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第34話

   翌日。ルークは夜の23時過ぎに帰宅した。 「どうだった?」 「特にないが。……まあ、お前の言うようにテディと会うことに反対するのは辞めることにした」 「よかったね」  何時から会っていたの? 他にどんな話をしたの? 気を緩めれば思いのままに余計なことを聞いてしまいそうだった。  春太には関係の無いことだ。二人がどんな話をしようと、口出しする権利はない。 「安心したし、俺も寝るね」  テディが聞いたら喜ぶだろう。春太はそれだけ言うと部屋に戻った。だけど、いくら目蓋を閉じようともその日は眠ることなどできなかった。  二月が過ぎあっという間に三月になった。  翌週には待ち望んだお遊戯会が、初等部に併設されている大ホールで開催される。  毎夜頑張ってきたおかげで、衣装の方も残すはマントにスパンコールをつけるのみ。  今日はいつもより早めに作業をしながら、これまでのことを振り返り感動していた。  送迎の時にママさん達には大変お世話になり、色々とアドバイスをもらった。  お遊戯会が終わったらなにかお礼に菓子折でも贈ろうか。  なんてことを考えていると、玄関の鍵が解錠する音がする。リビングの時計を見ると、時刻は夜の21時前だった。  机に広げた道具を仕舞いながら、リビングの扉をあけてやってくる姿に「おかえりー」と声をかける。  ピンクッションに針をさして顔を上げた春太は、ルークの背後を見て目を見開いた。 「……夏帆さん」 「夜分遅くにすみません。お邪魔します」 「あっ、いえいえ。すみません片付いてなくて」  春太は狼狽えそうな心をぐっと噛み殺して笑みを浮かべた。  机の上をささっと布巾で拭いて、夏帆をソファへと案内する。 「夏帆さん、珈琲と紅茶どちらがいいです? あっ、そういえばほうじ茶とかもありますよ」 「気にしないでください。今日来たのはテディのお遊戯会に参加する招待状を取りに来たの」 「ああ、なるほど」  春太が納得すると、ルークがちょうど子ども部屋から帰ってきた。 「テディは寝ていた。……ほら、これが招待状だ。来たいなら好きにしろ」 「ありがとう、ございます」  ルークが傲慢な態度で美しい雪の絵が描かれた封筒を差し出す。封筒には「ママへ」と、テディの文字で書かれていた。  夏帆は無表情で受け取ると、大切そうに文字をなぞり鞄へとしまう。  その姿が、ストラップを大切そうに見つめるテディとそっくりで、春太はわけも分からず胸の痛みに瞼が痙攣した。 「では、帰ります。お邪魔しました」  用事を終えたとばかりに、淡々と立ちあがる夏帆に春太の方が狼狽する。 「えーと、流石にそれだけで帰すには……」  思わずそうそう言った春太だが、ルークは目を細めると、先程まで春太が座っていたダイニングに目をやった。 「お前は衣装作りで忙しいだろ」 「いや、それはさ」  確かにそうだが既にゴールは見えている。なにより、今日来るのだって多分勇気が必要だったに違いない。  現に夏帆はどこか緊張しているように見える。だからこそ、はいそうですかと言葉通りに帰すのは心苦しい。  そう胸中で悩んでいると、夏帆が「衣装?」と首を傾げた。 「はい。お遊戯会の衣装作りがまだ途中で……。こだわっていたらもう来週になっちゃって」 「なるほど。……あの少し見ても?」 「あ! もちろん」  夏帆の目の前に今まで作った衣装を並べる。そして、細かい作業の連続である、スパンコール付けに四苦八苦していると話した。 「凄い。春太さん器用なのね」 「いや、これまで色々あったというか……」  衣装を見つめる夏帆の横顔が、切なそうな嬉しそうな、そんな形容しがたい表情で春太は口を閉ざす。 「私もお裁縫は好きなの」  夏帆の仕事はデザイナーで、過去にはパタンナーとしても働いていたという。  その言葉を聞いたらもう、尋ねずにはいられなかった。 「夏帆さんだったらやっぱり簡単に作れますか?」 「どうかしら。大変だろうけど、でもやり甲斐はありそうね」 「……あの。だったら、夏帆さんが作ってあげるのはどうですか?」 「えっ」  春太は笑顔を浮かべて、もう一度伝えた。 「テディはきっと、お母さんの手作りの方が喜ぶと思います。……俺もそうだったから分かるんですよ」 「でも、ここまで作ったのにそんな──」 「いやいや。結局は素人ですから。……スパンコールつけるのも、うんざりしていたんですよね実は」  心にもないことを言って、春太は紙袋を取り出した。  材料ならまだわんさかある。何度も何度も練習して、納得いくまで作り直す気でいたからだ。  型紙や資料、その他にも必要なものをつめて、完成した作品もサンプルのために畳んで紙袋につめる。 「夏帆さんが嫌じゃなかったら、是非テディのためによろしくお願いします。来週といっても土曜日ですからまだ時間的に間に合いますかね?」 「ええ、それは間に合うけれど……」  時間だけが心配だったが、夏帆の様子を見る限り大丈夫そうだ。控えめな夏帆の事だから、春太の手前、作りたくても言えないだろう。  優しい人だなと思いながらも、チクチクと心が痛い。 「あの、春太さん」  紙袋を手にした夏帆は、玄関へと向かう途中で振り返った。そして真っ直ぐな瞳で春太を見つめる。  表情があまり動かない彼女は、瞳でその心をよく表現していた。 「貴方のおかげで、私は自らの手で失くしたものをもう一度手にすることができました。……あの日、貴方が私とテディを繋いでくれた。貴方がルークさんを変えてくれた。……おかげで、これから少しずつ変わっていけそうです」 「そう、ですか」 「私を一度も責めずに、チャンスをくださりありがとうございます。もっと二人を知っていけるように頑張ります。……以前ほど、ルークさんが怖くなくなったのは春太さんのお陰だから」  深く頭を下げた夏帆に「よかったです」の他に言えることなどない。  春太が作った場所がいずれ夏帆のものになる。二人を知りたい、変わるために頑張ると微笑んだ夏帆が羨ましかった。  夏帆にはここにいる権利や理由がある。だって彼女は例え縁を切ろうとも血の繋がりがあるから。  でも春太には何も無い。ただ、血の提供をする契約を結んだ拾われたゴミ。  二人のためにこれからもずっと頑張れる夏帆が眩しかった。 「俺はこれから何を頑張ればいいのかな」  夏帆を見送った後、静まり返った廊下に一人で立ちすくむ。進むべき道が急にわからなくなって足元が崩れ落ちそうだった。

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