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ゴミ、過去を告白する。
2日が過ぎた。けれど、テディとは会えていない。あの日は奇跡的に調子が良かっただけで、あれ以来は会えそうもないほど酷かった。
何か物を壊すような音がするし、泣き叫ぶ声に飛び上がる日もある。
けれど、春太には何も出来ない。
テディが落ち着くまで、ホテルに身を寄せることになった春太のせいで、ルークもホテルで寝泊まりしている。
何かあった時に止められるのはルークしかいないからだ。
今日もまたテディの泣き叫ぶ声に何もする術がなくて立ち尽くす。
「……テディはいつ解放されるんだ」
ひとりごちると、ソファで英字新聞を読んでいたルークが顔を上げた。
「これだけ激しいのは半年もすれば治る。それからは徐々に治まっていく」
「半年っ?! ルークの時もそうだったの?」
「私は五年だ」
「……っ」
息を呑んだ。五年も隔離された部屋で、孤独に過ごしたのかと、知らぬうちに唇を噛み締める。
悄然とする春太を見ると、ルークは不思議そうに目を瞬いた。
「お前は本当に不思議だな。なぜ、自分のことのように考える? それに全ては過去の話だ。悲しむ必要がどこにある」
「……だって、ルークは孤独が何かを知らないぐらい独りだったってことだ。……何も知らないのは、何かを教えてくれる人が居なかったからだろ?」
「……」
初めてルークが口を閉ざした。
何かを考えるかのように目を伏せる。長い睫毛が瞳に影を落とした。
「そんなもの知ってどうする」
だが、直ぐに普段の表情に戻ると再び英字新聞に目を戻す。
その時また、テディの部屋からけたたましい音がした。変態する時は酷い痛みを伴うらしい。
今もきっと、その痛みから逃れようと、小さな体で闘っているのだ。
その光景を想像するだけで、春太の目に涙が溜まる。
「せめてテディの痛みを和らげる薬とかあったらいいのに……」
「あるぞ」
「は……?」
淡々とした返事に春太の涙が引っ込んだ。
「薬、あるの?」
「厳密に言えば薬ではない。私の血を飲ませればいい」
「ちょ、ちょっと! だったら、なんで! どうして!」
言いたいことが多すぎて、舌が絡まって言葉にならない。
ルークはこちらを見ると、目を細めて首を振った。
「私の血を飲めば痛みも衝動も緩和する。だが、強制的に終わらせることは、目覚めた吸血鬼としての能力を半減させる。……苦しみが強烈なほど、手にする能力も強いものになるからだ」
「……」
吸血鬼には吸血鬼のルールがある。
それは、春太に口出しできることじゃない。吸血鬼になることで、特別な能力を得るということは理解している。
それがきっと、誰かにとっては自慢出来るステータスであることは、何となく察せる。吸血鬼世界ではその能力が最もであることも。
だが、問いかけずにはいられなかった。
「……ルークはどうなの?」
「何がだ」
「ルークはその特別な力を持って、純血の吸血鬼として生きていることは幸せ?」
「……」
テディは吸血鬼として特別な能力をもつことを喜ぶだろうか。そんなこと聞いてもいないから分からないし、そもそも吸血鬼ではない春太には想像も難しい。
「テディは今、何を思ってるのかな。……ルークは隔離されていた時、本当に何も感じなかった?」
持っていると辛いから、手放して忘れてしまっただけじゃないのか。本当はルークだって、寂しいとか苦しいとか、思ったんじゃないのか。
春太の音にしなかった言葉を、ルークの瞳が見つめる。
しばしの沈黙の後、ルークはおもむろに立ち上がり、テディの部屋に向かった。
「……確かに能力を持つ事が幸せな訳では無い。それに元からテディは吸血鬼ではなかったのだから、力が弱くとも問題などない」
ルークは言い訳するかのように言うと、部屋の中に入っていく。
隙間から覗いた先には、体のあちこちに痣を作ったテディが居た。
床に蹲って、手負いの獣のように唸っている。
ルークを見るなり小さな手が弾丸のように飛んできた。
「生意気だ。お前ごときが私に勝てると?」
テディの拳を軽々とねじ伏せて、ルークは鼻で笑った。
そして、爛々と輝く攻撃的な瞳を見下ろして、静かに問いかける。
「お前は吸血鬼になりたいか?」
