2 / 10
第2話 研修①
無事に一樹を保育園に送り、俺も病院に着くことが出来た。集合場所は大会議室。
俺が来た時には15人ほどの新人・中途採用者が席に着いていた。
この病院で採用された看護師は、新人・中途関わらず2週間の研修後、各病棟に配属されることになっている。
研修内容は病院の概要、基本理念からバイタルサイン《主に血圧、体温、脈拍、呼吸を指す。生命の兆候の事》や輸血、点滴などの医療行為まで沢山ある。
医師や作業療法士などの他の医療従事者は内容の異なる研修になるため、ここにいるのは看護師だけだ。
「あっ、昭仁」
ふいに名前を呼ばれ、声が聞こえた方へ顔を向けると学生時代の同期が小さく手招きをしてくれた。
俺と同じ歳で、緩いパーマがかかった金に近い茶髪、眠たそうな垂れ目が特徴的だ。首には政府配布の黒い首輪がついている。知った顔を見て、ホッと安心した。
「直斗 おはよ」
「おはよー。かず君無事保育園行った?」
「おー、行った。間に合ってよかったよ」
1つの長机に2脚の席が設けられており、直斗の隣の席が空いていたので、背もたれ付きの椅子を引いて腰を下ろした。
直斗は学生の頃から仲が良くて、俺の家庭の事情も知っており、一樹も直斗のことは慕って、よく遊んだりしている。しかも、ここで働く同じ専門学校卒業生は直斗だけなので心強い。
机の上にはいつくかの資料が置いてあり、病院のパンフレットやパワーポイントが目に入った。
ぱらぱらと軽く目を通すと『Ω病棟』という文字が見え、自分が配属になる病棟はどんな風に書かれているのか気になりジッと見る。
「何真剣に読んでんの?」
直斗が覗くように俺の側に寄ってきた。
「ん、パンフレット」
「ふーん、研修前から熱心だね。…ああ、Ω病棟の紹介かぁ」
「うん。自分が働く病棟だから何て書いてあるか気になってさ」
「そうだよね。Ω採用枠は2つだったから、人不足でβが配属にならない限り、新人は俺らだけだよー。緊張するね」
「だな」
『Ω』や『β』。
これらは約100年前に発見された、男女の性別以外の第二の性、『バース性』と呼ばれる性差である。
この突如現れた性差は、あるウイルスが原因だった。ルヴトーウイルスは、狼ウイルスとも言われ、100年前に世界的に流行し、次々と人に伝播した。
狼を経由したウイルスであったためか、そのウイルスに感染した者から、今までになかった性差を表す身体的特徴がでるようになった。
性差はα、β、Ωの3つに分けられる。
まずはα。
αは政治家、会社経営者、重役などの有能で社会的地位が高い者に多く現れ、αとバース性が確定することは一種のステータスとなった。
生殖機能では男女ともにペニスを持ち、男性器の根元にはノットと呼ばれるこぶしのようなものがついており、性交時に妊娠しやすいよう簡単に抜けない構造に変化する。
またΩが発するフェロモンに反応し、ラット(rut)と呼ばれる急性的な発情があり、ラット時には身体の能力値が上がり、凶暴性が増すαもいた。人口の1割程度にあたる。
βは能力も平均的な人々が多く、バース性の割合では一番多い性で、人口の8.5割程である。
Ωの発情期で出るフェロモンの影響を受け、性欲が増すことはあるがα程の影響はなく、ラット状態にはならない。
そしてΩ。
人口の約0.5割程しか存在しない少数の性で、Ωは男女共に妊娠可能で、一定の周期で発情期が訪れる。男性の場合、直腸内に子宮を持ち膣分泌液のような液体を分泌する。
発情(ヒート)期間中は特殊なフェロモンを発し、番と出会っていないα、β性を無自覚に誘惑してしまうため、容易に外出もできない。そのため社会的地位が高い職業に就けず、フリーの職業に務めている者が多い。
容姿端麗な者が多いが、キャバクラやホストなどの夜の街で働く人に多く発見された事、さらに数ヶ月に一回は起こる発情期という体質の出現により、動物のようだと蔑まされたり、性の象徴だと差別的な扱いを受けてしまっている現状がある。
男女ともに妊娠できる身体であり、産む機械として人権を無視した取引なども裏で行われているという噂も出ていた。
このバース性による身体変化は、人によって受け取り方は千差万別だった。人口減少を防ぐ『人類の進化』だと受け入れられる一方で、本能が強く出るバース性は動物的で『人類の退化』だと言う者もおり、特にΩに対しては新たな人種差別が出てきてしまった。
だが100年かけて、Ωの処遇については徐々に改善されてきている部分もあり、特にここ数年は劇的に改善されている。
俺が働く予定のΩ病棟が良い例だ。
Ω病棟は名前の通り、Ωの患者が入院する病棟である。外科、内科など関係なく、全科のΩ患者が対応だ。
数年前までは全国に数える程しかなく、Ωは発情期を理由に、診療や入院を拒まれることが多々あり、満足に医療提供が行われていなかった。
バース性での特徴上、Ωは数ヶ月に1度は発情期があり、妊娠できる身体を持っている。そのため、発情期を抑える「発情期抑制剤」というものが開発された。
この薬の種類は現在十三種類存在するが、今まで病院側は満足に診療せず、政府が推奨する、ある一種類の発情期抑制剤を処方するだけの、おざなり対応が一般的だった。
また今は政府発行の丈夫な黒い首輪が配布されているが、数年前までは配布はなく、金銭面を理由に首輪をしていないΩが多く、抑制剤が身体に合わないΩや首輪を持たないΩは、不意の発情期の出現や副作用により、望まない番や妊娠、体調不良に悩まされてきた。
それが数年前に法改正により、地域医療支援病院はΩ病棟の設置義務が課せられることになった。
おかげでΩへ医療提供する場所が増え、Ωの受診率や入院率が向上するようになったのだ。
また政府配布の黒の首輪も一般的には出回っていない鍵が使用されており、望まない番や妊娠は減少している。
ともだちにシェアしよう!