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〔六a〕嫉妬心

「貴様は自分が暴力に向かないことをすぐに忘れるな。主治医を呼んで、治させよう」 ピネラを見ると首を横に振られた。 呼びに行きたくないらしい。 主治医の異能は、傷を治すといった単純なものではないが、処方する薬で痛みを忘れることができるはずだ。 ピネラが行かないのなら、私が声を上げなければいけない。 彼は慣れない行動に驚いているのか、目を見開いて固まっている。 目を開けたまま寝ている可能性を考えて、頬を軽く叩く。 「あー! もうっ、なんで、今日は顔ばっかり叩くんですか! 俺も一発って、なっちゃった! やっちゃった……!」 彼は「殴るつもりで来たけど、殴りたかったわけじゃないのに」とよく分からないことをつぶやいている。混乱しているのだろう。 とりあえず手を引いて、執務室の椅子に座らせた。 ソファもあるが、ラチリンが入っていることを考えるとピネラから下半身が見えないほうがいいだろう。 「ピネラ」 「お茶を用意するから、じっくりしっかり話し合って欲しいけど、えっと、あー様、顔を冷やす?」 「不要だ。……茶を用意したなら下がれ」 ピネラの「顔を冷やす」発言に彼が肩を跳ねさせた。 落ち込んだ様子だが、このぐらいの打撃は「死ぬ死ぬ、やだ、こわい、死んじゃうっ」と叫んで、湯船の中で暴れていた彼を押さえつけながら行為を続けたときに食らっている。 あの時は、歯で口の中を傷つけたので痛みが長引いた。今回の拳は、怪我の内にも入らない。 「あ、執事、さん……は、居てもらえますか?」 「断る」 「なんでアリリオさまが?」 「ピネラが居なければならない理由があるのか? たいして親しくもなかろう」 すがるようにピネラを見る彼の愚かさは本当に不愉快なものだ。 「乳兄弟と仲がいいのは分かってるので、俺に嫉妬しないでください。今はそういう話をする状況じゃないっ」 彼の言い分にピネラは当惑したのか「あー様、だいぶ……奥様に勘違いされてるのでは? ちゃんと、誤解を解こう。謝ろう?」と書類を片付け、茶器を置きながら言ってきた。彼が何を誤解しているというのだろう。私の中に嫉妬心があるのは事実だ。 「………………殴りつけて、すみませんでした。カッとなって暴力をふるうなんて最低でした」 「気にするな。私もカッとなって貴様の髪の毛を鷲掴みにしてベッドに放り投げたことがある。数日後に髪を切るという当てつけをしてきたことを決してが、髪が伸びても、今後、掴んで引っ張ったりはしない」 「えぇ!! すごい根に持ってる。俺が根に持ちたいのに!!」 「根に持ちたいというなら持てばいい貴様の感情は貴様のものだ。私が強制するものではない」 彼は何を考えているかよく分からない。遠い目をして、ピネラが入れたばかりのお茶を一気に飲みほした。ピネラの異能は液体の温度調節だ。飲みやすい温度に下げているにしても、二杯目もまたすぐに飲み終わった。 いつもは香りを楽しみながらゆっくりと味わう彼だ。こんな飲み方をするのは、初めて見た。寝汗をかいて喉が渇いているのだろう。 私がコップに入れた渡した。 「アリリオさまが、先程、おっしゃったことを覚えていますか? 俺が反射的に手が出た原因ですが」 間違った答えをしたら実家に帰ると言い出しそうな雰囲気だ。 先程の会話は、彼にとって重要であったらしい。 「ふむ? 堕胎薬が入った液体を渡したが、貴様は口にしていないのだから、、と。そう言ったな」 エビータの危機回避力なのだろうか。 彼は、私が用意した堕胎薬を一口も体内に入れなかった。 だが、ラチリンはどうだろう。彼の腹部を見つめる。 ラチリンにも堕胎効果があると言われている。 妊婦は夜の魔物やラチリンを控えるようにと商人が一言添える義務がある。迷信の類かもしれない。 あるいは、香りに誘われて性行為をし過ぎるので、子供が流れるのかもしれない。腹部に刺激を与えると流産すると聞いた。 