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【9】万能の力ではない
「ともかく、どうなっている?」
主治医に視線を向けるアリリオさま。
執事と話をする気がない。
俺の手を真顔で揉んでくる。なんだか、面白い。
アリリオさまは表情があまり変わらない。
変わるのは雰囲気だ。
眉を寄せたり、口角が上がるだけで冷たかったり柔らかくなる。
綺麗な顔だからこそ、普通とは違った迫力がある。
見つめ合いたいという欲求が湧くこともあるが、口元のホクロを見つめているほうが気楽だ。
根付いてしまった苦手意識はすぐに改善するものじゃない。
「母子ともに健康です。問題ありません」
主治医の言葉にアリリオさまは満足そうに頷いている。
跡継ぎになる自分の子供が心配なのだろう。
妊娠しているのだから、俺の命は俺だけのものではない。
二つの命がここにある。
◆◆◆
着替えのために三人には退出していただいた。
アリリオさまは、なぜか居座ろうとしていたが、執事が気を利かせてくれた。二人は険悪な雰囲気になったが、気の置けない仲とは、ああいうものなのだろう。俺には、仲のいい友人も信頼できる部下も居ない。それなのに孤独であることを死ぬまで分からなかった。
主治医は公爵家が雇っている俺専用の医者だ。
屋敷の一室に住んでおられる。
手が空いているときは公爵家で働く人間の体調管理もしているらしい。俺が懐妊したことで、俺を診る以外の仕事は禁じられている。高齢なので、不定期で助手がやってくる。
公爵家の人間は俺の主治医とは別の人間が診る。
これは俺が男だからというわけじゃない。
公爵家の血とは、王族の血だ。
国王陛下の体調は何者にも優先される。
王の親族である、王族の体の情報があちらこちらに散らばっていては、いざという時に陛下への治療が遅れる。
他国では同じ病気にかかって、王族の九割が亡くなった例もある。病気は神に祈っていれば治るものじゃない。
情報の蓄積こそが全てだ。
アリリオさまの身に起きた病は陛下を襲う可能性が高い。
アリリオさまに役立った治療法は陛下を治す可能性が高い。
そのため王族一同、同じ医療チームが担当する。
俺の子供もアリリオさまと同じ立場になるが、俺は王族の血は入っていないので扱いは変わる。
低い扱いを受けているとは思わない。
お抱えの医者がいる時点で特別だ。
普通は貴族と言えども限られた医者を自宅に囲って、妻のことばかりを診るように頼まない。
公爵夫人専用という名目で優秀な人間を囲うのが先代の意向だったのあろう。公爵家には、主治医専用の温室がある。便利な薬草だけではなく、新種などの研究もしているらしい。
俺の悪夢は病気と言えるのだろうか。
アリリオさまの乳母、ファーラが心配したように心の病を患ってしまったのか。
自分に問いかけてみるが、答えは出ない。
病だとしたら、手を打たなければ弱り続けるだけだ。
俺は実家から持ってきた本の山を見る。
アリリオさまと顔を合わせるまでは、毎日のように読みふけっていた恋愛小説。
またの名を歴代のエビータ一族の私小説。
ただの恋愛小説という形に変えているエビータの女性たちが残した自分たちの物語。
波乱万丈でありながら、幸せで充実した暮らし。
夫となる相手のことを愛して、支えようとする模範的なエビータから、初恋の人を忘れられなくて夫とギクシャクしてしまう浮ついているエビータまで、様々な女性たちの人生があった。
エビータの数だけ幸せがある。
小説を読みながら、俺はそんなことを思っていた。
結婚生活は良いものではなく、良いものにしていくものだと書かれていた。
小説の中には、女たらしでスケベな夫に困らされたり、既婚者にも関わらず、女性からの誘いの絶えない夫を守る話もある。
自分が女性と対立する修羅場は想像しにくかったが、アリリオさまの立場を考えれば、ありえることだ。
国王陛下のご子息は、三人とも異能が強い分だけお身体が弱い。
異能の強さに体がついていけないらしい。
万が一がありえる。
アリリオさまは兄と弟が居たようだが、怪我や病気で亡くなっている。
暗殺を疑ったが、原因は自身の異能だという。
義父である先代公爵に聞いたところ、王族は未来視や先見といった異能を持ちやすい。
現在と未来の区別があいまいになり、普通ではない行動をして怪我をする。
先代公爵は未来の剣筋や落ちてくるものを予知できる程度なので、現在と未来の区別があいまいになることはないというが、アリリオさまの兄や弟は違う。
異能に振り回されて、怪我や病気を多くした。
貴族の証が異能であり、神の祝福だ。
だとしても、誰もが幸せになる万能の力ではない。
異能とは正しく使わなければ、自分を傷つけて、危険にさらすものになる。
着替えを終えて、ベッドに腰掛ける。
すでに側室になる貴族令嬢が来ているのだから、これ以上は待たせられない。
気は進まないが顔を合わせずに引きこもれば、負けを認めたようなものだ。
アリリオさまが俺の参加を望んでいる以上、無視するわけにもいかない。戦いを覚悟しても、不安は消えていない。
俺はこれから、アリリオさまに寵愛を受ける側室と顔を合わせるのだ。
あの様子だと、二人の関係はまだ進んでいないのだろうが、安心はできない。
目を閉じると意識が遠くなった。
妊娠したことで不調になりやすいと主治医が言っていた。
安産の異能により、エビータの人間は妊娠中毒などの病気は起こらない。男だから、姉たちとは勝手が違うのだろうか。
わからないが、ベッドの上に居るので仮眠ぐらいいいだろう。
心の準備が出来ているつもりでも、体の準備は出来ていないのかもしれない。
夢によって知った未来に体が怯えている。
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