「っうぅ!」
「言葉を操れ。それとも、お前は獣か?」
毅然と言い切ると、蹲るテディを引っ張りあげる。少しだけ乱暴な姿に春太の心臓がドキドキと煩い。だけど、ルークのことを信じて二人を見守る。
「もう一度問うぞ。──お前は、吸血鬼になりたいか?」
「っ、……ぃ……らな……っ! ぃ、らな、っい! こん、な、のいらないっ!」
「……そうか」
ぐるぐると唸っていたテディが、たどたどしくも言葉を紡ぐ。頭を振って涙を流しながら、自分の言葉で話す。
大きな瞳は紫と赤の色を交互に行き来していた。
「では飲め。ただし、飲めばお前は吸血鬼達から半端者として扱われる。それでいいのだな?」
「いい! 僕は、はるちゃんや、みんなと、普通に暮したいっ」
ルークは目を眇めると、自身の指先を切り、テディに血を分け与えた。
テディは渇望した水を飲むように、必死になってルークの指に吸い付く。
やがて、喉の動きが緩まると、テディの瞼がゆったりと落ちていった。
「……テディ、寝たの?」
「ああ。次に目が覚めたら自宅に戻っていい。一度吸血鬼になってしまった以上、週に一度の吸血は必要だ。だが、隔離する必要はもうない」
「そう、なんだ……。ありがとうルーク」
春太はルークの元に歩み寄ると、膝を着いて感謝した。そして、ルークの手を取り、怪我をした指先にキスをする。
「テディを助けてくれてありがとう」
「助けたわけじゃない。……お前の言うことは一理あると思っただけだ」
例えそうでもテディは救われた。
「ルークはいいお父さんになれるよ。……テディはルークが好きなんだ。迷惑かけたくないから、一生懸命いい子にしてるんだよ。……きっと、二人は素敵な家族になれるよ」
泣きながら笑うと、ルークの目が細まる。
そして、濡れた頬に少しだけ温度の低い手が触れた。
「お前はそうではなかったのか」
「……俺は、違ったから。だから、すれ違ってる二人に、過去の自分を重ねてるのかなって、悩んだこともあった」
でも今は、それでもいいと開き直っている。
自分の気持ちを押し付けることは駄目だけど、でも春太がお節介をやいて、二人の距離が近づくのならいいではないか。
偽善だ、エゴだ、とそんな罵りが聞こえそうだが、それできっかけが掴めたのなら、春太にだって欲しかった。
幼かった春太には、そんなふうにお節介を焼いてくれる誰かさえも存在しなかった。
白状した春太に、ルークは悩ましげに口を開いた。
「……お前の過去とはどんなものなんだ。私達に口を出したくなる過去とはなんなんだ」
言葉にするルークでさえも分からないかのように、戸惑いながら、それでも言葉を生み出す。
「……私はお前のことが気になるということか」
「へ」
真っ直ぐな言葉に、春太は間抜けな返事しか出来なかった。
真剣に見つめてくる瞳には、揶揄る影など見当たらない。
ルークが春太に興味を示すなど想像もしていなかった。惚けそうになる頭を動かして、なんとか口を開く。
「……俺、妾の子供なんだ」
春太は初めて自分の過去を口にして、ルークの様子を伺った。
目の前の瞳に軽蔑の色が見えないことに安堵する。
「俺の母さんは四歳の時に亡くなって、その後、父さんの家に引き取られた。でも俺は、愛人の子供だから……。義母は俺が同じ家にいるのは許せないって、離れに家を建てて俺をそこに閉じ込めた」
春太は家を飛び出すまで、ずっとその離れに一人で暮らしていた。
父親はそれなりの金持ちで、家には常に何人かの家政婦が居た。
けれど、義母に命令されたのか、鬱憤を晴らす対象にしたのかは分からないが、当たりが強くて気を許せる人は誰も居ない。
血が繋がっているはずの父親は、春太に興味もないのか、話したことがなかった。
おまけに小学生の頃。意地悪な義兄にゲイである事をバラされてからは、環境はもっと悪くなる。
春太が言うまで食事が出されない事は常で、学校の給食だけで腹を満たすしかなかった。
でも週末はそういうわけにもいかない。
怖々としながら食事をお願いすると、文句を言われながら、残飯を出された。
だがある日、腐った物を無理矢理に食べさせられて、食事を強請ることはやめた。
五つ歳の離れている義兄は、泣いている春太を見つけると馬鹿にした。
──お前はまた泣いているのか?
