83 / 113

〔八a〕過去の話

「いえ、いいです。……先に、聞いておきたいことがあります」 言い出そうとした、言葉を切り替えることにしたらしい。 飲み込まないのなら、すこし待つのもいいだろう。 彼は私に何を聞きたいというのか。 「アリリオさまは、俺と義務で結婚したわけではないと言いたいのですか? 今までの言葉は、そう聞こえました」 「その通りだ。何がおかしい」 「俺のことが気に入らないのでは?」 「そんなことは――言った覚えはあるが、過去の話だ」 自分の中の幼稚な部分を突かれて、顔から火が出そうだ。 彼が呆気に取られている。 この調子だと彼はきっと覚えていない。 自分から先に喧嘩を売ってきたことも、私が自分の大人げなさを反省していたことも。 私の苛立ちに関して、彼は無関心であり、それがとても恥ずかしく思えた。 自分の中にある得体の知れない感情に驚いた日だ。 彼を見つけた日のこと、彼と出会った日のこと、両方とも、よく覚えている。 兄が亡くなり、弟と共に母も亡くなり、喪が明け、冬の祭りが始まった。 肌が痛くなるような寒い日に初対面という形で自分の伴侶となる相手と顔を合わせた。 数日前に街中で見かけた少年だった。 記憶に残る顔立ちではないが、おかしな行動は忘れられない。 店から商品を盗んだ自分と同世代の子供を叱りつけて、自分の手袋を与えていた。 どうかしている、そう思った相手だ。 買い直していないのか、手袋をしていない。 冷えた手をさらしている彼は、どうかしている。 彼の手袋の行方は自分が知っているのだと思うと気分が高揚した。 冷たくなっている手を握って、どこにあるのか教えてやりたい。 同時に手袋など忘れたままにさせて、私自身の熱だけであたためたい。 そう思う気持ちをどうかしていると内心で笑い飛ばした。 あの日の情熱は、今も冷めないままにある。 十代前半に結婚相手を決めるのは、早くも遅くもない。 数年の婚約期間の後に彼はカーヴルグスの姓を名乗る。その事実が落ち着かなかったが、喜ばしいと感じていた。 婚約期間など飛ばして結婚してしまえばいいと思うが、結婚と同時に父に爵位を譲られることになっている。 父が病気でもないのに十代前半で息子に爵位は譲れない。 だが、結婚を機に爵位を譲るのは、後継者問題で揉めないためによくあることだ。 数年待つことで、爵位の継承は滞りなく進められる。 私は私の力だけではなく、伴侶のおかげで公爵家当主になる。 彼との結婚で、公爵家はエビータという国内で最強のカードを手にしたことになる。 公爵家当主を名乗るのに十分な後ろ盾だ。 エビータは外交の要であり、だと言える。 混ざりあう血が悪く作用して、異能が壊れて崩れて終わる家が少なくない。 異能が三代出現しなければ貴族の地位を返上するという法を現王が定めている。 私の異能がないので、子供に必ず異能を出現させたい父がエビータとの婚姻を進めた。 |エビータ《彼》の助けがなければ、どれだけ努力を重ねても自分の存在に意味がないと言われている気がした。 母は死ぬまで、異能を持たない者が跡継ぎなど恥以外の何物でもないと主張していた。 貴族と異能は切り離せない。 母は一般的な貴族の価値観を持った公爵夫人だった。 カーヴルグス家のことを心配しているというより、異能持ちでない私を産んだことが、恥ずかしくてならなかったのかもしれない。

ともだちにシェアしよう!