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第6話

 その日は朝から気怠かった。  今までの周期からそろそろ発情期が近いことを確信していた。今日は家に帰らず、アパートの部屋に行こうと俺は決めた。  俺が天音と発情期を過ごすはずだった部屋は今でも解約せずにいる。発情期が来たら、俺はそこにこもることにしていた。もちろん、家族に嘘がばれないようにだ。  そう思っていたのだが―― 「……嘘だろ……」  俺は呆然と立ちすくんだ。  まさかよりによって、今日、こんなことになるなんて。  通学カバンがゴミ箱の中に沈んでいた。チャックは開けられ、中身はゴミと一緒に埋もれている。  こうした嫌がらせは日常茶飯事だ。しかし、今日ばかりはまずい。発情期を抑えるための抑制剤もカバンの中に入っていたのだ。抑制剤なしでまた発情期を過ごすなんてこと――そんな地獄のような思いはもう二度と経験したくない。  俺はゴミをかき分け、私物を探すことにした。ご丁寧に内ポケットと筆箱まで中身をぶちまけられている。紙くずをかきわけながら、ゴミを選別していく。  教科書とノート、筆記用具はすぐに見つかった。だけど、抑制剤だけがなかなか見当たらない。  そのうちに全身が熱くなり、鼓動が早くなっていく。腹の奥がじんわりとうずく。  酩酊感に持っていかれて、意識が遠くなる。  だめだ。くらくらしすぎて、こんな状態で探し物なんてできるわけがない。俺は抑制剤を探すことを諦め、アパートに帰ることにした。いつ発情期に襲われても平気なように、アパートにも抑制剤を置いている。そっちを使おう。  そう決めて、俺はふらふらと歩き出す。  俺が道を行くと、周囲が驚いたようにこちらに視線を向ける。「うお、何だ」「すげーいい匂い」「甘い……おいしそうな匂い」遠くにいる人物はうっとりと目を細めるが、匂いにつられてそばへと寄ってくれば、打って変わって、険しい表情へと変わる。俺の近くにいた人間は鼻と口元を抑えて、後ずさった。  俺のフェロモンは甘い匂いがする。普段であれば「いい匂い」程度で留まっているが、発情期に入るとそれが濃密なものに変わる。  例えるなら――適量の香水であれば好意的に受け取られるが、浴びるほどにかけられた香水はもはや悪臭。つまり、今のそれが俺だ。  遠巻きにされながら、俺は道を進んだ。  次の角を曲がれば、もうアパートが見えてくる、というところで。  鼓動が激しくなり、痛みを伴い出す。  どくどく、ばくばく――  耳元で聞こえるそれは、騒音のようだった。  頭が痛い。くらくらする。足が震えて、うまく立てない。俺は襲ってきた目眩に呑みこまれ、道の端にへたりこんでしまった。  どうしよう……。立てない。  自分がみじめで、情けなくて、頭がぼーっとなる。放心して、空を見上げた。  その時だった。 「――ルイくん?」  視界に飛びこんできたのは、男の顔だった。驚いたようにこちらを見ている。 「あやと……さん……?」  久しぶりに会うから懐かしい。  優しげに垂れた目付きに、穏やかな表情。昔と変わらないその顔に、俺は少しだけ安堵感を覚えた。

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