──そんなんだから虐められるんだ。弱虫。おまけにゲイだなんて恥ずかしい。
何も言えなくて、無理に笑う癖がいつの間にかついた。
そんな春太を見ると、義兄はつまらない玩具を捨てるように、春太から興味を失う。
今思えばあの冷めきった家の中で、押し付けられる理想と期待から、義兄も逃げ出したかったのかもしれない。
父親は春太の母親を大層愛しており、義母とは政略結婚だったそうだ。そのせいか、義母が一人息子である義兄にべったりだったのを覚えている。
猫なで声で義兄に話しかけているところを、何度も見かけた。その癖に、思い通りにいかないと、金切り声で義兄をなじる姿も同じだけ見た。
そんな鬱憤の溜まる日々に、いつも泣いている弱虫な春太が居たのだろう。
だから、義兄はどうしようもない思いを、春太に八つ当たりしたのかもしれない。
けれど、大人になった今でも、義兄だけは許せなかった。
春太を慰めてくれる唯一のお守りを破かれた時、はっきりと憎いと思った。
けれど怒りよりも、義兄の方が恐ろしくて、春太は何も出来なかった。
今は亡き母が、穏やか笑顔で春太を抱っこしている、幸せに溢れた写真。
その宝物をビリビリに破かれた時、心も一緒に破かれたような痛みを味わった。
そして高校生になってしばらく経過した時。
義兄に何かあったのか、初めて噴き上がるような怒りを、春太にぶつけた。『お前は母親にそっくりだ。俺の父親を誑かして、家族を崩壊させた。お前だけが能天気に笑っているのを見ると、ぶち壊してやりたくなる』
言いたいことは沢山あった。
自分は決して能天気なんかじゃない。ヘラヘラと笑うことは、心を守るために作った鎧だ。
毎日毎日、家でも学校でも罵倒されて、己の性を否定されて、何も感じていないわけが無い。
学校では下品な揶揄いを受けていた。「ケツでオナニーすんの?」「俺たちに見せろよ」そんな言葉を投げつけられて、言い返すこともできない。
仲が良かった同級生も、春太の噂を耳にするなり離れていった。一緒にいれば、同じようにゲイなのだと疑われるからだ。
巻き込まないで欲しいと言われてから、春太は理解を求めることを辞めた。
ヘラヘラと笑ってやり過ごす。楽しくもないのに笑う。
そして、家に帰れば監視され詰られる日々。
──好きでこんな場所にいる訳じゃない!
我慢も限界だった。心はとっくに疲れきっていた。
春太はその日、義兄にそう言うと家を飛び出したのだ。
それから今日まで一度も家には寄り付いていない。たまに、父親の部下という男から連絡がくるが、今更なんなのかと返していなかった。
「だから愛なんてものは、本当はなんにも知らない。……母さんが優しかったのは覚えてるけど、それも四歳までの記憶でうろ覚えだ。……なにより、誰かに誇れるような生き方してこなかった」
力なく項垂れる。言葉にするほど、どうしようもない。
これまで何かを頑張ってきたことなどあっただろうか?
逃げて逃げて逃げて。そして、羨んでばかり。
ルークに話しながら、情けなくて恥ずかしかった。
「賢吾が言ってたことも本当だよ。……愛人みたいなものだった。俺は体でしか繋がって来れなかったんだ」
惨めだ。酷く惨めで、そんな自分が偉そうに説教するなんて、何様なのだろうと思う。
これまで、ルークに言ってきた言葉を、取り消したくなった。
「ごめん、俺……。頭冷やしてくる。ていうか、俺みたいな奴が、偉そうにするなって話だよな」
空笑いしつつ立ち上がると、ルークに腕を取られた。
振り返ると想像するよりも遥かに綺麗な瞳が、こちらを見ていて驚く。
つまらない話だと呆れているか、興味を失っていると思っていた。
「お前は確かに小言が多くて煩わしい。だが、お前の言う言葉には意味のあることが多かった」
「え、うん」
「……ああもう、泣くな!」
「っ」
困ったような声と同時に、ルークに抱き締められていた。
ぎゅっと強く腕の中に閉じ込められて目を白黒させる。
泣いていた自覚がないことよりも、この状況に理解が及ばず、思考が停止する。
「お前たちはどうしてそうすぐに泣く。……私を困らせたいのか?」
「……俺が泣くと、困るの?」
「あぁ」
「どうして?」
「知らん」
ぶっきらぼうに切り捨てるくせに、慰めるように頭を撫でる手つきは優しかった。
恐る恐る、春太の手がルークの服の裾を掴む。すると、応えるように、益々腕の力が強まった。
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