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立派な八重歯と斉藤さん
2人はマンションを出ると駅に向かって歩いた。駅の反対側にある、そこそこ人気のラーメン屋へと赴く。今朝見た時にはすぐにでも雨が降り出しそうな空模様だったが、どうやらこの時間まで持っていたようだ。それでも、厚い雲が立ちこめているのには変わりがないので、念のため傘を持参した。
夕飯直前の時間帯だったためかラーメン屋には行列ができていた。日が落ちてぐっと冷え込みが厳しくなる中、辛抱強く待ち続け、やっとラーメンにありつけたのは並び始めて約1時間後の、夜7時近くになってからだった。この時ほど井上の完全防寒ないでたちを羨ましいと思ったことはない。
「めっちゃ、美味かったなぁ」
「そうやね。あ、やけど、ハルくん、今日はネギ、挾まらへんかった?」
「挟まった。やけど、楊枝でなんとかなったわ」
「立派な八重歯持つと大変やなぁ」
「まあな。ネギは天敵や。しょっちゅう挟まるからな」
「でもハルくんのチャームポイントやもんね」
「まあ……これで覚えてもらえることは多かったな」
「そうやね。昔から、『あの八重歯の可愛い子』言われてたもんな」
陽斗には生まれつき立派な八重歯が備わっている。自分的にはコンプレックスに感じて矯正しようかと悩んだこともあったのだが、直すには結構な費用がかかることと、健康上には全く問題ないことからそのまま放っておいてある。井上の言う通り、この八重歯のおかげで顔を覚えてもらうことも多いし。悪いことばかりでもない。
「じゃあ、ハルくん、またね」
「おん」
そのまま電車で家路に向かう井上と駅構内で別れて、帰宅しようと駅を出て歩き出した。そのタイミングで、ポツポツと雨が降ってきた。あっという間に土砂降りになる。陽斗は持参していた傘を急いで開いて駅前の道を横切ろうとした。
あれ。
ふと、見覚えのある顔が駅構内に見えた気がして足を止めて目をこらす。
『斉藤さん』や。
駅の改札口のところに、今朝見た記憶のある黒スーツにコートを羽織った『斉藤さん』が、少し困ったように空を見上げて立っているのが見えた。
傘、持ってないんかな?
見たところ傘を持っておらず、突然の土砂降りに帰宅できずにいる様子だった。陽斗は迷わず『斉藤さん』に近づいた。
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