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【5】夢じゃない
◇◇◇◆◆◆
目が覚めて、驚いた。
アリリオさまが見たことがないほど、焦った顔で俺を見下ろしている。冷たい視線ばかりで、恐ろしかった彼が目の前にいる。
夢の内容は鮮明で、アリリオさまからの拒絶よりも恐ろしい。
泣きながらすがりつく俺を払いのけることもなく、抱きとめて落ち着くまで待っていてくれた。
初めて見る、紳士的な態度だが、それを喜ぶ余裕がない。
夢と片付けるには現実感のある内容だ。
俺に未来を視るような異能はない。
そのはずなのに何もしなかった場合の数年後だと確信できる。
どのぐらいの時間が経ったのか「あの……」と声をかけられた。
顔を上げると主治医と執事が困った顔で立ち尽くしていた。
醜態をさらしてしまった。
慌てて、アリリオさまから離れようとするが、なぜか抱き込まれて動けない。頭を叩かれた。泣きじゃくっている見苦しさが許しがたかったのかもしれない。
「自分の顔が如何に醜いか自覚しろ」
「……泣き腫らした顔を隠してくださって、ありがとうございます。アリリオさまは、いつもお優しいです」
いつもなら愛想笑いで不快さを誤魔化したかもしれないが、今はそんな気持ちにはならない。惨めにひとりで死にたくないという恐怖から媚を売りたいわけじゃない。
へたくそな抱きしめ方に覚えがある。
弱っていった、俺の世話をしていた誰か。
妄想かもしれない。願望かもしれない。
そもそも、夢の中でのことだ。
俺を抱きしめてくれた、世話役はアリリオさまではないだろうか。
普通に考えればありえない。
どれだけの愛妻家でも、忙しい公爵が死にかけの妻の世話などしない。
けれど、独りよがりな食事のさせ方を思い出すと人に合わせることなど思いつきもしない性格が出ているとも思う。
新人で仕事が分からないにしても、仮にも貴族に対して気が使えなさすぎる。形だけの正妻でも貴族を殺すなど恐ろしくて、普通の使用人なら、もっと丁寧だったはずだ。
人の世話をしたことがない人間が初めてやったから、あんな風に不格好だった。そう思うと胸が熱くなる。
想像に想像を重ねた、事実とは程遠い妄想劇場は、アリリオさまの心臓の鼓動で肯定されていた。
早く大きな心臓の音を聞くたびに俺は気持ちが高揚する。
「好きです」
「は?」
「愛しております、アリリオさま」
アリリオさまは「気が触れたのか」と吐き捨てているが、体温は上がり、心臓は壊れそうだ。あきらかに動揺している。
今まで「愛することはない」と言われた言葉に縛られていた。
初めて会った日、俺のことを愛することはないと言われた。
どうして、諦めてしまったのだろう。
どうして、強がってしまったのだろう。
愛することはないと言われたのだから、愛されるために努力しようと思わずに逃げた。
愛されないのなら、愛したりなどしないとそっぽを向いた。
弱って、徐々に死んでいく中で愛されたいと強く願ったことは夢じゃない。
今の俺の本音だ。
隠して気づかないフリをした昔からの俺の気持ちだ。
愛さないと言われた。
それがどうした。
まだ愛されないと決まったわけじゃない。
人の気持ちは移り変わっていくものだ。
女の側室を求めるような浮ついた彼の気持ちを俺のもとに繋ぎ止めるために出来ることが、まだあるはずだ。
まだ、死んでない。
まだ、終わってない。
何を諦めているのだ、情けない。
間違った方向で努力して、意地を張った。
理解のある人間だと微笑んで我慢し続けた。
賢く立ち回らないといけない。
俺よりも美しく、残酷で、容赦のない女がやってくる。
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