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〔七a〕行動の結果

ピネラの助言を思い出す。 堕胎薬の件も側室の件もピネラは反対していた。 側室の件に対して、ファーラも反対していた。 当初は、自分の母であるファーラが正しいと思い込んで、彼女の意見に賛同しているに過ぎないと疑ってかかっていたが、彼の精神的な不安定さを思えば、ピネラは正しかった。 ファーラの意見が間違っていて、ピネラの意見が正しいとは言わない。だが、ファーラは、理由らしい理由を言わずに私のやり方を否定する。 自分の母のことを思い出すとファーラの感覚的な物言いは女だからなのかと、性別に理由を求めたくなる。 女はヒステリックで合理的ではない。 男も同じように見苦しい人間はいるが、比率を考えると女に偏る。 あるいは、私が「女はそういうもの」と思い込むことで、母の言動の責任を女という存在に押し付けているのかもしれない。 彼は孤児院の子供たちを襲った、気狂いの女に対して、憐れみをかけ、刑罰が軽くなるように祈りを捧げた。 孤児院の子供たちも女の安寧を祈ることで、自らが受けた恐怖を昇華していた。 彼の中の正しさは、そういうものだった。 女であっても、男であっても、悪人でも、善人でも、自分の中の価値観に乗っ取って判断を下す。貴族社会の常識はない。 「貴様がエビータであることで、私が公爵家当主の座を手に入れたが、それはだ」 私が公爵家当主となったところで、何が変わるわけでもない。 公爵家に生まれた時点で、庶民よりも待遇は良い。 これより上を望む意味もない。 他人の称賛を求めているわけではない。 努力を続けたところで、それが。 兄と弟が居ないのだから、私がいつか公爵家当主になるのは決まっていたことだ。 王子殿下たちが動かないのだから、私が魔獣討伐の指揮を執り、王族の血が民衆のためにあることを示さなければならない。 地位も名声も生きていれば勝手に私に付属する。 自分の意思など介入しない、やらなければならないことの結果だ。 彼に対して私がおこなったことは全て、する必要がないことだ。 求められたことでも、願われたことでもない。 私が自分の意思でした、私のやりたいことだ。 「相手を選んだのは父だが、それを受け入れると決めたのは私だ」 彼も同じだとその瞳は教えてくれるが、悲しみは未だに晴れない。 言葉が足りないのだろうか。 行動で伝え続けても彼は戸惑いと期待と疑念を瞳に乗せる。 それが面白いときもあるが、愚かさに呆れるときもある。 今は、彼の呑み込みの悪さに愛おしさを感じている。 「異能のあるなしは人の価値とは関係がないと私の父に言ったな」 「アリリオさまの、功績を考えれば、誰もが思うことでしょう」 「そうでもない。たとえ働かない無能であっても、異能を持つ人間が優れた人間であるというのが、貴族の常識だ」 理解していても不快だという顔をする。彼は素直で残酷だ。 自分の異能が一族の他の人間よりも優れていると自覚しながら、異能に対して否定的。 口では何と言ったところで、性別と合わない異能は彼にとって重荷になっている。体力的に厳しいのなら、子供を諦める選択をするのも夫である私の務めだろう。 何もおかしなことを提案しているわけではない。 それとも、提案することもなく堕胎薬を飲ませようとしたことへの苦情だろうか。だが、彼から伝わる悲しみは、私の行動ではなく、考えを責めている気がした。 「体が弱いと……お伝えしたことは、過剰な表現です。俺の体は弱くありません。子供は何人でも産めると、確信があります」 「そういった強がりはいい」 「俺は……男でも、剣術の訓練などをしておりません。体づくりをして、男らしくなりすぎると、抱き心地が悪いかもしれないと……」 彼の声が勢いを失くして消えていくときは、本心を語っているが、気まずいと感じているときだ。 男らしくないほうが、私にはいいと勝手に考えて過ごしてきた。だというのに男らしくない体力のなさを正直に申告するのを恥じた。 矛盾しているようだが、理解はできる。 彼は女になるつもりも、女を装って生きるつもりもない。 男らしくありたくても、私に好かれることを優先している。 健康だと彼は自分を評価しているが、私が考える健康的な男子は、馬車に酔ったり、水遊びで風邪を引いたり、孤児院の大掃除で翌日に動けなくなるほど疲れたりしない。 彼は「嘘を吐いて、すみません」と頭を下げるが、騙された気はしない。彼は、簡単に死にそうな弱さを持っている。 「エビータの、安産の異能を信用してください。俺の体力は、出産には関係ありません」 「貴様の異能を信じていないわけではない。万が一の可能性もあってはならない。不安要素をなくすために、邪魔なものを排除しようとするのは当然の考えだ」 「万が一もありません。それが神から与えられた|異能《力》なのですから」 神から与えられた奇跡の力をこの国の人間は、異能と呼ぶ。 世界の法則を無視している奇跡の力。 「子供を産まないエビータに何の価値があるのか問うたな。安産の異能を誇る、エビータにとって貴様の価値はなくなるのやもしれん」 彼の瞳が苦しみに沈む。 傷ついている自分に対して、彼はあまりにも自覚がない。 「エビータとしての価値がなくなっても構わんだろう。カーヴルグス家に嫁いでいるのだから、それが貴様の価値だ。エビータではなくとも、私の伴侶であることは変わりない」 理解できないという困惑顔の彼は、物分かりが悪いのだろう。 「私が王族としての異能が発現せずとも、貴様は気にしていないのなら、私もまた同じだと言っている」 「……でも、異能を持つ子を産むために、俺は」 「それは、外野の思惑だ。私が望んだことではない」 彼が「何をおっしゃっているのか、わかりません」と首を横に振る。単純すぎて、見えてこないことは、よくあることだ。 「貴様が考える貴様の価値を否定しよう。それらは、自ら作り上げたものではないだろう」 「安産の異能に、訓練などいりませんが――」 「そんなものがなくても、貴様は価値のある人間だと私は思っている。子供を産まなくとも、私の伴侶として、貴様は役目を全うしている」 彼は毎日、自分のもとに届く手紙の数が異常だと気づいていない。 お礼の手紙、成長の報告、自慢話や雑談でしかないものも多いが、他人を蹴落とすための見苦しい言葉はそこにない。 子供たちが書いた手紙だけが彼のもとに届くわけではない。 大人や老人も彼に手紙を出している。彼の立場を知りながら、金の無心や援助の願いなどはない。 手紙の末尾を飾るのはいつでも「会いたい」という、分不相応な願いだ。彼はそれに微笑み、礼を言う。 彼にとって当たり前の光景であるせいで、自分の行動の結果を認識できていない。 彼が人から愛され、大切にされている人間であるのは、彼であるからであり、異能は関係ない。 「子供を作ることは義務だと考えているだろうが、そうではないと言っている。理解できるな?」 彼は首を縦に小さく動かした後、口の中で何事かつぶやく。 声にならないが、何か反論をしたいのだろう。

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