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第14話

―何を言っているのか、よく分からない。 けれど、恐ろしい。 それだけが、宇那(うな)の脳内を侵食しジワジワと支配していく。 言葉に出来ない。けれど離してくれそうもない。 ―例えるなら、硬く塞いだ箱をこじ開ける様に。 無理に塞いで重しを乗せた物を剥ぎ取るように。 忘れていたはずの、肌に絡みつく生温い赤が眼前を覆うように。 闇の中で見上げた一点の隙間から伸ばされた腕が、顔を掴むように。 「・・・っ・・」 瞬きせず見つめられ続けていた宇那の感情の糸が、ぷつりと切れたのは、それから数秒経過しての事だった。 『・・・ほぅ?』 眼前で大きな瞳を震わせながら見つめる瞳に変化が起きる事を悟った絽玖(りょく)は、表情を変える事無くその時を待っていた。 それは興味かもしれないし、変化かもしれなかったが、絽玖自身の好奇心を満たすには十分すぎる時間であった。 吊り上った頬と震えをどうすることも出来ない宇那の大きな瞳から、ぶわりと水滴が幾度も零れては頬を伝っていく。 彼は左腕をブンブンと揺らしながら絽玖の肩を離そうと力を込めるも、大きな身体はびくりとも動かない。 言葉にならない恐怖感だけが頂点に達したのだろう。彼は身をよじりながら足をバタつかせるが、それさえも絽玖には届きそうもなかった。 「・・・っ・・・」 「・・・・・・」 「・・だ・・いっ・・」 「・・・・・・・・・」 「・・ひぃっ・・だれ・・か・・だれっ・・」 左腕をブンブンと振り回す宇那の声が嗚咽に濡れていく。 「・・・・・・・・・」 「・・ひいぃっ・・!」 どれだけ叫ぼうにも、眼前から声が返ってくることはなく、頬を伝う熱い水滴が乾く度に痒みが生まれるも、目を覆う余裕さえも与えては貰えなかった。 「・・っ・・ぐっ・・!」 急に後頭部にビリッと強い痛みが生まれ、宇那は咄嗟に手を後ろへ伸ばした。 先ほどまで耳たぶに触れていた絽玖の指がグッと彼の後ろ髪を掴み、力を込めたのだ。 「・・・いづっ・・ぅ・・ゃぁ・・・」 「・・・・・・・・・・」 「・・・っく・・・ひ・・っく・・・」 しゃくりあげながら、首を左右に振る宇那を強く押さえるように、絽玖の手のひらがグッと押し出される。 「ぐぅっ・・・・!」 絽玖が噛みつくように宇那の唇を奪ったのは、それからすぐの事であった。 「・・・う・・・・」 零れる水滴を止めることも出来ないまま、身動きが取れない宇那の首筋をゆっくりと刃が進んでいく。 左手で空をかきながら藻掻く腕をそのままに、薄く開いた宇那の唇の中へ絽玖の舌が入り込み、唇を離すことなく幾度も角度を変えながら顎を動かしている。 その度にビクビクと宇那の背が揺れ、何とか逃れようと動く宇那の左手が空を描いた。 「ん・・んぅ・・」 「・・・いい子ですよ。宇那」 唇を少し離しながら呟いた絽玖の優しい声を前にして、宇那の瞳には怯えの色が浮かんでいる。 「・・んぅ・・ぐ・・」 呼吸を求める隙も与えられないまま、口を塞がれたせいで胸の奥が苦しさを増していく。 僅かな隙間から声を出そうにも、それは全て吐息へと変わっていった。 「・・・・ぅぐぅ・・」 餌を求める獣を彷彿とさせる荒々しさを隠すことなく動く絽玖の唇と、ねっとりとした舌の動きに頭の芯が痺れていくのを感じながら、宇那の瞳がゆっくりと閉じられていく。 捕食されていく虫を見るかのように、大人しくなる頃を待っていたのだろう。 柄を手にする絽玖の腕が弓を弾くように、ゆっくりと動いていった。 肌を伝う紅い鮮血。 襟をも濡らすその朱を見届けて直ぐ、絽玖は宇那を大事そうに抱きかかえると、 「少し席を外しますよ。九十九(つくも)」 と振り返ることなく呟いた。 「ああ。ついでに奴の様子も見て来てくれ」 「・・・ええ」 半壊した部屋からはところどころ穴が開き、白い雲が顔を出している。 半開きになった扉を閉める事無く静かに退室した絽玖の背を見届けると、九十九は視線を空に向けたまま 「・・・これは俺たち二妖の問題だ。わざわざこんな場所まで来るには、それなりの理由がある。文句があるなら部外者じゃなく、直接止めに来ればいい。・・そうだろう?」 誰に問うでもなく呟いて、手にしていた宇那の武器をカランと放り投げた。

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