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第3話

   その二日後。土曜の昼に自宅の電話が鳴った。  初めてのことに、少しだけ緊張しながら受話器を取る。電話の相手は穏やかな声音をした、初老を迎えたと思われる男性だ。丁寧に名乗られて、頭の中で名前を反芻して気づく。  相手は、じゅんきに仕えるじいやからの電話だった。 「ああ、はい。こちらはいつでも大丈夫ですけど」  しかもなんと、先日の件でお詫びがしたいので、都合のいいときに訪ねたい、という要件だった。  部屋の中はいつでも綺麗だし菓子折りもある。急な来客にも対応は可能だ。  春太は不思議そうに見上げてくるテディを見下ろす。 「あの。テディに聞いてみるので、少しだけお待ち頂いてもよろしいですか?」  なれない敬語を使って保留音を流すと、テディと目線を合わせて事情を話した。 「……はるちゃん、一緒にいてくれる?」 「当たり前じゃん」  テディは悩んだすえに渋々ながら承諾した。  受話器をとり、話を進める。今日の午後3時頃に、じゅんきとじいやが訪ねてくることになった。  念の為に右京に報告をして、じゅんきたちを待つ。  春太と同じく、テディもあまり嬉しくなさそうだ。  それに、春太は洗練された所作や言葉遣いなんて知らない。失敗をしたらどうしよう。今からでも右京に代わってもらった方がいいのではないか。  そんな緊張の時間も、インターホンの音で弾けた。 「お邪魔致します。急な来訪にも関わらず、ご対応くださりありがとうございます」  じゅんきを連れてやってきたのは、柔和な雰囲気の男性だった。  まさに、爺やと呼ぶに相応しい容貌をしている。涼し気な面差しと、細身のスーツに身を包む姿は、少しの隙もない。歳を感じさせない、色気のある男性だ。  それに比べてじゅんきは、不機嫌そうに突っ立っている。春太とテディの視線に気づいた爺やが頭を下げた。 「申し訳ありません。少々、緊張しているようで。……こちらに向かうあいだは、テディ様にお会いできると喜んでいたのですが」 「なっ、爺! 余計なことはいうなっ」  まさか、そんなわけないだろう。  そう思ったが、案外嘘でもないみたいだ。じゅんきは顔を赤くして、モジモジしている。  テディの表情は相変わらず変化はない。でも別に、怒っているんでも、無視をしているわけでもない。テディも困っているのだ。 「立ち話もなんですから。どうぞ。……お菓子も用意してあるので、ゆっくりしていってね」  最後はじゅんきに声をかけて、リビングへと移動する。  カチコチとついて来たじゅんきは、迷いながらもテディの右隣に座った。 「……この前は悪かったな」  そして、尊大な態度で謝罪した。 「……いえ、べつに」  テディが淡々と返す。その様子を誤解したのか、じゅんきの眉が下がった。  そして、ポケットからキーホルダーを取り出して、テディの手に握らせる。 「……返す」 「……。ありがとうございます」  小さな手のひらに、大切な宝物が戻ってきた。少しだけテディの目元が緩くなる。  春太が紅茶を煎れながらその様子を眺めていると、爺やがやってきて手伝ってくれた。  慣れたように、美しい所作でお茶を淹れる。その手腕に見惚れていると、いつでも教えると微笑まれた。 「春太さん。坊ちゃんから話は伺いました。テディ様に傷をつけてしまったこと、深くお詫び申し上げます」 「いえ。……俺じゃないですし。それに、テディがこれは二人の問題だって言ってましたから」  春太が手を振ると、爺やはようやく頭を上げてくれた。そして、じゅんきのことを話す。 「坊ちゃんは以前から、テディ様のことを気にかけておられたのです。ですが、どうにも素直になれず……あのような愚行を」 「へえ」  じゅんきがキーホルダーを見つけたのは偶然だった。  よくテディを見つめていたじゅんきは、すぐにそれがテディのものだと気づいたらしい。  爺やに「早く返してあげたい。だから、明日は早起きして家を出るぞ」と、お願いしたそうだ。  なのに、まだ返していないと知り、爺やも驚いたらしい。  テディはいつも一人で本を読んでいて、じゅんきはそれを遠くから眺めるだけだった。仲良くなりたくてもきっかけが掴めない。  けれど、キーホルダーをとおして初めて話せたときに、思ってしまった。  ずっと返さなかったらテディと毎日話せるんだと。  じゅんきは泣きながら、爺やに告白したらしい。  そして、今度こそ本当に返すこと、傷つけたことを謝ることを条件に、今日は訪ねてきたと話してくれた。 「ひとりで居る坊ちゃんが可哀想で、甘やかしてしまった私の責任です」  春太はじゅんきが羨ましいと思った。大切にしてくれる人がいて、間違った時には叱ってくれる。  春太の家族は春太を居ないものとして扱った。あの家にいた頃の春太は透明人間だ。 「……甘やかしてくれる人がいて良かったですよ。子供のうちに沢山甘えるべきです」  誰に言うでもなく春太は答えると、爺やと共に席に戻った。 「ゲーム?」 「そうだ。俺の家にきたらゲームができるぞ」 「ふーん」  テディは興味なさそうに返事をする。玉砕したじゅんきが固まった。  きっと、ゲームをきっかけに、テディと親睦を深めたかったのだろう。  だが残念なことにテディはゲームをしたことがない。この家には、必要最低限のものしか置いていないからだ。  春太は一つため息をつくと、じゅんきの手伝いをしてやることにした。 「じゅんき君。どういうゲームがあるの?」 「……色んなのだ。敵を倒すのも、冒険するのも、島をつくるのもある」 「へえ」  じゅんきはテディをちらちらと見ながら話す。一方のテディは、手のひらにあるキーホルダーを嬉しそうに見つめて、聞いていなかった。  じゅんきが返すことを渋った気持ちもわからないでもない。だからと言って、テディを傷つけたことを許せる訳では無いが。 「ねえテディ。俺も結構ゲーム好きなんだけど、今度おもちゃ屋さんに見に行く?」 「……なんで?」 「テディ、わんちゃん好きでしょ? ゲームには色んなのがあって、動物を育てたりするのもあるんだよ」 「そうなの?」  ぱっと紫の瞳が輝く。 「見に行く前に、じゅんき君のお家に遊びに行って、ゲームがどういうものか教えてもらったら?」  春太の提案に二人は正反対の表情を浮かべた。  じゅんきは花が咲いたように笑う。その隣で、テディは困ったように、嫌そうにしていた。 「……はるちゃんも、一緒?」  そして、やはり妥協点はそこなのか、春太の手に触れて見上げてくる。 「……あの。はるちゃんも一緒なのは、だめですか?」  続けて隣に座るじゅんきの事も首を傾げて見上げた。  絶世の美少年に見上げられて、断れる人などいるのだろうか。じゅんきは振り子のように頷き、春太は少しだけ哀れんだ。  二時間ほど滞在して二人は帰っていった。じゅんきを見送りながらテディが呟く。 「……思ったより、怖くなかった。……たぶん」  初めて同年代の子とこんなに話をしたとテディは言っていた。  そして、カレンダーを見ると、小さな手で来週の土曜日に丸をつける。その日はじゅんきの家に遊びに行く日だ。  迷いながらもテディは進んでる。  自分よりもうんと小さい子を相手に、置いてけぼりにされた気分を味わう弱い自分が嫌いだ。

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