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【35】彼のもの

◇◇◇◆◆◆ 頬を叩かれて乱暴に意識を覚醒させられる。 当たり前だが、リーやライではない。 音楽は鳴っていないので、二時間は経っていない。 目の前にあるアリリオさまは心配してくれているはずだが、涙でぼやけて表情が見えない。 朝にあれだけ泣いたのに悲しくて、息苦しい。 親子の不仲を見せられたからか、どちらの気持ちも分かる気がしているからか。 アリリオさまは自分勝手な人間だが、俺も同じように自分のことばかり考えて、他人を見ていない。目をそらして、逃げていた。 俺が居なくなって、残されてしまう息子のこと。 俺とアリリオさまのことを心配してくれていた使用人たち。 知らなかったでは済まされない。 息子が口にしていた第二王子という言葉で思い出す。 肩口で髪を切りそろえているにも関わらず、前髪が斜めという奇抜な彼と顔を合わせたのは結婚の報告を国王陛下にした時だ。 廊下で「子供たちを助けるために活動しているんだって?」と声をかけられた。 声は冷たく尖っていた。 世間話をしたいのか、自分のいとこの伴侶を見定めているのか俺のことを調べているようだった。「年下なのに感動するよ。その年で国中を回るなんてね」と暇人だという罵りを受けた。 本来なら社交界に顔を出して、将来のためにコネを作る時期だ。 アリリオさまとの結婚が決まっていた俺には必要ないことだった。 婚姻が決まった女性とは違って俺はお茶会にも舞踏会にも参加しない。 アリリオさまがそれを必要としていないからだ。 公爵家であるカーヴルグス家は横や縦の繋がりを必要としていない。 あえて言えば、王族が必要となる式典にはアリリオさまの同伴者として顔を出すが、一般の貴族たちと顔つなぎなどしない。 『貴族からの支援を得たいならパーティーで顔を売ったり、カーヴルグスの名前で援助するための基金を募ればいい』 どうしてそうしないのかと第二王子に問われて、何も言えない。 婚約者だからと、アリリオさまの力を使いたくはなかった。 どうしてもという時は名前を借りているが、自分がやりたいことだから、自分の責任のおよぶ範囲で行動していた。 『子供たちのことを思うなら、将来的に孤児院が不要になる国づくりが必要じゃない? どうして君は目の前の助けやすい相手しか助けないんだい』 ろくに言葉を返せなかったことだけ、覚えている。 自分がしていることが、すべて間違いで、誰のためにもなっていない気がして消えたくなった。 アリリオさまが俺の顔面にお湯をバシャバシャとかけてくる。 イラっとして、胃が重くなった感覚が薄れる。 第二王子に詰め寄られて、言葉を失くしていた俺の前に立ったアリリオさまを思い出す。 『誰のものに何を言っている。今すぐ、助けを必要としている相手を救って何が悪い。困窮している者に、明日などない。制度の見直しが必要だというのなら、他人に任せず自分でしろ。国づくりを他者に任せる王族が居るか』 アリリオさまの言葉に言い返せなかったのか、第二王子は口ごもった後に立ち去った。 第二王子の言葉は正しい。 俺は出来ることしかしようとしない。 アリリオさまに抱き着いて「愛しています」と口にする。 嫌がられている気配はない。 俺はズルい人間だ。 愛してもらうためにがんばると決めても、愛される可能性がまったくなかったら、徐々に勢いがなくなったはずだ。 努力に見合わないことばかりでは、心は擦り切れてしまう。 愛する以上は愛されたい。 愛されなくても必要とされたい。 役に立たないお荷物だと思われたくない。 大切にされなくてもいいから嫌われたくない。 嫌われないためだったら何だって我慢する。 それで上手くいくんだと思い込んで、死んでいった未来の姿は愚かだとしても精一杯の俺だった。 勇気は付け焼刃で、ふとした拍子に剥がれ落ちてしまう。 けれど、大丈夫だ。俺は間違っていない。 触れあって感じるアリリオさまの息遣い、鼓動の速さ。 他人に対して無関心としか思えない彼が俺に対してだけは違う。 期待するなという方が無理な話なのに期待を裏切られる恐怖に怯えている。 ベラドンナの顔にろうそくをかけていた冷たい横顔と俺を叱りつける顔は違うはずだ。 俺の知らないアリリオさまの姿を思い出して、勇気づけられる。 彼は怒っているのではなく、俺を心配している。 リーの言葉を思い出す。 アリリオさまは俺が俺を大切にしていないことに腹を立てている。それは正しい気がした。 彼は俺の所有権を自分にあると思っている。 彼は彼のものを大切にする。 それなら、その言い分に合わせればいい。 エロで主導権を握ると決めたのだから、今更、羞恥心も自尊心も邪魔だ。 彼の言い分に合わせたところで、俺の中の何かが減ったり、変わったりすることはない。 下手(したて)に出て死ぬわけでもないのだから、無駄に意地を張るものじゃない。 男のくせにという目で見られるのが嫌で、夜が嫌いだった。 今なら、男だからこそという顔で、笑ってそばにいられる。 彼が不器用に俺の頭を撫でているから、大丈夫だと思える。 愛さないと言われたが、愛されないと決まったわけじゃない。 ------------------------------------------------ 次話からアリリオ視点。

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