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【幕間5】期待してる
「どうしたんだ、嬢ちゃん」
「何もないから、ビックリしちゃった。あ、この床のマント誰のだろう。お礼言っといて」
わたしが下敷きにしていたマントを畳んでチップと共に酒場の店主に渡そうとしたら、親指をクイっと出入口のところに向けられた。
立っていたのは大男だ。いいや、違った。
メイド服を着ている。
女装している変態野郎だと思ったが、わたしの異能が目の前の相手を女子だと判断した。
男っぽい女もいるかもしれないけれど、男らしすぎる。
見ていると横からもう一人あらわれた。分裂できるらしい。
「公爵家の使用人様だよ。……あんた、公爵家の客人だろ」
「え、あ……はい」
安い酒場の店主を舐めていた。
何も分からないと決めつけていた。
「たまたま立ち寄ったって感じにしては、小奇麗で手荷物がない。金貨を見せびらかすわ、あの子たちを連れてるわ」
「ご迷惑をおかけしました」
「いいって、いいって…………あんた、公爵夫人の話してただろ」
店主と話していても、公爵家のメイドは、動かない。
巨体が縮まるわけでもないので、オーラで大きく見えているわけでもないらしい。
異世界にある風神雷神というのは、この人たちみたいな像なのかもしれない。勇者語録で語られている迫力を疑似体験してしまった。
「公爵夫人が、なにか?」
りったん情報を聞き逃したりしないわたしは、公爵家のメイドを待たせている自覚があっても動けない。彼女たちも何も言わないでくれた。よく教育されている。
「正直、嫁が男なんて……婚約のときから、公爵様が、かわいそうだと思ってたんだが、ここに|来《き》たんだ。いや|来《こ》られたんだよ」
かわいそうってなんだよ、豚野郎と店主に食ってかかりたいのを我慢する。りったんの評判を下げるわけにはいかない。
「おれにとっちゃ、愛着のある店だけどよぉ……公爵夫人みたいな、スゲー人が、こんなとこに、わざわざ、足運んでさぁ」
庶民は貴族のことを生身の人間だと思っていない。
神の奇跡を宿した尊い存在だと考えている。
そういう風習は今も変わらないようだ。
公爵領なので、異能や貴族への信仰はあついかもしれない。
王族に近い血は、どこの国でも敬われる尊いものだ。
「小ネズミたちを、店においていてくれてありがとうって言ったんだ。おりゃあ、酷いことをするって、ムチが来るかと思ってさ」
涙を滲ませる店主は、恐ろしい思い出としてではなく、感激したことを伝えたいらしいが、要領を得ない。口調がおぼつかない。
つい、出入口にいる風神雷神もとい公爵家のメイドを見る。
「最近、こういう酒場でも、小ネズミと呼ばれる子供の清掃係は、雇われることが減りました。汚らしいと店どころか街から追い出されることが増えています。旦那様の結婚後は、とくに街を綺麗にしようとする市民たちの意識が高まり、小ネズミと呼ばれた彼らに過剰な暴力をふるって、追い出そうという傾向にありました」
彼らが生きようとあがいている姿を見苦しいと感じたのは、わたしも同じだ。存在自体をなかったことにしたい。
酷いと思うが、見たくないと感じた。
「奥様は、這いつくばる子供、一人一人に、ここに居なくても、ご飯が食べられるからと説得され、孤児院に連れて行き、手づから汚れた体を洗われ、食事を振る舞われました」
こういう保護活動を神殿がやるべきだが、彼らは何もしない。
自分たちに都合の悪い対象を見つけたら、やり玉にあげて、庶民を扇動して、迫害する。
野蛮で低俗な嘘つき集団だ。
「ここに居た、小ネズミがなぁ……公爵夫人の髪を食いやがったんだ。キラキラしてて、おいしそうだって、いい匂いがしたって」
小ネズミへ本気で怒っているような店主の姿に引く。
公爵家への攻撃と取られたら、店が潰される可能性もある。
店主に罪はなくとも、小ネズミの命だけでは足りないとして、店まで被害が出るのは、貴族のやり方を知っていれば、想像がつく。
「自分の髪をテーブルにあったナイフで切って、小ネズミに与えたんだ。食べ物じゃないから、飲み込んじゃダメだって言いながらさ……公爵夫人は、髪の毛をくわえて離さない子を責めなかったのよ」
