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第7話

 向井彩人(むかいあやと)さんは、近所に住む4つ年上のお兄さんだった。子供の頃からよく遊んでもらっていた。俺が小学校を卒業するまでは、お互いの家にも頻繁に出入りしていた。  彩人さんは「優しいお兄さん」という言葉を体現したような見た目をしている。色素の薄い茶色の髪。穏やかな同色の目。ただでさえ秀麗な見た目なのに、ふんわりと笑うと頬にえくぼができて、それがすごく魅力的だ。見た目だけでなく、スポーツも勉強も何でもできた。それなのにそれを鼻にかけることなく、昔から俺にいろいろなことを教えてくれた。俺の憧れの人だった。  もちろんバース性はアルファだ。  そんな彩人さんが突然、留学を決めたのは去年のこと。俺が高校に上がった直後くらいだ。彩人さんは語学留学のため、イギリスに行くことになった。それ以来、俺は彩人さんとは会っていなかった。  ふらふらの俺は彩人さんに肩をかしてもらって、何とかアパートまでたどり着いた。  ベッドの上に倒れこむ。 「彩人さん……そこの、引き出しに薬が……」 「ここだね?」  彩人さんは俺が示した場所を探し始めるが、すぐに困ったような顔で振り返った。 「ないよ。薬」 「え? そんなはずは……」  俺は起き上がろうとした。  が、くらくらとしてベッドに突っ伏してしまった。 「寝てなきゃダメだよ」 「く、来るな!」  彩人さんが向かって来るのが恐ろしくて、俺は叫んだ。  そばに寄ってほしくない。さっきだって肩を貸してもらって歩く間、申し訳なくて仕方なかったのだ。  彩人さんは優しい。だから、俺の匂いを不快に感じていたとしても、顔に出したりはしないだろう。  でも、本当は臭いと思っているにちがいない。  運命の相手にすら拒絶された俺のフェロモン。  発情期が始まってどんどんと濃密になっていっている。俺自身は自分の匂いに鈍感だから悪臭とは思わないけれど、他の人間からすれば不快なことは間違いないのだ。今までの周囲の反応がそれを証明している。  だから、もし彩人さんにまで臭いと思われたら。  彼に拒絶されてしまったら。  怖い。怖い。怖い。  俺が発情期を迎えてから、彩人さんに会うのはこれが初めてだ。  いつも俺に優しくほほ笑んでくれた彩人さん。  彩人さんにだけは拒絶されたくない――。  彩人さんが俺に近づいてくるのが、怖くてたまらない。 「発情期が来てるんだね。ルイくん、君の番は……」 「番なんて、いない」 「え? だけど、君のお母さんから聞いて――」 「うるさい! うるさい! 早くここから出ていってくれ!」  彼が近づいてくると、アルファの匂いがふわりと漂って来て、それで体がどうしようもなく熱くなる。  彩人さんがベッドに乗り上げて来た。ぎいっ、ときしむ音が聞こえて、それが俺の焦燥感を駆り立てる。 「ルイくん……すっごく、いい匂いがする」 「そんな気休めなんていらない……! 臭いんだろ?」 「臭い? そんなわけないよ。こんなに甘くて、いい匂いなのに」  彩人さんがどんな表情を浮かべているのか、怖くて確かめられない。  俺は俯いて、彼を視界に入れないようにする。  しかし、彩人さんはどんどんと距離をつめてくる。その手が俺の横髪をさらりと撫でた。 「ひっ……や、やめろ……!」 「ごめん……やめられない」  彩人さんの顔が近づいてきて、頬同士が触れ合いそうなほどになった。首筋の匂いをかがれて、キスを落とされる。俺は喉奥から「ひっ」と声を出す。 「ルイくんの汗、すごく甘い。俺の好きな味だ」 「や、やだ……やめろ……やめてくれ」  俺は駄々っ子のようにいやいやをする。 「俺は臭いし、体液だって……吐き気がするくらいひどい味だって……」 「誰が、そんなこと言ったの? ルイくん、すごく甘い匂いがする。汗も甘い。すごく美味しそうだ」 「……甘すぎるから、気持ち悪いって……」 「それなら平気だよ。俺、超甘党なんだ」 「え……?」  思いもよらない言葉に、俺は顔を上げてしまった。

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