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第9話 歓迎会①
「ただいま〜……」
「あ!昭仁帰ってきた!」
奥からバタバタと忙しい足音が聞こえてきて、一樹が顔を出す。
時刻はすでに夜の7時。俺の帰宅時間は連日こんな感じだ。
患者さんの体調はその日によって変わっていくため、少しずつ知識や業務に慣れてきているとはいえ、事前に勉強をしていても、突発的に処置やら治療が起こることもあるため、うまく対応できずに時間はかかってしまう。
さらにうまくいかなかったところは勤務後に園さんが確認してくれるが、園さんには番がいるので、俺と一緒に遅くまで残ってくれているのが申し訳ない。早く仕事に慣れて、一人前になりたい気持ちばかり膨らむ。
日々、成長と反省だが、今は何より一樹との時間が少なくなっているのが悲しい。
「遅かったじゃん!もうご飯食べちゃったよ!」
「ごめんな。お腹いっぱいなったか?」
「うん!今はお腹いっぱい!でも昭仁の食べてるの見てるとお腹減るからまた食べる!」
「うーん……、夜に2回も食べるの身体に悪そうなんだけど……食べるの我慢しない?」
「しない!」
「だよなぁ……」
連日の残業で俺だけが食事をするのが遅いため、一樹と両親は先に夕飯を食べている。でも一樹は人が食べていると欲しくなるみたいで、俺の横で更に何か食べて、夕食が2回になってしまっているのだ。
両親に相談したが、お菓子を食べてる訳じゃないし、標準体重から逸脱してないからいいのよと言われた。
カラスの行水のようにササッと風呂に入り、夕食を食べる。一樹は俺の皿からハンバーグを一口食べて、母さんから小さなおにぎりをもらい、今日あったことを元気よく報告してくれた。
「仕事はどう?大変?」
一樹の報告が落ち着くと、母さんが温かいお茶を入れて持ってきてくれる。
「ありがと。うーん……やること多いし、わからないことも多いし、時間過ぎるの早い」
「身体はキツくない?」
「毎日くたくたで、キツくないっていったら嘘になるけど、まだ頑張れる」
「そう……。無理はしないのよ?」
「うん」
母さんは疲れをみせる俺を心配してくれる。本当は食事や洗濯、掃除など手伝いたいと思っているが、母さんの優しさに甘えて、俺の時間は仕事と一樹と遊ぶことに当てて過ごしている。
「あ、そういえば明日は歓迎会だから飯いらない」
「そうなの?予定していた歓迎会は直斗君のヒートで中止になってたって言ってたわね。直斗君のヒート終わった?」
「うん。もう働いてる」
元々予定していた歓迎会は直斗の発情期が予定より早く訪れたため延期となっていた。直斗の発情期が終わり、プリセプターや師長さん、先生の都合を再度擦り合わせて明日になったのだ。
「昭仁明日いないの?」
一樹が口を尖らせながら聞いてくる。
「うん。俺と直斗の歓迎会だから絶対参加なんだよ」
「えー、俺も連れてってよ!」
「それは出来ない。飲み会も仕事なの。明日は母さん達と先に寝ててな」
「え〜……」
頬を膨らませてふてくされる一樹に、寂しい思いをさせているかなと胸が痛む。
「明日は遊べないけど、3日後休みだからどっか行こうか?」
「まじ?!やったー!えっとねー、じゃあ……動物園!」
「いいよ。よし、ご馳走様でした。皿洗いするから、そのあと何して遊ぶ?」
「えっとねー、神経衰弱とブタのしっぽ!」
「オッケー、ちょっと待ってろ」
一樹を育てるために、収入が多くて、安定している看護師という仕事を選んだのだけれど、こうやって一緒の時間が減ると俺の選択は正しかったのか不安になる。
Ωは選択できる職種がαやβに比べて少ない。だから限られた職種の中で一樹が今後不自由しないように看護師を選んだ。
不安は覚えるけれど、辞めても職の当てはない。看護師を続けて、少ない時間だけれど一樹との時間を大切にしていって折り合いをつけていかなければならないのだろう。
「よし!負けないからなー!」
不安を打ち消すように、気持ちを上げて笑顔で子ども部屋に向かった。
