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第3話
帰宅したルークが当然のように口付ける。春太はそれを受け入れながら、心は全く違うところを見ていた。
「……っ?」
ふと、唇を離されて、春太は困った。
じっと見つめてくる紫の瞳が、どこか落胆を映していて、ここ最近忘れていた息苦しさを呼び起こす。
胸が痛くなる。その痛みに急かされるように、春太はヘラヘラと笑った。
何も考えていません。何も感じていません。
貴方の目の前に立つ俺は、一体、誰なんでしょうか?
「……お前」
ぐるぐると終わりのない闇が瞼の裏側で回っている。そんな意識を引き戻したのは、ルークの硬質な声音だ。
「お前のその情けない顔を見ると興味が失せる。……ゴミはゴミでしかないということか」
カラン、と。ゴミ箱の中に放り投げられる、自分の姿が浮かんだ。
「最近のお前は不愉快な言動が多かった。間違ったゴミを拾ったかと、自分の慧眼に呆れたが。……それでも今のお前よりはマシだ」
ぴしゃりと突き放されて、春太の頬がひくりと引き攣る。
「お前のような負け犬を少しでも面白いと思った私が情けない」
呆然と立っている春太の前を、ルークが通り過ぎていく。瞼が痺れるように熱い。鼻の奥がつんとする。
「ん? おい。今日の交換日記は──」
振り返ったルークが、こちらを見て僅かに瞠目した。
「泣いているのか?」
ひくりと喉が鳴りそうで、春太は唇を噛み締める。そして、ルークを睨めつけた。
「ゴミ、っで、わるかっ、たな!」
春太は玄関に並べられた靴を手にとるなり、がむしゃらに投げつける。
「おいっ、やめろ!」
「ゴミは、あの日、ゴミ捨て場で終わるときを待ってたんだ! そこを勝手に拾ったのはお前だろッ。そうだよ、お前の言う通り、俺なんかを拾った、お前が悪いんだ!」
「靴は投げるものではない!」
「こんなときに正論言うな! 細かいんだよ! 見た目がいくら良くても、中身はジジイの癖に!」
「なっ」
ルークの顔が少しだけ赤く染まる。紫の瞳がつり上がった。
「ゴミのくせに、私を愚弄するか!」
「俺にはな、春太って名前があんだよ! 水野、春太ってな! それに、俺をゴミって言うなら、お前はそのゴミを好む蝿か! ウジ虫か!」
「〜っこの、いい加減に、しろ!」
肩を怒らせてルークがやってくる。
投げるものがなくなった春太は、これでもかと猫のように、体を大きくし威嚇した。
両腕を囚われて藻掻く。その時に、春太の爪が自分の頬を引っ掻いた。
「……俺だって、傷つくんだ。……馬鹿野郎が」
しおしおと、怒りが消えていく。
「……傷は、見えるものだけじゃない。……見えなくてもずっと、見ないようにしても、笑って誤魔化しても、ずっといたいんだよっ」
「……」
春太の体がずるずると崩れ落ちていく。
黙り込んだルークも同じように膝をついた。
「……怒ったかと思えば、また泣く。お前たち人間はいったいなんなんだ。私には理解ができない」
「……他人事じゃない。あんただって、心があるくせに」
「私はお前たちのように喚いたりなどしない」
春太の額が、ルークの胸に押し付けられる。嗅ぎなれてしまった柔軟剤がふわりと香った。
頬にできた傷跡を、迷いのある指先がそっと撫でる。春太は黙ってルークが触れるのを受け入れた。
喧嘩ともいえない、お粗末な感情のぶつけ合いをした日から変わったことが二つある。
ルークはキスをする時に、春太の了承を得るようになった。靴を投げられて詰られたのが、相当堪えたようだ。
そして、春太は笑わなくなった。ルークの前という限定ではあるが。
今も交換日記の確認に、むっつりと唇を尖らせている。そんな春太を見て、ルークはなぜか目を細めた。
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