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〔九a〕異能レベル
『めちゃくちゃ顔が良い。これはもう異能レベル』
人の顔を見た第一声が失礼極まりないものだと知っていたのなら、彼に声などかけなかった。
廊下で話をするのは不作法だが、子供なら許される。そう思って、正式な場で顔を合わせる前に彼に声をかけた。
思い起こせば、私もまだまだ幼かった。
ピネラに言わせれば、兄の死や、それに伴う、母からのあたりの強さが精神的に堪えていた時期だという。
自分ではおかしくなっていた自覚はない。
今も私は正常だと言いたいが、思い出して羞恥心を刺激されるというのなら、あの時の私は、いつもと違っていたのかもしれない。
婚約者になる相手と距離を縮めるのは悪いことではない。そう言い訳を自分にして、彼に話しかけた。
父の前で無駄な雑談は出来ない。
手袋について、口にしたくてたまらなかった。
盗人とのやりとりを知っていることをチラつかせて様子を見たい。
廊下を歩いている姿を見たとき、運が良かったと、そう感じた。
声をかけて、振り向いた彼から出てきた言葉は耳を疑うものだった。従者として私の後ろに居たピネラに反応がなかったので、大きな声ではなかったのかもしれない。
『めちゃくちゃ顔が良い。これはもう異能レベル』
思わず漏れ出た言葉なら、本心に近いはずだ。
口元をおさえて「すみません」と下を向く彼のことを気づいたら、無視して歩きだしていた。
呼び止めたのを忘れたような振る舞いにピネラから「どうされました?」と慣れない口調でたずねられる。
きっちりとした口調に慣れていないピネラは面白いが、笑えない。
話したいことがあった。
話しかける理由も話題もいくらでもあった。
それなのに言葉の全部が塗り潰された。
自分が怒っていたのだと気づくのは、彼が帰った後だった。
父の隣で、自己紹介もそこそこに口から出たのは手袋の行方でも、自分たちの未来の話でも、何でもなかった。
『私はお前を愛することはない』
こちらの言葉によって、緊張を隠すような不自然な笑顔が崩れる。
どうやら侮辱を理解できるらしい。
先に侮辱されたのは私のほうだ。
幼稚だが、彼の言葉が気に障った。
このままではいられないと思った。
一矢報いなければ、ならない。
『めちゃくちゃ顔が良い。これはもう異能レベル』
よくそんな考えが口から出るものだ。
美貌が異能であるのなら、大体の貴族は生まれながらに立派な異能持ちと言える。目の前の相手は、貴族とは思えない顔立ちなので、褒め言葉のつもりだったのかもしれないが許せない。
そう思って、会うたびに容姿をこき下ろしてやることにした。
二度と同じ言葉を口に出せなくさせたいという、そんな考えしかなかった。
ピネラには私が悪いと言われたが、そんなはずがない。
どう考えてもアレが悪い。
そういった考えに憑りつかれながらも、気持ちが永遠に変わらないわけでもない。
どんな振る舞いをしたところで、婚約を解消することにはならなかった。それは当たり前だ。
廊下で彼の後姿を見たときに彼と笑い合っている未来の自分の姿が見えた。
その光景に私の心は、私の制御を外れて暴走したのかもしれない。
生まれて初めて感じた、強い興奮に水をかけられた。
期待感が強すぎたせいで、後に残る、不快感の気持ち悪さときたらない。彼に対する感情と、彼が発した言葉への反応を、幼い私は分けて考えることが難しかった。
異能が発現した事実はピネラにしか打ち明けなかった。
異能を持たないという不名誉を払拭しようとは考えない。
他人の言葉も、視線も、私にとって、意味を成さないものだった。
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