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【涙色ラブレター】3~東山晶~
なんだよ……。漫画なんか、どうだっていいよ……。
さっきから蝉 がうるさい。吹奏楽の楽器の音色もうるさい。晶は苛立 って、ぎゅっと拳を握りしめた。告白がうまくいかなかったのは、ここがうるさいせいだ。いや、暑さのせいでもある、と怒りの矛先を自分以外の様々なものに向ける。だが、しばらくすると、そんなことを考えている自分がひどくかっこ悪く思えてきて、苛立 つのもバカらしくなった。
一瞬、これはもしや悪い夢なのではないか、とも考えてみる。しかし、今この手にあるラブレターを見つめれば、何度だって確認することができた。これは、今日の為に苦労して書いた自分の気持ち。懸命に綴 ったのに届かなかった、憐 れで可哀想な、初恋の気持ちだ。
手に持っているラブレターをそのままに、晶はゆっくりと歩き出す。荷物を教室へ置いてきたことを後悔しながら校舎へ入る。階段を上った。足はまるで枷 でもつけているかのように重かった。
「ねぇねぇー、後でグラウンド行くの付き合ってよ!」
「まぁた青野くん目当て?」
「だって、かっこいーんだもん! ね、お願い!」
階段を下りてくる軽快な足音と共に、弾みに弾んだ声が近づいてくる。さっき純を呼んでいた声だ。たぶん、彼女達は純と同い年の三年生だろう。友人か、クラスメイトか、ファンか、はたまた……そのどちらかが恋人かもしれない。だが、そんなことは晶には関係のないことだ。
純ちゃんは……、もう誰かのものになっちゃったんだ……。
そう思った瞬間、目頭がかあっと熱くなった。視界がみるみるうちにぼやけていく。慌てて手の甲で目元を拭 って、階段を一気に駆け上がる。一年生の教室が校舎の最上階にあることを、この時ほど恨 んだことはなかった。
「はぁ……っ、はぁ……」
息が苦しい。涙が止まらないのと、四階の教室まで二段飛ばしで、休みなく駆け上がっているせいで、自分でも今までどうやって息をしていたのかわからなくなるほど、うまく呼吸ができなくなっていた。
「お……っと!」
三階まで来たところで、出合い頭に誰かとぶつかった。だが相手の顔も見ず、晶はよろけながらもまた階段を駆け上がる。
今のは誰だ。一年生ではなかったかもしれない。二年生かもしれない。何しろ顔も見なかったのでわからない。いや、そんなことはどうでもいい。きっと晶の知らない人だ。
――いーんだよ、お前は知らなくて。
頭の中で純に言われた言葉を思い出す。最悪だ。告白できなかっただけではない。純が誰と付き合っているのか、それすらも晶は教えてもらえなかった。ひどい疎外感を感じる。まるっきり、子ども扱いを受けたような気分だ。
つまり、おれは結局……、弟分でしかなかったってことだ……。しょうがないよな……。おれは男だし。純ちゃんだってそりゃあ、付き合うなら可愛い女の子の方がいいに決まってる……。
やっと教室へ着いて、ひとまず自分の席へ座った。誰もいない教室は窓が閉め切られていて少し蒸し暑かった。けれど、ほっとした。テスト期間が終わり、クラスメイトは残らず帰宅し、或 いは部活へ出て、有意義な時間を過ごしているのだろう。あと一週間もすれば夏休みだ。皆、心浮かれているに違いない。
晶だってそうするつもりだったし、心浮かれていた。純に告白して、恋人になって、この夏休みは純が出場するインターハイの応援に行ったりなんかして、花火大会にも行って、恋人らしい夏休みを過ごせたらいい、などと思っていた。
「はは……。バッカだぁ……。おれ」
涙が溢れる。それをまた手の甲で拭 う。自分の席に座り、机に突 っ伏 して鼻をすする。今になってみて思った。なんて自分は能天気だったのだろう。同性であるのにもかかわらず、何の理由もなく受け入れてもらえるかもしれない、なんて、漠然 とした期待を持って、恋人になれるかもしれない、なんて憧れを抱 いていた。そして、こんなに丁寧にラブレターまで書いた。本当に能天気で、バカみたいだった。と、そこまで思って晶はハッと顔を上げる。
あ……。ラブレターが……、ない……。
それに気が付くなり、青ざめた。慌ててポケットや机の周りを確認する。だが、やはり見当たらない。
どっかいっちゃった……。
一気に体が冷たくなっていく。まずい。さっきまで手に握っていたはずのラブレターが、いつの間にか消えている。あれを誰かに見られることほど恥ずかしいものはない。まさかここまで上がってくるほんの僅 かな時間で落としたのだろうか。
そういえば……さっき人にぶつかって――。
ちょうど、その時だった。
「あのー……さぁ」
低く柔らかい声がした。晶は声のした方へ目を向ける。そこには背の高い青年が立っていた。
「これ、さっき落としていかなかった?」
すらりとした長身、さらさらとした黒髪。目は切れ長の二重で睫毛(まつげ)が長く、鼻筋が綺麗に通 った顔は一言で言って美形だった。肌の色は男にしては少し白い方かもしれない。こんな容姿なら、一度見たらきっと忘れるはずがないのだが、晶は彼を全く知らなかった。
見たことのない顔の青年は、半袖のワイシャツに制服のスラックス姿で、肩にはカバンをかけている。そしてその手に持っているのは、紛 れもなく晶の初恋を綴 ったラブレターだった。晶は慌てて立ち上がった。
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