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【6b】主へ忠誠を誓う騎士
俺の考える理想とは、実現不可能なことを言う。
子供ではないのだから、現実を見ないといけない。
割り切るのが大人だ。
子供を産むなら、理想ばかりを追いかけていられない。
その考えが俺を死へと追いやる。
俺にとっての当たり前は、想像以上に難しい。
今日の朝まで、そう思っていた。
夜になった、今はもう完全に夢の中にいた。
「特別、足が弱かったわけでもあるまい」
アリリオさまが俺の足の甲にキスをした。
いやらしいが、気持ち悪く感じない。
アリリオさまの見た目の威力か、夢心地だ。
俺の考えるラインを越えてこないせいで、振り払いたくならない。
以前にも足を責められたことはあった。
そんなことをされると思わなかったので、次からは足を念入りに磨いた。
アリリオさまのくちびるが、汚いとか、気持ち悪いのではなく、俺の足が、大丈夫なのか疑わしかった。
触られるのが嫌だという俺の気持ちをアリリオさま分かってくれた。理解した上で、足つぼマッサージでヒンヒン言わせられた。
自分に逆らう人間が嫌いなのだろうと、思っていた。
「初めてでもないというのに」
どうしたのかと聞かれても、何も言えない。
手が勝手に口をふさいだ。
不思議そうなアリリオさまの視線にたじろぐ。
自分の動きの理由は分かっている。
口から出てくる音は、絶対に間抜けな音だ。
確実に場をしらけさせる。
指を噛むと怒られるので手でおさえるだけにしている。
ゆっくりと息を吐きだすが、油断すれば俺の色気のなさが炸裂する。
分かっているので、両手で口を押さえておく。
匂いを嗅ぐように顔の近くまで足を持たれると、気まずい。
「……ラチリンでも踏んだか?」
「シー、ツに……まと、め、て……へやの、すみにっ」
「ああ、自分で部屋の隅に置いたにもかかわらず、踏んだのか」
アリリオさまの性格の悪い笑顔を直視してしまった。
俺のうっかりミスを心底馬鹿にしているのだが、あまりにも楽しそうな微笑みを浮かべるから、失敗して良かった気分になってしまう。
これはこれでありだよねという、そんなわけないことを思う。
人の間抜けさを笑うのは酷い。
小馬鹿にした冷笑は俺の心が軋むが、今は違う。
寝転がっている俺の片足を持ち上げながら、悪い顔をしている。
山賊を壊滅させるときや汚職の限りを尽くす貴族を取り潰すと俺に教えてくれるときと似た顔だ。
冷えた怒りをアリリオさまが発するので、怖い表情だと思っていた。
目の前のアリリオさまに怒りはない。
機嫌がよくて、楽しんでいる。
ちょっとした空気の違いが、俺に与える印象を逆転させていた。
今まで俺が怖がっていたものは幻だったのかもしれない。
顔を上げればいつだって、冷たい視線や呆れや失望ではなく、すこし意地の悪そうな顔で笑っていたのかもしれない。
アリリオさまの表情を確かめるのが怖かった。
「間が抜けた行動を隠し通したかったのか?」
呆れを含んだ声音に反して、アリリオさまの視線は熱っぽい。
冷たく感じそうなアイスブルーの瞳に優しさや労りを見出してしまう。
小さくうなずくと、それ以上の追求はしてこなかった。
今までは、俺がどれだけ愚かか昔の話を持ち出してまで、責めてきた気がする。
そっぽを向いたり、うつむいてやり過ごそうとしていたのが、許せなかったのかもしれない。
反応したら負けだと思っていた。認めると余計にからかわれる。姉たちがそうだった。
「……まえを見てると、したを見るのが、おろそかになります」
「知っている」
笑って、アリリオさまは俺の足の甲にくちびるで触れた。
先程からずっと、ずるい。
足つぼマッサージの痛気持ちいい触りかたではない。
恭しく、大切なものをあつかう手つき。
見ているだけで、ときめきすぎて喉がキュッと鳴る。
主へ忠誠を誓う騎士。
そんな夜に反した単語を連想してしまう。
微笑みが引っ込んだアリリオさまは、おごそかな雰囲気を出してくる。
足の甲へのキスは、そういうタイミングで物語の中にある。
本の中でのことで、現実では、まず見ない。
下に見ている相手には絶対にしない。
劣っている人間の足に触れることは屈辱の一つだ。
平民の足が貴族を転ばせたら命を奪われることもある。
足元に這いつくばる人は、人間あつかいされない。
俺はアリリオさまをぎゃふんと言わせたかった。
ある意味これは、希望が叶ったと言える。
俺の立場をアリリオさまが尊重しているという意味合いになる。
でも、これは今に始まったことではなかった。
余裕がなかったと言ってしまえばそれまでだが、俺の股関節の可動域を無視するので、足が死ぬほど痛かった。
あるいは、酷使された穴が痛くて、足への触れあいなど意識の外側だ。
俺のペースに合わせて、すごく手加減をしてくれている。
そのおかげで、見えていなかったものが見えている。
見たかったものが、見えている。
理想的な、夢のような素晴らしい初夜。
俺は自分のわがままを諦める必要がないことが何よりうれしい。
両思いになれば終わりになる人生じゃない。結婚後の人生のほうが長いのだから、俺は幸せな始まりが欲しかった。
大切にされているという実感は、セックス以外でだって得られるかもしれない。
でも、俺の中にあった不安の解消には、これがいい。
「あしだけを……かわいがらないで、ください」
「人の匂いを嗅ぐくせに、自分の匂いを嗅がれるのは嫌か」
「あたりまえ、です」
アリリオさまも好きなものの香りだけを感じていればいい。
この匂いが暗示の結果なら、俺だけがずっと良い香りの中にいることになる。不条理だ。アリリオさまだけ、損をしている。
「俺の、匂い……好きになってください。それならいいです」
「嫌いだと言った覚えはない」
口を手で押えていたのに、喉からしゃっくりをした音が出た。
恥ずかしすぎる。
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