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第3話 研修②
「その反応、昭仁はそんなに緊張してないの?」
「まぁそうだな。まだ研修だし、実際働き始めるのは2週間後だし」
「んー、それはそうなんだけどさぁ」
直斗は机の上に置いていたボールペンを起用に回しながら、口を尖らせる。
「だって専門学校の時、実習結構キツかったじゃん?けど実習先でさ、『働くのはもっとキツい。これぐらいで弱音吐いたら続けられないよ』って言われたことあったのがずっと頭に残っててさー、怖いんだよー」
直斗がため息をつきながら呟く。
確かに直斗が言うように専門学校時代もなかなかキツかった。実習は緊張状態でほぼ立ちっぱなし、指導者からの質問攻め、多量のレポートや記録物の提出……寝不足でうっかりカンファレンスでうたた寝したときの指導者の冷たい目は、今でも脳裏に焼き付いている。それも今となっては笑い話だが。
「あ〜…、キツいかもしれないけどさ……とりあえずキツいって言いながら実習とか試験乗り越えてきたじゃん?だからこれからもキツいって言いながら、俺と一緒に頑張っていこ」
3年頑張ったのだ。授業料はタダだったけれど、専門書である教科書は馬鹿高いし、時間だって3年を費やしている。キツくてもやるしかない。特に俺は一樹もいるし、頑張らないと。
「はー、母は強しだね」
「母……まぁ産んだからそうだな」
「お母さんから見て、俺頑張れると思う?」
「誰がお前のお母さんだ」
「っいて」
軽く頭をはたいて呆れた顔で直斗を見ると、笑った顔で反応が返ってくると思っていたのに、思い詰めたような顔で附いていたため、俺は悟る。
「……もしかして……、親父さん悪くなったのか?」
直斗は元々底無しに明るく、いいことも悪いこともポンポン頭に思い浮かんだら言ってしまう奴だ。
でも親父さんが脳梗塞になった後から気持ちが落ちており、急に不安に襲われるみたいで、感情がグラグラと乱れることが多かった。
「うーん……。悪くはなってないけど、右半身の痺れが残ったままだからさ、仕事続けられないんだって。大工なんて身体が資本だから。仕事探してるけど年取ってるからなかなか見つからなくて」
「……そっか」
直斗は俯きながら小さい暗い声を出す。
「家計はキツキツなのにさ、もし俺が……キツくて看護師続かなかったらどうしようとか。金なくなって、薬買えなくなって、身体売らなくちゃいけなくなるんじゃないかな……とか考えちゃって。俺の抑制剤、2番目に高いやつだから、金がいくらあっても足らないし」
直斗は一般的な抑制剤との相性が悪く、金額の高い抑制剤しか身体に合わなかった。抑制剤は基本毎日飲まなければ、不意な発情期や酷い発情期になってしまう。
保険適応になっているとはいえ、三割負担。俺は一般的に流通している抑制剤で事が足りているためあまりお金がかからないが、直斗は両親が節約に節約を重ねて、頑張ってお金を捻出していた。だが、親父さんが体調を崩してからは貯金がみるみる減っていき、夜な夜なお金の心配をしている両親を直斗は見てきているのだ。
脳梗塞の発見が早かったので、日常生活を送る上ではあまり問題はないぐらい後遺症では済んだが、仕事になると微細な指の動きや機敏な動きが難しいので、職種が限られてしまう。
「最近そんなことばっか考えてるせいか夜眠れないし、嫌な夢見るし。悪いことが頭が離れないんだ……。あーっ、俺こんな暗い性格だったっけ」
「しょうがねぇだろ。親の体調悪くなればキツいのは当たり前だ」
俺だって両親や一樹が体調を崩せば身体的にも精神的にもキツくなる。一樹が1週間熱が下がらなかった時はもうノイローゼみたいになったものだ。
「あー……、朝っぱらからごめんな。久しぶりに昭仁の顔見たら話したくなって……。不安でぐるぐるしてたから吐き出したかったんかな……。親には愚痴れないし」
「親のことが不安の原因なら言いづらいよな。まぁ、俺のことは気にすんなよ。溜め込むとキツいし、どんどん言え」
力なく笑う直斗を見ていると辛くなり、慰めるつもりで優しく2回肩を叩いた。直斗は力ない笑顔を返し、無理に明るい声を出して話しだす。
「発情期がなくて、抑制剤飲まなくてよくなれば、気も楽なんだけどねー。金かからないし、色んな心配もしなくていいし。でもそれは出来ないのがΩだよね」
