59 / 113

【幕間4】小ネズミ

「わたし、他国から来たんだけど――」 「まあ、そうだろうな」 「あら? どうして、わかったのかしら」 生まれも育ちもこの国なのに、他国の人間に見えるのだろうか。 街で浮かないように気を遣って服は単色だ。 装飾品だって、指輪以外は持っていない。 指輪も包帯を巻いて隠している。 「どうしてって、あんたみたいな若い娘が堂々とこんな店に来てたら、迷い込んだんだなって思うところだ。あ、共通語がうまいな?」 ベージュのズボンとタンクトップという、ほぼ全裸みたいな変態野郎が酒を片手に話しかけてくる。 「いろんな国で、偉い人のうわさを聞いてるの。共通語が上手いのは当然よ。それで、商売してるんだからね」 「へー、なんだい。公爵様の話をしたらその金貨くれるって?」 「ええ。お渡しするわ」 わたしたちの話を聞いていたのか、何人かが「その話、おれも乗りたい」と乗ってきた。思った通り、口が軽い。 ◆◆◆ カーヴルグス・ヴィクト・アリリオさまは、各地で魔獣討伐をする英雄であり、新婚なのに大忙し。ほかに美貌と剣術を褒めたたえる言葉の雨。 とくに目新しいことがないと肩を落とすわたしに、男たちは、金貨は気にするなと笑った。 「おれたちは、公爵様が素晴らしい方だって言いたかっただけだ」 「先代が良かったが、今の公爵様はスゲーぞ」 「兄弟に不幸があったのを跳ね除けて、大活躍だ」 「子供や老人の面倒を見てくれてるらしいな」 最後の言葉だけ、気になった。 公爵領が平和であるのは、英雄であるカーヴルグス・ヴィクト・アリリオさまの功績のたまものかもしれないが、結婚後に子供や老人のことを考える制度や支援が増えたらしい。 「それって、公爵様の仕事? 結婚したんだから、公爵夫人がやってるんじゃない?」 「夫人って言っても男だろ?」 「男だからこそ公爵様の代わりができるんじゃねえの」 「役人たちは公爵様の命令だって言ってるだけで、夫人の話なんか聞かねえなぁ」 制度が変わったことを知っていても、自分に関係ないことまで、人は記憶しない。エビータの教えを思えば、影から夫を支えるのが正しいけれど、支えるまでもなく光り輝いている英雄が旦那様だ。 りったんにやり方が正しいのか、問い詰めたい。 でも、分かってもいる。 りったんは、人から感謝されたいわけじゃない。 ガチ姉が他人の目を気にしている優柔不断だとりったんを批難するけど、それは違う。りったんは、他人の目ではなく、自分を気にしている。 自分が誇れる自分でありたいだけだ。 「そういえば、公爵様が結婚してから、こういう酒場につきものだった、小ネズミを完全に廃止したんだよな」 「小ネズミって? ネズミって、あの?」 「嬢ちゃん、動物のネズミじゃねえぞ。子供のことだよ。貧しい地方だと、ないかもしれねえけど――」 わたしは、この国に根付いている風習を思い出した。 白い布が汚れるとまだら模様になるので、灰で汚してから捨てる。 捨てると言っても家の外に置くだけだ。 すると、布を求めた誰かが持っていく。 汚れている布でもないよりマシなのは、大抵が親を失った子供。 働くことも出来ない子供は、酒場やレストランの足元を体を縮めて移動する。 客の食べこぼしを掃除という名目で、もらうためだ。 小ネズミと呼ばれる床を這うボロをまとう子供たちが腹を空かせていそうなら、客も気を利かせて、パンをちぎって投げたり、一口しか食べていないチキンを床に捨てる。 外を知らないりったんは、その光景にショックを受けていた。 わたしたちエビータが学ぶ、人間とは違うものがそこにあった。 チップの払い方も分からない子供のりったんには、刺激が強かったと思う。 悲しいことにわたしたちエビータは、来るか来ないか分からない勇者のために人権とか尊厳とか、この世界ではクソの役にも立たないことを学ばせられている。 勇者が感じるだろう違和感に共感できるよう、この世界で生まれたにもかかわらず、異世界の常識や感性を刷り込まれる。 思春期のエビータが荒れるのは、今まで教えられていたことが世間一般とは違い過ぎて、混乱して訳が分からなくなるからだ。 人は平等だとか訳わかんないこと言ってんなって話だよ。 平等だったら、人間の子供を小ネズミだなんて言うわけがない。 自分の子供ではないから、他人だから、当たり前だから情がない。 子供たちが、這いつくばって残飯を待つことよりも、それを大人たちが当然だと受け入れていることが、気持ち悪い。 りったんの気持ちは、わたしもエビータだから分かる。 でも、社会の流れを変えることは出来ない。 わたしたち(エビータ)は、 圧倒的な力を持つ勇者にはなれない。 「いつもの光景だったから、小ネズミがいないのは不思議な感じだよな」 「おれは安心したけどな。わざと食事に手をつけずに踏みつけたりする罰当たりとか見ると気分悪い」 「そりゃあ確かにな。踏みつけたパンは小ネズミどころか、普通のネズミも食わねえだろうさ」 勇者は居ないが、英雄は居た。 彼らは、彼らの普通の中で生きている。 わたしやりったんが受け入れられない普通の中に居る。 小ネズミと呼ばれる子供たちより、食べ物が台無しになることが問題になるのは、食糧事情を考えれば普通のこと。 りったんは、嫌だったに違いない。 受け入れられない。 食べることが出来ない子供の前で、普通に食事をする自分が嫌だったに違いない。 誰かに褒められたいわけでも、誰かに誇りたいわけでもない。 納得がいかない状況に身を置くことが苦痛なのだ。 自分だけを満たすことに罪悪感を覚えてしまう。 安全な場所で、生きていることに息苦しさを感じている。 飢えて、弱っている子供を見過ごせないのは、善意じゃない。 手を差し伸べるのは、自己満足かもしれない。 自分がつらくならないために人を助ける。 感受性が強いのか、共感性が高いのか。 苦しむ人を見るとりったんは苦しくなってしまう。 自分だけが良ければいいなんて思えないから苦労する。 りったんの望みは、理想論で現実的ではないこともある。 それでも、頑張ったからこそ、叶えられた世界がにある。 「今日はおごりだ! この金貨で、飲めるだけ飲むぞおぉ!」 安い酒にそこそこの料理。 意外と紳士的な男たち。 この国は大っ嫌いだが、公爵領は悪いところではないのかもしれない。そう思えた。 ◆◆◆ 目が覚めて驚いた。身ぐるみを剥がされていない。 いたずらをされた痕跡もなく、酒場で酔い潰れていた。 この国は、いつからこんなに治安が良くなったのだろう。

ともだちにシェアしよう!