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俺たちの歓迎会は、こじんまりとした酒屋で開催となった。この居酒屋は繁華街から離れた場所にあり、尚且つ病院に近い場所であるため、Ω病棟の飲み会にはよく利用する場所だそうだ。
今日は俺たち職員の他にはお客さんはおらず、貸し切りになっていた。
落ち着いた照明に、木目の壁にはおすすめのメニューやビールのポスターが貼られている。
「野澤君、永江君、これからもよろしくお願いします。それでは乾杯ー!」
「「「乾杯ー!」」」
蒲田先生の音頭の後に、周りにいる人たちとカチャカチャとグラスを鳴らしてお酒を口に含む。カシスオレンジの甘い味が喉を潤し、空腹のお腹に入っていく。
歓迎会には、Ω病棟で働いている看護師や介護士、クラーク、医療事務に加えて、Ω病棟へ出入りする櫻乃先生、蒲田先生、研修医の4人が参加していた。
4つのテーブルを繋げた宴会場で、俺と直斗は真ん中付近に並んで座って、おずおずとお酒を含む。俺の隣には園さん、直斗の隣には佐々木さんで、プリセプターが近くにいてくれているため幾分緊張は和らぐ。
野澤君、と園さんが俺の肩をちょんちょんとつつき、耳にささやく。
「今からパパッと挨拶まわりしておいで。面倒くさいけど、細かい事気にする人もいるからね。回り終わったら、あとは自由に食べて飲んで出来るし、嫌なことはチャチャっと終わらせよう」
「はい、わかりました。回ってきます」
隣にいた直斗にも声をかけて、一応ビール瓶を持って1人ずつ回っていくことにする。目上の人から回るものだよなと考えて、先生、師長、他スタッフの順番で回ることにする。
まずは一番年上の蒲田先生に挨拶をした。
「おっ、ありがとな。どうだ?仕事は慣れたか?」
蒲田先生はΩ病棟の外科担当の先生だ。どっしりとした身体に出ているお腹、ざっくばらんに切られた黒髪にくりくりとした大きな目は狸を彷彿とさせる外見だ。
外科の先生は内科の先生よりもαの比率が高く、βは蒲田先生しかいない。外科唯一のβで、Ω病棟の外科担当という肩書きはあまり良い印象がないみたいで、他病棟の看護師が哀れむように話しているのを見かけたことがある。"Ω病棟なんかの担当で可愛そう"。Ω病棟はよくは思われていないだろうと思っていたが、実際に耳にすると胸が傷んだ。
「まだまだ慣れないですね」
「1ヶ月ぐらいしか経ってないからな。まぁ頑張れ青年よ」
「ありがとうございます」
蒲田先生は笑顔で俺たちに激励をくれて、ホッと一息したあと隣に座っていた櫻乃先生に挨拶をする。今日の格好は無地のクリーム色のシャツに茶色の薄手のテーラードジャケット、黒のデニムズボンとシックな服装がよく似合っていた。
軽く挨拶をした後、直斗が急変の時に迷惑をかけたことを謝ると櫻乃先生はにこやかに答える。
「気にしないで。ヒートは身体の状態で早くなったり遅くなったりするからね。でも大分早くヒートきたみたいだから、日頃から無理しないようにね?新人で大変な時期だけど、自分を労わることも大切だよ」
「ありがとうございます……!」
直斗は顔を赤らめながら櫻乃先生と話している。こんな風に優しく言ってくれたら嬉しいよな。
そのあとしばらく直斗と櫻乃先生が話していたので、俺は邪魔をしないようにジッと聞いていた。直斗の緊張した面持ちに少し上気した顔は、もしかして櫻乃先生のことが気になっているんじゃないかと推しはかる。αがいいって言っていたけれど、βはどうなんだろう?時間があるときに聞いてみたい。
2人の会話が終わって、次に挨拶する人は直斗と2人で迷ったが、研修医よりも師長のほうが目上だと思い、師長に挨拶したあとに研修医のもとへ挨拶へ向かった。
今年の研修医は5人で、1人は指導医と共に夜勤に出ているので、今日は4人が来てくれていた。失礼します、と言って軽く頭を下げて研修医が固まっているテーブルの近くに座ると研修医の1人である甲斐 先生が怪訝そうな顔で俺たちを見てきた。
「今年の新人は研修医には挨拶しないのかと思いました」
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