「まぁ生まれ持った性だしな」
「一生一緒にいてくれる番が現れたら、こんな心配しなくていいのにさ。でも周りにαの番が出来て幸せになってるΩをしらないし難しいのかな……。抑制剤も飲まなくてよくなって、愛してもらえて、気持ちのいいエッチも出来るからいいのにさ……あ、」
直斗はパッと顔を上げ、口を両手で押さえた。そして申し訳なさそうに眉が下がる。
「ごめん、無神経なこと言った」
「そうだよ、こんな公衆の面前でエッチとか言うなよ」
「えっ、いや、そっちじゃなくてさ」
直斗が言いにくそうに口籠る。自分がキツい時期なのだから、そんなに気遣いしなくていいのに。
「ったく……、俺はもう随分と前のことだから気にすんな。一生一緒にいれる番だなんて、Ωだったら誰もが望むことだろ。特に直斗は金もかかるし切実な願いじゃん」
「……でもさ、昭仁はずっと発情期苦しむのにさ……」
みるみるうちに直斗のテンションは急降下だ。
番が死んでしまった俺は、確かに一生発情期と付き合っていかなければならない身体だが、直斗が気を病む必要は全くない。
『番』。
番とはαとΩの間だけしか成り立たないシステムのことである。
番になるためには発情期の性行為中にαがΩのうなじを噛むことが必要で、番になったα、Ωはお互いにしか発情しなくなる。
そのため、添い遂げられるαを見つけられたΩは、発情期の際に出るフェロモンの影響は周りに及ばないため、抑制剤の内服はしなくてよくなり、番と性行為で発情期を抑えることが出来るのだ。
薬に頼らなくてよい、更に発情期が辛くないという、とてもよい関係に思える。
だが番システムはいい面ばかりではなく、Ωにとってリスクを伴う。それは番になった後、αが番を解消したいと思えば解消させられてしまうことだ。
逆はなく、Ωは番を解消したくても解消は出来ない。つまり全てαの都合により、勝手に番になったり、番を解消させられてしまうリスクを伴うのだ。(αが先に亡くなり、死別した場合も番は解消となる。)
さらに番は互いにしか発情しないが、αは別の相手が気になったときには発情なしで番以外とセックスすることができる。しかしΩは番以外とのセックスをすると、猛烈な拒否反応が出て、吐き気や頭痛、嫌悪感が襲いセックスどころではないらしい。
これは番が解消されても続くため、αに捨てられたΩは一生、誰とも身体を繋げることは出来ずに発情期を乗り越えなければならない。
そして、俺のうなじには噛み跡がある。
一生消えることのない噛み跡。
つまり、番が死んでいる俺は、数ヶ月に1回くる発情期を死ぬまで、これからも乗り越えなければならない。
「番がいないのはいいんだ。俺は受け入れられてるから」
発情期が厄介で、つらいことには変わりはないけれど、妊娠から約6年が経ち、Ωだった身体のおかげで一樹と会えたのだと思えれるようになった。一樹を得るために貰えた神様からのプレゼントだから、俺はΩに生まれたんだと受け入れることができている。
「直斗は気にしすぎ。変に気使われた方が嫌なんだけど。直斗はとりあえず、親父さんが早く良くなるように願いながらさ、やれることやっていったらいいんじゃないか?今はとりあえず研修。で、看護師として一生懸命働く」
「……うん、そうだよな」
「で、働きながら噛み逃げしない、先に死なない、ずっと愛してくれる番を見つける。それが当面の目標だな」
「……そんな好条件のαなんかいるかな?」
「じゃないと俺みたいなるぞ?」
「え、それ笑えないんだけど」
「自虐ネタだぞ。そこは笑えよ」
「無理」
直斗がふっと息を吐くように笑った。
なかなか気持ちが浮上するのは難しありかもしれないが、とりあえず看護師はお互いに続けていけるように愚痴ぐらいはいくらでも聞こう。
その後は適当な冗談を言い合っていたり、一樹の話をしたりしていると研修開始の時間になった。それぞれ前を向いて院長の話に耳を傾ける。
2週間後には病棟勤務が始まる。国試での勉強は座学のみ。研修での講義や実技は仕事に直結してくるので、俺たちは1つ1つ集中して主体的に参加していった。
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