店主からすると理解できない人種だっただろう。
ネズミを駆除するように小ネズミ が駆除 されると思ったのなら、なおさら驚いたはずだ。
「本当にすごい方ってのは、おかしなことを平然とされるんだなぁ」
感心しているのは間違いなかったが、店主はりったんの考えに賛同しているわけではなかった。それでもいい。きっとここからだ。
すぐに意識を変えることは出来なくても、りったんが公爵夫人なのだから、この公爵領の住人たちは、次第に変わっていく。
上の命令が絶対だというなら、公爵を神聖視しているというなら、いつの間にか、りったんの思想に染まっていくしかない。
りったんの勝手な行動ではなく、英雄、カーヴルグス・ヴィクト・アリリオさまが公認なのだから、誰もが今のままではいられない。
りったんは、りったんの理想のために動いている。
わたしと同じで、自分に恥じない自分でいたいと思ってる。
「べつに、廃棄するミルクじゃないのに、公爵夫人の髪を口に入れてる小ネズミにミルクを渡したんだ。なんでだろうな。捨てるものじゃないのに、あの人が綺麗な髪を渡したりするから、おれもさぁ」
自分の行動が、恥ずかしいのか頭をかく店主。
「なんだろうねぇ、パっとしねえ顔の御仁だと思ったのにミルクの礼を、言ってくれてさ。たいしたことねえってのにさ。なんだか、まぶしく見えて……公爵夫人だから、そういうもんかねぇ」
昔の、膝を抱えたりったんを思い出す。
期待したいのだと言っていた。他人に期待したい。他人の優しさに、他人の善意に、他人の真心に、期待したいという。
自分と同じ気持ちが他人の中にもあると、期待してる。
店主にとっては、なんとなくの衝動かもしれないが、今後、飢えた子供に自発的に物を食べさせようと思ってくれるかもしれない。
店の床を這って残飯を求める小ネズミは当たり前ではなくなった。
期待したいと言ったりったんを馬鹿にしていた一族のクソ女は多いけれど、半分心配、半分妬み。みんな気持ちは複雑だ。
いつまでも純粋で真っ直ぐで青臭い主張はやめろと、口では馬鹿にして、心では、りったんが傷つかないことを祈ってた。
警告ではなく罵倒になれば、足を引っ張る最低の行為に変わる。
わたしは、自分の弟分が不幸せになるのが許せない。
だから、りったんの実の姉たちのことが嫌いだったが、カーヴルグス・ヴィクト・アリリオさまのことは信じてもよさそうだ。
新婚とはいえ、ここはまだ他人の縄張りだ。
そのはずなのに、りったんはすでに自分らしく行動している。
大切にしてもらえているから、あの臆病者が、安心して動いている。
巣穴から顔を出している小動物を想像して笑う。
きっと大丈夫だから、出ておいでと外に誘われたんだろう。
行動を起こすことをためらうのは、今日の自分が、昨日の自分を、台無しにすることを恐れているから。
わたしにも覚えがある、恐怖とためらい。
自分に対してすら腰が低いりったんクオリティが笑えて、そして、そういうところが、好きだと思った。癒される。
「……公爵家のメイドさん、りったんがわたしを呼んでるの?」
「いえ、お姉さまがお帰りになられるなら、送るようにと」
「もう一度会うつもりだったけど、このまま帰るわ」
自分の夫の顔が見たくなった。
りったんのことが心配だと恩着せがましく言いながら、新婚家庭に押しかけたのは、わたしが限界だったから。
先日、大臣の不正を暴いて、処刑した。
必要なことだった。
けれど、胃が重苦しくて、罪人を裁くという正義をおこなって、具合を悪くするわたしを誰も理解しなかった。
他国であるからではない。
わたしがいつも気の強い女でいるからでもない。
この感覚の違いは、エビータと他の人間との違いだ。
次はりったんの自慢の旦那様が居るときに顔を出そう。
分かり合えなくても寄り添い合えるなら、わたしたち は孤独ではなくなる。
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この数年後にりったんが亡くなったと聞いたときのしーちゃんの気持ちときたらない……。
(そんな未来にならないように頑張れ、主人公!)
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