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第1話

『明日の夕食はホテルに決まったからな』  隆人から連絡が入った。 「コース料理なんだろう? 俺はまだマナーに自信ないぞ」 『大丈夫だ。飼い慣らしている途中の野良猫を連れて行くと言ってある』  カッとなるが、言い返せない。 『相手もパートナーを連れてくるそうだ。服は桜木にきちんとコーディネートしてもらって、克己のところで髪を整えてもらえ』 「随分たいそうな話だな? お偉いさんなのか?」  隆人がもったいぶるように間を置いた。 『ロシアのコングロマリットのCEOだ』  通話の切れたスマートフォンを見て、遥はぽかんとした。  ロシア? コングロ何とか? しーいーおー? 「日本語で話せよ!」  遥は頭をかきむしった。  翌日、遥はオーダーして作ってから一度も手を通していなかった、夏用の緑地に縞のスーツに淡い桜色のワイシャツ、それに明るめの紫地に細かいピンクドットのネクタイを締めた。  髪は着る物に合わせて、加賀谷克己が整えてくれた上、顔色が悪いと軽くリップとチークをのせられた。  場所は都内の最高級ホテルのインペリアルフロアの一室だという。  ホスト側である遥が到着したした時点で、フロアは日本とロシアのSPが入り交じっていた。日本側のSPとは、桜谷家である。  遥たちを止めるロシアのSPと、桜谷隼人が早口の英語で口論するのをVIP専用のウェイティングシートで遥は眺めていた。 「待たせたな」  やっとホスト、加賀谷(かがや)隆人(たかひと)の登場である。 「何かもめてるけど?」 「あちらは私のパートナーが男だと思っていなかったようだ」  ロシア側の警備の代表らしき人物が現れた。眼鏡をかけている。  隆人は笑みを浮かべて、話している。英会話も習わされているが、とても聞き取れない。 「遥」  呼ばれて立ち上がり、隆人の元へ行った。すると腰を抱き寄せられたかと思うと、顎をすくい上げられ、唇を重ねられた。  遥は飛びすさった。 「いきなり何をするんだ!」  多くの知らない人間の前でキスをされ、全身が羞恥と怒りで熱くなった。  目の前のロシア人が苦笑いを浮かべたのがわかり、よけいに頬に血が上る気がした。  隆人に促され、会場となるインペリアルスイートのリビングルームに入った遥は、隆人に噛みついた。 「なんでキスなんだよ。他に何かあるだろうが!」 「日本人は男同士が挨拶でキスをしない。まして唇にはな。お前が特別な存在だとわからせるには、手っ取り早い」  隆人がスーツの上着を脱ぐ。ついてきた俊介がそれを受け取って別の部屋へ消えた。 「恥かかされた、異国の人の前で」  文句を言わなければ気がおさまらない。が、隆人には全然応えたようすはない。 「男同士でも抱き合って頬にキスをして挨拶する国からきた連中だ。驚いていなかったじゃないか」  遥は上目に隆人をにらむ。 「苦笑いはしていた」  隆人が笑った。 「それは気がついたのか。意外と冷静だったな」 「隆人!」  隆人がくるりと振り向いて、遥の頬を掴んだ。 「言っておくが、この部屋にはうちからも、ロシア側からも監視カメラが設置してある。相手はロシアのコングロマリットのトップだ。ロシア国内はもちろん世界的にもVIPだ。国際的に恥をさらしたくないなら、大人しくしておけ」  手を放されたが、頬に痛みが残った。さすりながら、口を尖らせる。 「そういう重大事を、なぜ直前になって言うかな? あらかじめ言っておけよ」 「言ったら緊張する時間が長くなるだけだろう?」  隆人がにやにやしている。遥は更に唇を尖らせて、そっぽを向いた。  そっと湊が寄ってきた。 「まだお時間がございます。遥様も上着を脱いでお楽になさってはいかがですか?」  勧められるまま、上着を脱いだ。  俊介たちはいつもと変わりなく働いている。それを見ていると、肩の力が抜けた。緊張してカリカリするのが馬鹿らしい。  遥は伸びをすると、ソファに腰を下ろした。  会食の時間が近くなると、ダイニングルームへの出入りが頻繁になった。無論、監視付きでテーブルのセッティング作業は進められている。  すべての仕度が終わり、俊介と湊の手でふたりは上着を着た。 「さあ、ミハイル・レヴァント夫妻をお出迎えだ」  隆人について、遥は部屋を出た。

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