の防犯カメラもチェックしたけど、ホレイショ・ケインはディーン捜索の捜査もしてないし、ホテルの防犯カメラでは二人一緒にホテルの部屋に帰って行ってる! 凄い! どうなってるの!?」 ロウィーナが勝ち誇った様にホホホと笑う。 「凄いでしょう? 『最も真なる愛の魔法』のまじないは! それを掛けられる私もね! ホレイショとディーンはパーティーを楽しんで、ホテルに一緒に帰ったけれど、ディーンは酔い潰れて眠ってしまったことになってるわ。 そして昨日の講演会にディーンは行かず、講演会が終わった後、『本当に』二人は激しく愛し合った。 あの虹をあんたも見たでしょう? あの廃墟のビルの地下で。 あれこそ『最も真なる愛の魔法』の威力よ。 全てがディーンとホレイショの『幸せ』にリセットされた。 過去までもね! あんたは知らないだろうけど、過去を変えるのは基本的に不可能なのよ。 だって過去は『確定した現実』なのだから。 だけど『最も真なる愛の魔法』は虹の姿を借りてその奇跡を起こした! 私も初めて見たけど、素晴らしくて泣けたわ~」 チャーリーがウンウンと頷く。 「本当に綺麗で大きくて素晴らしかったよね…! でもロウィーナは『最も真なる愛の魔法』のまじないを掛けた本人なんだから、まじないの影響を受けないのは分かるけど、何で私も無事なの?」 「あんたの骨に刻んでおいたからよ。 まじない避けを。 あんた頭良いんでしょ? それくらい推測出来そうなもんだけど」 「ちょっと! 天使と悪魔避け以外にも骨に刻んだの!?」 顔を真っ赤にして怒鳴るチャーリーをロウィーナは全く意に介さずに、「まだ他にも刻んでるわよ?」とあっけらかんと言い放つ。 チャーリーが言葉を失ってぐぬぬとロウィーナを睨んでいると、ロウィーナが何も無い空間から一枚の白い紙を取り出し、チャーリーの胸に押し付けた。 「……何よ?」 「キャラ設定。 まあちょっとした台本よ。 あんたの頭の中に直接入れても良いけど、今みたくギャンギャン騒がれるのはごめんだから紙にしたわ」 「…キャラ設定…? 台本? 何に使うの?」 ロウィーナがニヤリと笑う。 チャーリーの背筋に悪寒が走る。 「決まってるでしょう。 あと数時間は地球に戻って来ない筈だったキャスを、あの馬鹿なクラウリーが助けたのよ! まあいくらキャスでも直ぐには動けないだろうけど。 それにキャスは私達の十数メートル先に現れた。 私達に天使と悪魔除けのまじないが掛かっているのにも関わらず! さすがに実体は保てていなかったけど、キャスは最後の力を振り絞ったのね。 それもこれもディーンの為! だからキャスをかわす対策を早急に取っておくのよ。 寝たきりのヘラジカを使って」 「サム!? もう血を取ったじゃん! 今度はサムに何するの!?」 「だ・か・ら! さっさとその紙を読みなさいな」 そう言われてチャーリーが白い紙に黒いインクで書かれた内容を素早く読み進める。 そして真っ赤だったチャーリーがどんどん青ざめていく。 ロウィーナがそんなチャーリーを見ながら、楽しげに歌う様に言った。 「これが一番だと思わない? これなら面倒も起こさず天使もかわせる。 用心に越したことはないわ。 用心も賢さのうちよ、チャーリー。 良く覚えておくのね。 ディーンとホレイショには『絶対に』幸せ一杯でマイアミに帰ってもらわないと」 チャーリーの手から白い紙がハラリと舞って床に落ちる。 ロウィーナがホホホと笑う。 「流石、天才ハッカー、物覚えが良いのね。 じゃあ始めましょうか。 まずはクラウリーの頭の中にその紙の内容を入れるわ」 ロウィーナがパチンと指を鳴らす。 するとテーブルにあった様々な粉の入ったボールから火が吹いた。 チャーリーが「ヒイッ…!」と小さく悲鳴を上げて壁にへばりつく。 ロウィーナはそんなチャーリーを完全に無視して優雅に立ち上がり、サムが静養している部屋へと向かう。 チャーリーも両手で両頬をパチンと叩いて気合いを入れると、ロウィーナの後に続いた。 その頃。 ディーンとホレイショはアンジェロの店でディナーを取っていた。 ホレイショがディーンを星付きレストランに誘ったが、ディーンは堅苦しいのは嫌だと言って、ホレイショがジョンに電話をして何処か良いレストランがないかと尋ね、このレストランを紹介されたのだ。 ジョンは店主のアンジェロに連絡をして予約まで取ってくれた。 テーブルでゆらゆらとロマンチックに揺れるキャンドルは、アンジェロからのサービスだ。 しかもそのテーブルに着いているのは、ディーンとホレイショだけでは無い。 困りきった顔のジョンと顔をクシャッと顰めたシャーロックもいる。 ジョンがおずおずと口を開く。 「デートのお邪魔をしてすみません」 ディーンが「そんなことねぇよ」と言って笑い飛ばす。 「ドクターは悪くねぇじゃん。 ホームズさんがメシを食わなくて困ってたんだし」 ホレイショもやさしく微笑んで言う。 「そうですよ。 それにドクターとホームズさんならいつでも大歓迎です。 それにもうデザートだ」 するとディーンがずいっと前に出る。 「それで喧嘩の原因は? メシを食わないってだけ?」 シャーロックがキッとディーンを睨むと、「喧嘩なんかしていない」と一言言う。 ディーンは全く気にする風も無く続ける。 「じゃあ何でメシを食わねーの?」 「…全部…」 「全部?」 「全部…ジョンのせいだ!」 それまで下を向いていたジョンが、「はあ!?」と言ってシャーロックの横顔を見上げる。 シャーロックがテーブルの上で握り拳をわなわなと震わせながら話し出した。

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