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第5話

「あ・・兄上・・」 「アア?お前に兄呼ばわりされる筋合いはねえんだよ!突き刺すぞてめぇ!」 「ちょっと!私の梨皛(りきょう)に酷い事しないでよ!」 「え・・ええぇ・・でっ・・でもっ」 桃花(とうか)と呼ばれた女性の一声で、グズグズと鼻水をすすりながら狼狽する紅絇(こうく)の背中がどこか痛々しい。 哀愁を漂わせながら、桃花に縋り(すがり)つこうとするその腕を華麗に避ける彼女の唇は先程よりも尖っていて、誰が見ても不機嫌そのものだった。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・どうがぢゃん・・どうがぢゃ・・んんぅ~!」  紅絇の声に動じる様子を見せず、返答の代わりに腕を組みながら顔を逸らしているこの女性、名を桃花という。 紅絇の妹であり、梨皛の妻だ。 だが腕を組んで仁王立ちしているその姿は何処から見ても凛々しい武人のようである。 「とっ・・桃花ちゃん・・桃花ぢゃん~じゃぁっじゃあっ、ね。お兄ちゃんのお願いぎいでぐれる?」  両手を固く握りしめながら、紅絇が滝のような涙をそのままに、ピョンピョン飛び跳ねている。 「・・・お願い・・?」 『切り替えが速い・・』と皆が思ったかどうかは不明だが、誰が見ても脱力せずにはいられない紅絇の姿を前にして、梨皛は『どこか嫌な予感がする。それも非常に嫌な予感が・・』と思わずにはいられなかった。 しかし、そんな兄を前にして動じない所は、やはり妹なのだなと見ていて思ったのも事実ではあるが。 「えっとね。えっとね。」と紅絇が頬を赤らめながら懐から何かを取り出している。 「・・・・・・・・?」 その品を前にして、梨皛の眼が細くなった。 「うん!あのね!髪の毛を一本!一本だけでいいの!ちょうだ・・ぐっぼおっ!」 紅絇が全てを告げる前に、桃花の拳が紅絇の頬にぶち当たる。 桃花が放ったその一撃は紅絇の頬を見事に貫通し、突風の如く彼の身体を吹き飛ばしていったのだ。 「ひょおおおー!」 「な・・!」  眼前で繰り広げられる賑やか劇場に、梨皛の瞳が丸くなった。 「おっ・・おい・・どうか・・穏便に・・」 「どっ・・どうがぢゃん・・はっ・・激しいっ・・嬉しいけど・・っ・・顔っ!顔はっ!おっお兄ぢゃんの!顔っ!お兄ちゃん!顔が命なの!この美しい顔がっ!どうがぢゃんもお兄ぢゃんの側にいだんだがら、わっ分がるでびょっ!」 「分かんないわよ!第一、髪の毛頂戴って何なの!」 「えっ!あっ!気になる?気になっちゃう?お手製のね。桃花ちゃん布人形に植え込みたくて・・欲しいなぁって」 腫れあがった頬をそのままに、クネクネと身体をくねらせながら、紅絇が懐から取り出した小さな布人形を抱きしめている。 その品を前にして、部屋に居る全員の口が大きく開いていった。 再度言おう。彼の名は紅絇。九十九の右腕的存在であり、副官を務めている。 ・・・多分。 「・・・・布・・人形・・?」 「うん。あのね。部屋に桃花ちゃんの美人画がいっぱいあるでしょう?それをね。見ながら、ちくちくってお兄ちゃん縫ったんだぁ」 見てみて~と無邪気に微笑むその姿は、何処から見ても子どものようである。 紅絇の妹に対する行き過ぎた愛情は今に始まったことではない。 妹の血肉から骨まで残さず食べても構わない。食すことで自分の物に出来るなら本望だと彼は本気で思っているのだ。 場所を問わずして繰り広げられる溺愛万歳なその様子を前にして、今日こそ何か言わなくてはと、桃花が一歩前に進みかけたその瞬間、腹部に強い痛みが生じ、彼女はお腹に手を当てたまま蹲ってしまった。 「・・いづっ!」 「ああほら・・無理するからだ・・体に障ると言っただろう」 成り行きを見守っていた梨皛が、彼女に寄り添うように腕を伸ばしている。 「・・・・ぐ・・」 眉を顰める彼女の表情に、一瞬にして紅絇の顔から血の気が引いていった。 「・・っ!とっ桃花ちゃん!?どうしたの!」 「いや・・あの・・」 「病気?病気なの!お兄ちゃんにも診せなさい!」 「・・いやその・・」 「ちょっといいか?邪魔をする」 「・・陛下」 「桃花」 「っ・・は・・い・・」 「奏幻に診てもらえ。その為に来たのだろう?」 「・・あ・・」 割り込む様に袖を伸ばした寵姫の声に、桃花の顔が僅かに揺れた。 よく見ると彼女の額からは脂汗がいくつも浮かび、顔は青ざめてしまっている。 その様子に寵姫の眉間の皺が険しくなった。

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