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第3話

   ルークは夜遅くに帰ってきた。  それまで部屋でゴロゴロしていた春太は、ようやく話が聞けると気分を変える。  だが、ソファに座った春太は、ローテーブルに広げられた書類を読み言葉を失った。  何も反応のない春太を急かすように、ルークの背後に立つ眼鏡の男が口を開く。おそらく彼はルークの秘書なのだろう。 「水野様の主なお仕事は、エバンズ様の身の回りのお世話になります。ご子息様も対象です」 「いや、はい。それは分かるんですけど」  ははは、と。慣れた笑みをうかべる。春太がヘラヘラと笑っても、目の前の二人は表情ひとつ変えない。 「……すみません」 「いえ。説明を続けさせていただきます。雇用契約を結んでいるあいだは、こちらの家に住んで頂きます。そして一度契約を結びましたら、エバンズ様に関する全てのことは、絶対に他言無用でお願い致します」  ようは住み込みの家政婦だ。今までヒモ同然のような生活をしてきた春太にとって、家政婦の仕事は苦ではない。むしろ天職だ。  じゃあなにが、首を縦に振らない原因なのかといえば、高額すぎる給料と、書類にかかれている血の提供の文字。 「あの、血の提供って」  モルモットにされるのだろうか? 怯えを浮かべて春太が問う。ルークの瞳がこの時ようやく春太を映した。 「私の餌になればいいだけだ」  温度を感じない声音が部屋に落ちる。 「え、さ……?」  聞き間違いかと復唱する。ルークが背もたれから身を起こした。日本人の自分とは違う、彫りが深くて、絵画のような美貌が近づいてくる。 「お前を拾ったのは都合が良いからだ」 「都合がいい?」  そのとき、ルークの目の色が変わった。神秘的な紫眼が、じわじわと赤く染まる。宝玉のような赤眼が、驚愕する春太を映す。 「吸血鬼は知っているか?」  ひゅっ、といきをのむ。頭が理解を始めると、冷や汗が浮かんだ。 「御伽噺のように我々吸血鬼は、陽の光に焼かれて死ぬことは無い。だが、体調に異変を兆すのは事実だ」  淡々と言葉を読み上げるようにルークが話す。 「お前たちが知らないだけで、人に紛れて暮らす吸血鬼は多い。私もそうだ。共存していくなかで、陽を浴びるたびに体調を崩していては生活できない」 「でも、血を飲めば普通に生活ができるってこと?」 「そうだ。週に一度、僅かに口にすればいい。お前の本当の仕事は私に血を提供することだ」  ごくりと唾を飲む。信じられない話だった。映画や小説ではよく見るが、本当に存在しているなんて思わない。  だが、そんな考えを覆してしまうのが、目の前の男だった。  夜闇よりも深い黒髪。神秘的な紫眼は、今は赤く輝いている。そして、恐ろしいほどの美しい顔。  容姿だけで、誰かの心を飼い殺すことなど容易いだろう。私のモノになれ。その一言だけで、服従を願う者は後を絶たないはずだ。  だからこそ春太は気になった。 「なんで、俺なの?」  こんな高層マンションに住んでいるのだ。財力もあり地位も高いのだろう。そんな男がなぜ、ゴミ置き場に捨てられていた男を拾うのか。 「都合がいい」  また同じことをルークは言った。 「生きる気力のない人間。男に慣れた体。人との繋がりも気薄だ。死のうが消えようがお前を探す者はいないだろう。それはとても都合がいい」  あ、まただ。つきりと胸が痛くなる。どんどん大きくなる胸の痛みに、春太はヘラヘラと笑った。 「そっか」  そしてもう何も言えなかった。 「では契約を」  秘書はこんな雰囲気でも変わりない。春太が悄然とした気持ちでいるこに気づいているはずだ。  でもそれ以上に、春太がここを追い出されたら困ることも知っているだろう。財布も携帯も賢吾のところに置きっぱなしだ。  なのに、目の前にある書類には、春太のフルネームが書かれていた。実家の住所もだ。身分を証明するものは持っていないのに、彼等は全てを知っている。  春太が断らないことも。 「よろしくお願いします。あまり痛いのは怖いから優しくしてください」  ヘラヘラと笑いながら頭を下げる春太に、かけられる言葉はない。  ゴミ置き場から拾ったゴミ。  それを強く痛感した。

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