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第5話

 夜の帳が落ちる、王都アルベール。  ユティスの仕事が終わり、姉とは外で待ち合わせていた。ちょうど夕食時なので、2人はそのまま近くの店へと入った。 「姉さん、いつこっちに来たの?」  顔中で歓喜を表現しながら、ユティスは尋ねる。向かい合う姉――レティも嬉しくて仕方ないといった様子で、ふわりとほほ笑んだ。 「着いたのは昨日の夜よ。クレールさんがたまには里帰りでも、って言ってくれて」 「大事にしてもらえているようでよかった。いいところに嫁いだね、姉さん」  クレールとは姉の夫の名前である。  ユティスとレティに両親はいない。まだユティスが幼い頃に、2人とも病気で亡くしてしまった。それからはずっと姉弟は、2人で支え合って生きてきたのだ。  姉はユティスのためにそうとうな無理を重ねてくれた。仕事も2つ、3つとかけもちして、弟のために働き続けた。自分のことは二の次に、いつでもユティスのことを優先してくれていた。  だからこそ、レティの結婚が決まった時、ユティスは自分のことのように嬉しかった。この街を出て、旦那の元で暮らすと聞いた時は少し寂しさも覚えたけれど……ようやく姉が幸せになれる。そう思えば、我慢もできる。  そして、ユティスはレティの結婚相手の名を知った。  クレール・アロン。腰を抜かすかと思った。その名はあまりにも有名――南方地方に幅を利かせる貴族だった。  しかも、驚くことにレティに求婚していたのは彼1人ではなかった。他にも、各地で名をとどろかせている、騎士、地主、商人、役人。同時に5人もの男がレティに求婚したのだという。  そんなにレティがモテていたなんて、知らなかった。  彼女の何が男の心をそんなに惑わせるのだろう。確かにレティはユティスと同じように美形だ。しかし、どんなに美人とは言っても、彼女のモテっぷりは少し異常ではないのか? レティは何の権力も持たない、しがない街娘でしかなかったのだ。 「ところで、ユティス。その首の……」  料理に舌鼓を打ちながら、2人が談笑を続けていると。レティがふと視線を向けてきた。 「え? ……あっ」  ユティスは気付いて、ばっと首元を隠した。  身内にこれを見られるのはいくらなんでも恥ずかしすぎる。じわじわと耳まで赤くしながら、言い訳を考える。 「あの……これは、あのね……?」 「いいのよ。あんたももう、そういう年頃だもんね。あたしが気になることは1つだけ。――その人に、大切にしてもらってる?」 「それは……」  ユティスは視線を散らす。そして、頷いた。 「も……もちろんだよ」 「ユティス」  と、姉は目を細める。  語気を強めて、言いつのった。 「知ってるでしょう。あたしの前じゃ、嘘は通用しないわ」 「う……」  少年は叱られた幼子のように首をすくめる。  そうだった。姉にはどんな嘘を吐いても、必ず見破られてしまうのだ。  悩んだ末に、ユティスは話し始めた。始めは言葉を濁した説明だったが、逐一レティがつっこんでくるので、結局は洗いざらい話すことになってしまった。  半年前から付き合っている騎士のこと。彼に恐らく玩具にされているということ。だが、嫌われたくないばかりに言いなりになってしまっているということ。  聞き終えた姉は、深いため息を吐く。そして、店員を呼び止めた。 「テキーラをもらえるかしら」 「それ、度が高いお酒じゃ……?」 「テキーラ。ボトルで今すぐ」  有無を言わせない口調でレティが告げる。店員は慌てて奥へと引っこんでいった。  酒がテーブルに運ばれると、姉はそれを一気にあおった。 「……許せないわね」  グラスから口を離して、レティは吐き捨てるように言う。 「あたしのかわいい弟を玩具扱い? 何様なの、そいつは。……俺様? いまどき古いわよね」 「姉さん……その、飲みすぎじゃ……」 「はあ?」  がんとグラスをテーブルに叩きつけて、レティが目を細める。淑女然とした雰囲気はとっくに消え去っている。その剣幕にユティスはピクリと背中を震わせえた。 「大事な身内が弄ばれているのよ。これが飲まずにやってられますか!」  言いながらレティは眼鏡を外し、机の上に置く。そして、無造作に前髪をかき上げた。  長い髪が両目を隠し気味だったので、それが露わとなる。ユティスと同じ、ブルーサファイアのような瞳。くっきりとして、猫を思わせる双眸だ。雰囲気が変わり、自信に満ちあふれたものになっている。まるで辺りの空気まで彼女にかしずいてしまうかのような威圧感。  すると、周りのテーブルにいた男たちが途端に色めきだった。皆、赤い顔をしながら、こちらのテーブルをちらちらと見てくる。  それほど今の姉の姿は人目を引くものだった。ユティスは息を呑む。姉の酒癖が悪いことは知っていたが、ここまで変貌するとは。まるで別人と相対しているかのようだった。  レティは足を組み替え、グラスを手でつかむ。そして、鼻で笑った。 「あんたね、いつまでそいつの犬をやってるつもりなの?」 「い、犬って……」 「犬よ。じゃなきゃ、奴隷ね。何でも命令されて、パタパタと尻尾を振って」 「でも……レオンに嫌われたくないから……」 「バカね。そいつの言いなりになっていても、そのうち飽きられて捨てられるだけよ。何でも言いなりになる人形ほど、おもしろみのないものはないもの」  ユティスは顔を歪めた。  そのうち捨てられる――その言葉がぐさりと胸に刺さる。レオンハルトに振られたら、もうこの先、生きていけないかもしれない。 「だったら……どうしたら……」 「簡単よ。主導権をあんたが握る。そいつを逆に手玉にとるの」 「そ、そんなの、できないよ……! 俺、恋愛経験だって今までろくにないのに……」 「できないんじゃなくてやるのよ。あんたがその気なら、あたしが一から教えてあげる」  肩にかかった髪を払いのけ、レティが嫣然とした笑みを浮かべる。一連の動作は肉親のユティスが見ても、ぞくぞくとするほどの色気を感じさせるものだった。 「さあ、ご主人交代のお時間よ。これからはあんたがそいつのことを『犬』にしてやるの」

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