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第12話
仕事が終わり、ユティスは自分の家でぼんやりとしていた。
昔は両親や姉と過ごしていた一軒家だ。今は1人きりで住んでいる。広すぎる家に1人でいると、不意に寂しい気持ちに捕らわれてしまうので、あまり得意ではなかった。
さて――付き合ってからというものの、レオンハルトがこの家に来たことがあっただろうか?
答えは、否である。
ユティスはいつも呼び出される側の立場だった。言葉1つでほいほいと尻尾を振って通っていた。最近はすっかり外でデートすることもなくなったし、休日はレオンハルトの部屋で過ごすことの方が多い。
改めて考えてみれば、やっぱりレオンハルトは自分のことを都合のいい性欲処理にしか使っていないような気がする。その事実を再認識して、ユティスは地の底よりも深く沈んだ。
(俺……いったい何をやってるんだろう……)
がっくりとうなだれていると、呼び鈴が鳴る。ふらふらとユティスは立ち上がった。
扉を開けると同時、
「ユティ……!」
「え……? ちょ、ちょっと……!」
思い切り抱き着かれて、ユティスは体勢を崩す。そのまま玄関の床に押し倒された。
レオンハルトはすっかり熱に浮かされたような目つきをしている。初めて見る表情だ。
「待って……!」
体に触れてこようとしたのを、ユティスは制した。すると、レオンハルトは意外にも、ぴたりと動きを止める。ユティスの動向を探るように視線を合わせてきた。
レティに言われたことを思い出す。キスも、行為も、ユティスの同意なしに、何もさせてはいけない。向こうがお願いする立場で、こちらはそれを許す側でなければいけない。
だから、今回もその言葉を引き出すために――
それで……どうするんだっけ?
必死でマニュアルを引き出そうとしている自分に気付いて、ユティスは体の力を抜く。
何だかすべてが馬鹿らしくなってきた。
こんなのは所詮、テクニックの1つだ。教われば誰でもできるようになる。ユティス自身に魅力があるからというわけではない。ただセックスを餌に、気を引いているだけに過ぎない。釣りと一緒だ。
誰でもできること。つまり、レオンハルトは誰でもいいんだ――そう思えば、ユティスの心がぐさりと痛んだ。
「……もう、嫌なんだ……」
目頭が熱くなっていく。こみ上げてくるものをユティスは止めることができなかった。
「もうレオンとはセックスしたくない……! だって、レオンは……俺のこと、全然っ、好きじゃない……! 俺は、こんなに……っ、こんなに……」
レオンハルトは自分のことが好きじゃない――わかっていたことなのに、それを口に出すことは身を切るほどにつらいことだった。
ぼろぼろと流れてきた涙が少年の頬を濡らす。
「好きっ……なのに……」
そんなことは今さらだ。初めからわかっていた。こちらから一方的に思いを募らせて、一方的に告白した。付き合っている間も、捨てられたくない一心でずっと尽くしてきた。
誰がどう見ても、「一方通行な関係」でしかない。
姉に教わったテクニックを実践して、レオンハルトがユティスを必要としてくれるようになったとしても――そんなの虚しいだけだ。ユティスはただ、レティに言われた通りにしていただけなのだから。
そんなのは本当の「好き」じゃない。本当の「恋」じゃない。
本当の恋は、相手のことを思って泣きたくなったり、もどかしく思ったり――振り向いてほしいと祈ってしまったり。心が痛く苦しくなるものなのだ。
(ごめんなさい……姉さん……いろいろと教えてくれたのに……)
こんな駄々をこねて、泣いてしまったら、面倒くさいと思われてしまうだけだろう。
最後の最後で、台無しにしてしまった。
「はあ? ふざけんじゃねーよ」
案の定、レオンハルトは吐き捨てるように告げる。
ああ、やっぱりそうなんだ。と、ユティスは遠い目をする。
やっぱり、レオンハルトは自分のことなんか欠片も好きじゃなくて――
「俺がお前のことを好きじゃねえと? どこをどうしたら、んな勘違いできんだ、この間抜けが!」
