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〔五〕自分だけの特別な相手以外を気にかける意味などない

じゅるるの実とお湯だけでローションを作ると独特な臭いが残るが、植物と一緒に低温で煮込むミルカのような爽やかな香りが定着する。 自分好みのローションを作るのは最近の貴族の流行だが、落ち着かない顔で粘り気が出てくるお湯と遊んでいる彼は知らない。 バスタブ一杯のローションを作ることをもったいないと思っているのかもしれない。気後れしている気配がある。 夫婦の夜に資金を出し惜しみする方が、問題だ。 そういった常識に欠けているので、乳首をじゅるるの実の皮ごしに無言で押し続ける。 自分の想定と違ったのか、戸惑った空気を出されたが知ったことではない。何をされたいのか言わないほうが悪い。 いつもなら制止を聞かずに足で下半身をひたすらいたぶった後に浴室の床の上で四つん這いにしたり、壁に寄り掛からせる形で後ろから責め上げる。 褒められた行いではないかもしれないが、嫌がらないのが悪い。 いつだってされるがままだ。 腹立たしかったり疲れていることが多いと啼かせたくなるが、戸惑ったり慌てたり耐えるようにくちびるを噛むので、楽しくない。 矛盾しているようだが、やりたくてやっているのにやりたいと思ってやっているわけではない。 ベッドの中での義務感じみたやりとりも、浴室内に無理やり声を響かせるやり方も本意ではない。ただ、香水まみれの体を洗いつくして、失禁まで追い込むのは面白い。 最初はくすぐったがるだけだった声が、濡れたものになり、快楽にぐずぐずに崩れていく。 夜の魔物と呼ばれる香水は、強い興奮剤だ。 体が弱い人間には悪い影響を出す。 自分の体が丈夫ではないと言いながら、夜の魔物を使おうとする彼は、途方もない馬鹿者だが、売りつけてくる商人も悪い。 夫のためと言われたら、彼も買うしかないだろう。 彼の視野の狭さを分かった上で商人はあれこれと売り込んでくる。 倹約家に見えて、公爵家がケチ臭く見えてはならないと思っているのか、商人に対して一定のお金を使わなければならないと考えている。最近は抜け道を見つけたのか、本を取り寄せて、読み終わったら私の名義で孤児院に寄付している。 自分の名前を出さずにする行動は、どんな善意に満ちたものであっても善行ではなく、自己満足だ。 自分が間違っていないと思うのなら、自分の名前を出して堂々とするべきだ。批判も称賛も、自分の行動の結果として受け入れなければならない。それが嫌なら何もしないことだが、何もしないでいることが出来ない人間もいる。 思い出すと苛立ってくるので、じゅるるの実の皮を湯船に放り、乳首をつねりあげる。肌着越しでも痛いらしい。 つらそうな表情をするものの、声を上げずに震えて耐える。 声なき悲鳴は不快なものだ。 孤児院の件はどれも腹が立つことばかりで、思い出しては嫌になる。 自分の評価を上げようとしないどころか、貶めることばかりをする。 救いようがない愚か者だ。 勇者語録の『お天道様が見ている』という言葉を好んでいるようだが、思想はどうあれ、使い方が歪んでいる。 神だけが自分の行いの正しさを知っていればいいという、人間を軽視した考え方は、何をしても治りそうにないのが気持ち悪い。 乳首が痛いと目で訴えてくるが、自分が私の手をそこへ持っていった手前、やめてくれと言えない。 いいや、やめて欲しいのなら一言があれば、やめてやろうと思っている。だが、言葉にして訴えることをせず、困った表情のまま時間が過ぎるのを待とうとしている。 不愉快極まりないので、じゅるるの実の皮でわきの下をこする。 肌着がなくさらされたわきの下は、肌着越しの乳首よりも刺激に弱かった。「ゆるしてください」と涙目で懇願してくる。 許すはずもないが、情けない顔をしているのが絶妙にそそられるので、許してしまう私もいた。 お湯の温度が下がり、ローションとして硬めの質感になったので湯船から出ることにした。 ローションで満たした湯船を楽しんでもよかったが「ローション風呂は早すぎる」とごにょごにょ言っていたので、昼間は自重する。

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