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【7】自分の望み
『私はお前を愛することはない』
その言葉に傷ついたのと同時に自分の中にある欲望を見透かされた気がして恥ずかしかったのかもしれない。
自覚するとお腹の底がふわふわと揺れ動いて、落ち着かなくなる。
俺は初対面で図星を指されたのだ。
愛されたいと思っている俺の期待には応えないという拒絶の言葉。
愛されたいなどと言っていないと俺は反感を持ったが、本音は愛されたいと思っているので、悲しくてさびしい。アリリオさまは無神経で冷たい人ではなく、分かっていたのかもしれない。
俺は役に立ちたかったのだ。
婚姻は自分のためのものではない。
一族にとって必要な存在でありたかった。
妹を庇う兄という立場に酔っていた。
家族に立派な人だと思われたい。
アリリオさまを愛していたわけじゃない。
アリリオさまに愛されたかったわけでもない。
顔を見たこともない相手だ。
王の甥であり、俺との結婚を機に公爵になるお方。
そんな相手の心を努力もせずに手に入れようとしていた俺は本当に甘かった。手に入らないことを当たり前だと思って、諦めるのもまた早すぎる。何も試していない状態で、何もかもを諦めて、死んでいくだなんて馬鹿馬鹿しい。
初めて会ったあのときは、人格者であると思い込んでいたのも衝撃を上乗せしていた。
国の上層部にいる優秀な人だとしても頭の良さや剣術の才能は、人格とは関係がない。
性格に難があったとしても、それがアリリオさまだ。
出会った時の彼は生まれたばかりの子供ではない。
十代初めの次期公爵が、誰とも打ち解けられる社交性を持ち合わせていたら逆に怖い。問題だ。足元をすくわれる危険が増す。
冷たくて厳しくて、簡単に他人と距離を縮めないぐらいがいい。
アリリオさまの立場を思えば、偽りの友好を顔に張り付けて近づいてくる人間は多い。へたに他人と関わると思わぬトラブルに巻き込まれたり、思わぬ場所に責任が飛び火する。
ポンコツクソ野郎と思ったことは一度や二度ではないが、彼のすべてが間違っているとは思えない。
愛することはないと言われてあっさりと納得して引いてしまった俺が悪い。
根性なしだった。
頭を撫でているつもりなのか、アリリオさまは後頭部を叩いてくる。
彼は人を撫でたり、慰めたことなどないのだろう。
ろっ骨が折れそうなほど、抱きしめてくる腕の力が強かったが、苦しいと言ったら弱めてくれた。
やったことがないから、うまくできないのだ。
気づいてしまえばおだやかな気持ちになる。
悪夢に泣きだした俺を今もまだ抱きしめてくれている彼は、動揺していた。
俺に触れることを嫌がってはいない。
アリリオさまは、言葉と視線がいくら冷たくても伸ばした手をへし折ったりしない。
いつだったか、転んだ俺に手を差し伸べたりはしないが、担がれたことはある。
おかしな行動をする人だが、悪人ではない。
夢の中で俺は、側室だけではなくアリリオさまに毒を盛られた可能性を考えていた。あるいは、寵愛を与えている側室の行動を黙認しているのではないかと疑っていた。
俺など死んでしまえとアリリオさまが思っていると恐ろしいことを考えていた。
「今日は側室の面接だが――帰らせるか」
「もう、いらっしゃっているのですか」
「そうだ。貴様が寝汚いから、わざわざ私が呼びに来た」
恩着せがましいと以前なら内心で吐き捨てていたところだが、アリリオさまは多忙である。
彼は事実を言っている。嫌味のつもりは、きっとない。
今まで、早起きのアリリオさまに合わせて起きていた。
寝室を別にしたことで、早く起きる必要がなくなったと俺は判断した。
だが、アリリオさまはいつもの時間に起きていない俺を不審に思って、主治医と執事を連れて寝室にやってきた。
「お手数をおかけしました」
俺の謝罪に「まったくだ。手間をかけさせるな」と返すわりに嫌そうな顔はしていない。どこか得意げに見える。
威圧感のある冷たい美貌の印象から勘違いしていたが、調子に乗りやすいのかもしれない。
発言を文字に起こすと妹と同じだ。
すこし生意気なぐらいが愛嬌があっていい。
アリリオさまは今も昔も余裕のある大人な男性という感じではない。
俺よりも二歳上だが、幼稚な発言をポロっとする。
今まで、愛想をつかして、無関心になろうと笑って流していた発言を拾っていくのも手かもしれない。
無礼に無礼を返しても俺の立場なら問題ない。
インパクトのある受け答えのほうが、無難な返事よりもいい。
「もう少し、このままでいいですか?」
「構わん」
食い気味に了承してもらえた。
主治医と執事が困っている気配を感じるが、自分が弱って死ぬ夢を見たのだ。
これから、その原因と顔を合わせなければならない。
俺は戦わなければいけない。
どこにでもある、どこにもない、俺のための戦いだ。
生きるための戦いを放棄して得られるものなどない。
自分の命は自分が守るのだ。
命だけではない。
俺が守るのは、今まで俺自身が蔑ろにしていた尊厳だ。
譲っていい部分と譲ってはならない部分とがある。
自分が与えられていたものを俺は自覚していなかった。
勝手に何も持っていない気になっていた。
弱って泣いている俺をアリリオさまは抱きしめてくれている。
彼に優しくされるとは思わなかった。今まで知らずにいた。
傷つくことを恐れて諦めていた、理想。
愛されたいと思っている。
幸せになりたいと思ってる。
俺は自分の望みを自覚している。
人の気持ちを変えることは難しいかもしれないが、努力は惜しまないと誓える。
それでやっと相手と同じ土俵に立ったと言えるのかもしれない。
悪夢の中で、俺は戦うことを選ばなかった。
さびしさを自覚しないためにもっとさみしくなっていた。
愛されないと突き付けられることが怖かった。
必要とされないことは恐ろしいことだった。
何もせずに手にはいる都合のいいものなどない。
悪夢の形で突き付けられた自分の未来は何もしなかった世界だ。
愛さないと言われたが、愛されないと決まったわけじゃない。
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