「舐めんじゃねーって、唾を吐きかけても俺は許されます」 「私にそういう趣味はないが、したいのか……」 机の引き出しからエビータの本を取り出すが、ページをめくる前に彼に取られてしまう。 元々、彼のものなので、返すのは構わないが、どうしたのだろう。 「|本《これ》は、俺の考えじゃなくて、今までのエビータのあれこれです」 「知っている。だからこその参考資料だ」 ふと、彼が本に妬いているのだと理解した。 自分が目の前に居るのだから、自分に注目しろということだ。 ちょうど、彼がピネラに目を向けた時に同じことを思った。 「貴様は唾を吐きかけるのではなく、私の唾を飲み込みたいと言いたいところか?」 「なんで、どや顔でそんなこと言えんだよ……全然ちがいますっ」 前半は独り言のようだが、私への苦情だろうか。 間違っているなら間違っていると訂正すればいいが、彼は頭の回転は悪くないが、言葉が足りない。 「唾とか、そういうのは、問題ではなく……俺が何のために、ここに居ると思っているんですかっ」 「私と話すためだろう」 「今ここにいる理由ではなく、俺がカーヴルグス家に嫁いだ、その理由をアリリオさまが誰より理解なさっているのではありませんか」 言い難いのか、うつむいて、両手を握りしめている。 彼が何を思っているのか読み取りにくいが、私のことを案じているようだ。 「俺が、ここに居るのは、|跡継ぎ《この子》を産むためじゃないですか」 腹に手をやる彼のつむじを不思議な気持ちで見つめる。 ピネラが椅子を用意してきたが、無視して私は彼のそばで立っていた。当主として褒められた行動ではないかもしれない。それでも、ピネラはうるさいことを言わないし、他の使用人たちは居ない。 誰も私の行動を咎めたりはしない。彼以外は。 「子供を産まない|エビータ《俺》に何の価値があると言うんですか」 声が泣いているように聞こえたので、指であごを上向かせる。 涙はこぼれていなかったが、瞳は悲しみを訴えていた。 彼の憂いを取り除くために動いていたつもりだが、傷つけてしまったらしい。 ピネラがしきりに謝罪を求めていたのは、こういうことなのか。 「貴様は勘違いしている――貴様がここにいるのは、私の伴侶だからだ。子供を産むから、伴侶になるわけではない」 「それは、その通りかもしれませんが……」 彼の視線が下に向けられそうになるので顔を近づける。 吸い寄せられるように彼の目線が私に向けられる。 視線を合わせるのが恥じらったのか、一定の距離まで近づくと軽く目を閉じる。 いつものことだが、くちづける他にない。 思いのすべてが言葉によって、届くものなのだろうか。 彼の吐息から感じる、不安と懐疑。 私へのものか、自分へのものか。 くちびるに触れただけで、離れる。 名残惜しそうな顔をした。 深く触れあったわけではないので、この表情になると知っていたが、彼も配慮が足りない。リーとライならともかくピネラも男だ。 こんな顔をする人間だと知られたら、私が居ないところで物陰に連れ込まれてしまうだろう。 ピネラを見ると完全に後ろを向いていた。 本来なら、部屋の外に下がらせるはずだったので、自分に役割がないことを知っている。 彼がピネラを部屋に残したことが不服だったが、会話を継続するために第三者の存在を意識するのは、いいのかもしれない。 彼は咳ばらいをして、頭を左右に振った。 「危ない。うっかり、丸め込まれるところだった……」 深い溜め息を吐きだす彼の背中を撫でてやる。 嬉しそうな、拗ねたような、恨みがましい顔をされた。 彼の言葉は滑らかなものではないが、その分、表情が変化する。 隠そうとしても滲みだす、期待。 私の声に耳を集中させている姿を見ると意地悪をしたくなるが、ピネラに呆れられるだろう。彼とも散々問題視された。 「子供が育てたいのなら孤児院から引き取って養子にすればいい。公爵家の跡取りなら、王太子殿下の第二子でも構わないだろう」 「……(エビータ)が、ここにいるのに、それを言うんですか」 側室の話をしたときと同じ顔を彼はする。 私は言葉を間違ったのだろうか。

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