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第4話 病棟勤務初日①
2週間の研修が終わると、Ω病棟の新人は人員不足もなかったようで、俺と直斗の2人だけの配属が決まった。
今日から病棟での勤務が開始されるため、スクラブに着替えて大会議室で待つ。時間になると、各病棟の看護師長がズラリと前に立ち、放送で順番に新人・中途採用者が呼ばれていった。俺たちも指示された師長の元へと向かう。Ω病棟の師長さんは女性で、黒髪のショートボブのふくよかな体型の人だった。
「永江君と野澤君ね。私はΩ病棟の師長、栗林です。バース性はβよ。これからよろしくお願いします」
栗林師長の話し方は、ゆったりとしているが聞き取りやすい。頼りになって安心できる、優しげな雰囲気があった。
大会議室を出て、エレベーターに乗り、5階までいく。エレベーターから降りると四方に擦りガラス扉があり、扉の奥は見えないようになっていた。
『Ω病棟』と書かれた扉の前で師長が立ち止まり、俺と直斗にそれぞれネックストラップ付きのカードホルダーを渡す。
「これ名札ね。名札の裏にカードキーが入ってるんだけど、このカードキーはΩ病棟を出入りするために必要な物なの。安全面の理由でΩ病棟で働いている人以外は入れないようになってるわ。だから絶対無くさないで。でも万が一無くした時はすぐに教えて下さい。すぐにこの鍵を作ってる会社に対応してもらうからね」
「は、はい。」
鍵を無くしたら大変なことになるなと、今更ながらその責任の重さに緊張してグッと名札を握る。
「じゃあどっちかそこにカードをかざしてくれる?カギが開くから」
目配せして、直斗がおそるおそるカードをかざすとカギが開いた。みんなで病棟内に入って扉を閉めると、自動でカギがかかる。目線を前にうつすとスタッフステーションが見えて、数人の看護師と目が合った。
「スタッフはもう朝のミーティングが終わって、それぞれの業務に回ってるのよ。プリセプター《新人教育をする先輩看護師》には残ってもらってるから挨拶しましょうか」
「「はいっ」」
「佐々木さん、園君、新人君達連れてきたよ。ちょっと来て」
師長に呼ばれたプリセプター2人がスタッフステーションから出てくる。名札を見ると佐々木さんは背がすらりと高く、栗色の長髪が似合う女性で、園さんは黒髪に緩めのパーマ、太めの黒い眼鏡が特徴的な男性だった。佐々木さんは黒首輪をしていたけれど、園さんは黒首輪をしておらず、首には噛み跡がついている。
俺と直斗はそれぞれ自己紹介をし、俺は園さんのプリセプティー《新人看護師》となった。
「野澤君か、俺は園だよ。よろしく!」
「あっ、はい。こちらこそよろしくお願いします。一生懸命頑張ります」
いきなりフランクなノリに少し引き気味な返事になる。
「はぁ〜初々しいね。まぁプリセプターだから何でも相談して」
「はい、ありがとうございます」
「あれあれ?野澤君って若いのに首輪してないじゃん!番いるんだ?」
……この人すごいグイグイくるな。初対面でそんな混み合った事聞くのか。
「えっと……、俺の番は死んで、いないです」
「あ、そうなんだ?その年で死別とか珍しいね。じゃあ子どもは?」
「5歳の男の子が1人います」
「おっ、俺の子どもも男なんだよ〜。今2歳!ちょーやんちゃなんだよね」
「ああ、わかります」
死別したと言っても全く悪気なく返される。会話に遠慮がない。でも天真爛漫な感じは元気な時の直斗に通ずるものがあり、嫌ではなかった。
「園君、いきなり色々聞きすぎですよ」
師長さんが諭すように園さんに声をかける。
「あ、すみませんー。初のプリセプティが嬉しくて。ははっ」
「もう……、挨拶すんだら清拭に回ってくれる?」
「りょーかいです!じゃあ野澤君、午後からは俺について回るみたいだからよろしくね。メモ忘れないように!」
「はい、わかりました」
