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〔五a〕優先順位
「奥様に毒を盛ったって! あー様、どういうことだよ」
どうもこうも、毒を盛った事実などない。
ピネラは何を勘違いしているのだろうか。
私が彼に危害を加えるわけがない。
ラチリンで腹が苦しいという訴えはちゃんと聞いてあげた。
改善する点は改善しているのに批難されるいわれはない。
「主治医が、診察に行った際に水に溶かされた堕胎薬がコップに入っていたって――」
「ああ、私がやった」
「なんで、涼しい顔で自供するんだよ! せめて、違うって言ってくれよ。お願いだよっ」
執事やメイドが私につかみかかるピネラを押さえつけようとするが「構わん」と止める。ピネラは執事ではなく、友人として、自分の考えをぶつけてくれている。
当主の立場ではなく、私個人として言葉を受け止めるべきだ。
「こんなのってないだろ! 側室だってよくなかったと、思って、でも、奥様のことを思ってのことなら……夫婦のことなら、口を挟むべきじゃないって、でも、これは」
ピネラがここまで過剰反応するとは思わなかった。
ここまで気安い口調は、兄が生きていたとき以来だ。
あの頃は、私の補佐ではなかった。
仕える人間の弟に対する気安くも雑なあつかいだった。
興奮しているピネラは、自分の兄弟が私の兄によって流されたことを思い出しているのかもしれない。
ピネラは私の兄に、ピネラの弟は私の弟に、それぞれ仕えていた。
私に仕える相手を、乳母であるファーラは孕んでいたが、兄が突き飛ばして流れてしまった。ピネラが兄に対して、忠誠心が低いのは、この行動が原因ではないかと睨んでいる。
未来において存在してはならない命だと幼心に兄が判断したのか、幼いゆえに異能で見た光景を勘違いしたのかは、分からない。
ファーラに対する悪意や悪戯ではないというのは、聞いている。
母は唯一の親友というほどファーラに心を許していたので、ファーラが流産したことを、自分のことのように苦しんだという。
母が兄と弟と私を区別する切っ掛けは、異能だけではなく自分だとファーラに謝られたことがある。
補佐となる乳兄弟がいない公爵家の次男を冷遇する理由として、異能の発現がないというのは、都合がよかったに過ぎない。
異能を持っているかどうかは関係なく、私は次男であるということで他の兄弟とは区別され、あつかわれる。
飲み込みにくい話だ。
この件に関しては彼も知っていて「亡くなった人を悪くは言いたくないですが、なんとも自分本位で気持ちが悪い」と切り捨てた。
冷遇するために専用の補佐をつけないのではなく、専用の補佐が亡くなったから冷遇するのは、馬鹿げている。
ファーラの子供ではない相手を補佐として迎え入れることなど、簡単に出来たはずだと彼は言う。
信頼できる部下を育てるのに上下関係を教えながら幼少期から傍にいることで、お互いに愛着を持たせるのは貴族の当たり前だ。
そこから私が外れている事実を彼はすぐに気付いて聞いてきた。
私の待遇に不快感を示す彼は、素直で少し残酷だ。
母は、ファーラの地位を貶めたくなかったのだろう。ファーラの子が居るはずだった場所に他人が居座ることを母は許さなかった。
兄が亡くなり、ピネラが私の補佐になった際に自分の補佐が欲しいから兄を殺したのかと言われたことがある。
ピネラ以外と気兼ねなく話す相手もいなかったので、一緒にいる時間が長ければいいと思ったことは否定できない。
母に、私が兄を殺す人間に見えるのかと思うと、なんとも言えない気持ちになった。
異能を発現しなくとも、優秀であれば、私を見る母の目も変わると思ったが、そんなことにはならなかった。
彼女は死ぬまで、私のことが気に入らないようだった。
母が生きている間に英雄という称号を貰っていたら、何かが変わっていただろうか。
仮定は無意味なことかもしれない。
彼が居なければ、魔獣を討伐しようとは思わなかった。
誰がどれだけ死んだところで、私には関係がない話だ。
人々の悲報に彼が悲しむから、剣をとったに過ぎない。
「――自分の子供が、大切じゃないのか……?」
「大切なのは、ただ一人だ。跡継ぎは公爵家のために必要だが、優先順位を間違えるつもりはない」
私に必要なのは彼であり、彼に危害を加えるような腹の子供は必要ない。堕胎薬は母体に影響が出ないものを使用している。
「何の問題があるというのだ」
「問題しかないって……」
ピネラは、周囲を見る。
話を振られたくなかったのか、執事やメイドは居なくなっていた。
彼らは家に仕えている身だ。
家の不利益をたしなめることはするが、今まで、行動の制限は受けていない。
そもそも、私が跡を継いだばかりなのだから次代の心配は不要だ。
「奥様がエビータだって、わかってんだよな?」
「当たり前だ。不当に名誉を傷つける分は、謝罪するつもりだ」
「謝るつもりあるなら、ちゃんと奥様にごめんなさいしよう!」
ピネラは背後の扉が開いたことを察知すると、怒りから一転して、泣きそうな、困り顔になった。
いつもの人当たりのいい温和な雰囲気を不格好にまとって「ちゃんと、ごめんなさいしようなっ」と私に言い聞かせる。
扉から現れた彼にピネラが頭を下げて場所を開ける。
彼と相対することをピネラが邪魔をすることはないが、心配そうな表情を崩さない。
ピネラもピネラなら、彼も彼だ。
いつになく神妙な顔をした彼に改めて言うべきことなどあるだろうか。
ふと、思いついて口から出た言葉は、彼の何を刺激したのか、拳を食らった。
顔を殴られたのは私だが、彼のほうが痛そうだ。
殴り慣れていないので、拳を痛めてしまったのかもしれない。
間抜けなところが、彼らしい。
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