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斉藤さん

 2週間前のあの日。陽斗は風邪を引いて数日仕事を休んでいた。なかなか回復せず、食べ物も飲み物も薬すらも切れ、熱にうなされる中、日も暮れて真っ暗な道を致し方なく買い出しに出かけたのだった。  マスクをして、マフラーをぐるぐる巻きにして、完全防備で近くのコンビニまで歩く。フラフラしながら買い物を済ませ、家路へと向かった。オートロックを解除してマンション内へと入る。働かない頭でエレベーターまで行くと、丁度誰かが中に入るのが見え、扉が閉まるところだった。 『あ……』  ちょお、待って。と言いたかったが、そんな元気もなかった。とりあえず次を待とうと諦めたところで、中にいた人が陽斗に気づいて扉を開けてくれた。 『ありがとうございます』  そう言ってエレベーターに乗り、相手の顔を見た。  あ。  親切にエレベーターを止めてくれたその相手は、いつも窓から見ていた男前のサラリーマンだった。今日はダークグレーのスーツに、斜めストライプの紺のネクタイをしている。間近で見る彼は、窓から見るよりも数倍男前だった。  いえ、と小さく答えて前を向く彼を、斜め後ろから盗み見る。  肌つるっつるやな。  切れ長の目も、その色白の涼しい顔にしっくりとはまっていた。あまりジロジロ見たら怪しまれそうだったので、それ以上観察するのを止めた。そこで、自分の部屋の階ボタンを押していないことに気づいて慌ててボタンに手を伸ばすと、そこはすでに点灯していた。  同じ階なんかな?  そう思いながら、目的の階に着くのを待つ。小さな音を立てて扉が開いた。陽斗は先にエレベーターを出て、自分の部屋へと歩き出した。後ろから、彼が適度な距離を保って同じ方向に歩いてくる気配がする。 玄関まで到着し、鍵を出そうとがさごそとポケットを探っていると、その陽斗の後ろを彼が追い抜いていった。ちらっとその姿を追うと、陽斗の家の隣の玄関前で止まって、鍵を取り出しているのが見えた。  あの人、お隣さんやったんや。  向こうもエレベーターで出くわした住人がお隣だったことを無視するわけにはいかないと判断したのか、玄関を開けた瞬間、ちらっと陽斗の方を見て軽く会釈した。  陽斗が会釈を返すと、彼はそのまま部屋の中へと消えていった。  その後、郵便受けに提示してある名前から、彼が『斉藤さん』ということを知ったのだった。  このマンションに住んでいることや彼の身なりからすると、結構いい会社に勤めているのかもしれない。着ているスーツも質の良さそうな物ばかりだったし、雰囲気もインテリっぽくて育ちが悪そうには見えなかった。  陽斗とは全く生活パターンが異なるらしく、お互いが顔を合わせることはそれ以来なかった。

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