ひらひらと手を振って清拭車の方へ園さんと佐々木さんは仕事に行った。
プリセプターとの関係が悪いと大変だと思っていたので、園さんみたいな人ならやっていけそうだなと安心する。
直斗のプリセプターである佐々木さんも見た目が背が高くて綺麗で近寄りがたい感じだったが、優しそうな人のようだ。直斗もまずはホッと一息ついている。
「野澤君ごめんね。園君悪い子じゃないんだけど、デリカシーがないのよ」
「あ、いえ。良い人そうで安心してます」
「そう?なら良かったわ」
2人のプリセプターが去って、師長からこの後の説明があった。午前中は病棟オリエンテーション、午後からは園さんが言っていたようにプリセプターについて業務の流れを見せてもらうことになっていた。
俺たちは師長についていって、Ω病棟を見ていき、部屋の種類の紹介や物品の位置、リネンの出し方など説明されていく。
「Ω病棟の看護師はβ3名、Ωが君たちを含む17名の計20名で働いてるの。病棟は4人部屋が5つ、個室が4つ、陰圧部屋が2つの計26ベッドね。で、陰圧部屋は他病棟では結核などの空気感染患者をいれるために使ってるんだけど、Ω病棟での運用は違っていて、発情期になった患者さんが入ってもらう部屋になってるわ。シェルターって呼んでる。今は誰も入っていないわね」
陰圧部屋の前で立ち止まる。陰圧部屋とは部屋の中の空気が、外に漏れないように気圧を低くしてある病室のことだ。
しかしΩ病棟での陰圧部屋は、発情期になったΩのフェロモンを外に漏れ出ないようにするために使っている。看護師はβとΩしかいないが、医師にはαが多く、α医師の出入りがあるためだ。
この部屋は基本入れるのはΩの看護師のみで、βの看護師は入れない。カードキーで管理されており、Ω看護師のカードキーでないと解錠ができない仕組みになっていた。
αやβの医師による医療行為が必要な場合はN95マスク《0.3μmの微粒子を補集でき、空気感染時に使用される。Ωのフェロモンを通さないマスクでもある》を着用してから医療行為を行うとのことだった。
「この部屋はあなた達スタッフが不意にヒートが起きた時にも使っていいのよ。過去に何度も先輩達が使ったことがあるわ。だから使うときは遠慮なく使って。何かあってからではお互いに辛いから。しっかり自分の身を守るのもここで働くためには大切な事よ」
Ωの発情期は身体や精神の不調により不安定になりやすい。患者さんは病気により不安定になりやすいが、Ωの看護師も疲労などにより、不意の発情期になることがあるとのことだった。いざと言う時はしっかり逃げようと頭に入れる。
「2人の発情期の周期はどんな感じ?」
師長さんが勤務を組む時に必要な情報なのでみんなに聞いていると話す。
直斗は3ヶ月周期で次の発情期は5月予定、俺は4ヶ月周期で、前回は3月10日に来たので、次は7月の予定であることを伝えた。
「ありがとう。後で希望休暇を記入する場所を教えるけど、前月には発情期予定日書いててね。1週間は発情期休暇で有給扱いだから。長引く時も基本は有給を使うから無理はしないでね」
その後も病棟の案内をしてもらっていると、何人か入院患者さんとすれ違った。笑顔で挨拶してくれる人もいるし、辛そうな顔の人もいた。病気に加えて、家族と疎遠の人、番がいる人、番を解消された人、死別した人……色んな人がいる。
「よし。大体の案内は済んだわね。あとは先生に挨拶出来たらいいんだけど……。Ω病棟は出入りを少なくするために基本、内科と外科の先生が1人ずつ代表で見てもらってるの。内科の先生の名前は櫻乃 先生で外科の先生は蒲田 先生……あっ!なんていいタイミング。櫻乃先生ー、ちょっと時間あります?」
師長が声を張った方に顔を向けると、紺色のスクラブの上に白衣を着た、眉目秀麗の長身男性がくるりと振り返った。
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