突然、大きな声で叱りつけられて、ユティスはびくりと震えた。
「何のために俺が短い休憩時間をぬって、毎日『ブランカ』に通ってると思ってんだ!」
「えっと……マスターの淹れるコーヒーが美味しいから……?」
「ちがぁう!」
騎士はむしろ吠えるかのように怒鳴った。
「お前に会いに行ってるに決まってるだろーが! 少しでもお前の顔を見たいから、毎日毎日、通ってんだよ! それなのに俺以外の客の前でもへらへらと媚びへつらいやがって!」
「べ……別に、媚びてない……」
「この前なんか、見るからにお前のことをスケベな目で見てる親父の前で、誘うように尻を突き出しやがって!」
「何のこと!?」
「マスターがお前を見る目まで気に食わねえ! あれは絶対、お前を狙ってるに決まってる!」
「マスターは妻子持ちだよ!?」
「んなこたぁ、わかってんだよ!」
自分でもむちゃくちゃなことを言っているという自覚はあるらしい。言葉を切ると、レオンハルトは自分の顔を手で覆った。そして、深いため息を吐く。
「付き合う前から、毎日、通ってんだよ……笑顔で迎えられるのが嬉しくて、そのおかげできつい訓練にも耐えられんだよ……」
ユティスは息を呑んだ。言葉もそうだが、レオンハルトがこんな風に弱々しい声を出すのは初めてのことだったからだ。
何と反応していいかわからず、固まってしまう。
すると、レオンハルトはユティスの体をゆっくりと抱き起した。
「……めちゃくちゃ好きに決まってんだろうが……」
息もできないくらいの力強さで、思い切り抱きしめられる。
「レオン……」
「勘違いさせちまったのは悪かった。俺は何て言うか、その……こういうことを告げるのが、あまり得意じゃない。その上、独占欲ばかり強くて……ひどいこともした」
背中に回された腕は、痛いくらいだった。まるで子供が親にすがりつくかのように。騎士は少年のことをぎゅうぎゅうに抱きしめる。
「でも、信じてほしい……告白される前から、俺はお前のことが好きだ」
それは真摯な告白だった。
ユティスは胸を突かれて、硬直する。それからゆっくりと言葉の意味が浸透していって、じわじわと頬を染めた。
「散々、好き勝手しといて、こんなこと言えた義理じゃないことはわかってるが……それでも、頼む。俺のことを拒絶しないでくれ……お前に嫌われたら、俺はこの先どうやって生きて行ったらいいかわからない」
「……俺と同じこと、思ってるし……」
ぼそりと呟いてから、ユティスは顔を上げた。
「あのね。レオン」
レオンハルトはすっかりしょげかえった様子で、目を伏せてしまっている。頬に手を添えて、視線を合わせた。
「昨日も言ったけど、仕事中に……その、キスとかするのはやめてほしい」
「わかった……もうしない」
「本当、午後の仕事が手に付かなくなっちゃうから……あと、キスマークとかつけるのもやめてね……? 俺、すっごく恥ずかしかったんだよ……?」
「……悪かった」
「それと……たまには外にデートにも行こうよ……?」
「いや、それは……! お前が道を歩くと、すべての男がお前を狙っているようにしか見えないというか……」
「レオンの目には俺がどんな風に映ってるの!?」
愕然としてから、ユティスは呆れ――そして、吹き出してしまった。
「けっこう仕方のない人なんだね。レオンは」
「…………呆れたか?」
「んー。かもね」
わざと気を持たせるように視線を散らしてみる。すると、レオンハルトはショックを受けた面持ちを浮かべてしまう。わかりやすい様子にユティスは笑った。首元に手を回して、頬にキスをする。
「嘘だよ――大好き」
ふにゃりと笑いかけると。
騎士は途端に顔を赤くしてしまう。
その様子も愛しく思え、首元を引き寄せて唇にキスをした。
「ユティ……お前……最近すっかり小悪魔に変わっていないか……?」
唇が離れると、レオンハルトは赤くなったまま俯いてしまう。
「だから、俺をこんな風にしちゃったのは、レオンの方でしょう……?」
そう言って、少年はうっそりとほほ笑むのだった。
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