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【涙色ラブレター】4~東山晶~

「そ、それ……っ!」 「やっぱり。よかった、すぐ追いかけたんだけど、足が速くて全然追いつけなかったよ」  くす、と笑ってそう言ってから、彼は教室の中をぐるりと見渡して、遠慮がちに「お邪魔します」と言った後、晶に近づいてきた。それから、くしゃくしゃに(しわ)が寄ったラブレターの角を()まんで何度かピンと伸ばし、晶の前にそれを差し出す。 「はい、どうぞ」 「あ、ありがと……」 「いいえ。ちゃんと仕舞っときな」 「ほんとに……助かりました。ありがとう……」  鼻をすすって、何度かそう言ってラブレターを受け取り、それを一度カバンの中へ仕舞う。だが、すぐにまたそれを取り出して見つめる。再び、止まりかけていた涙が溢れ始めた。 「うぅ……っ」 「え……。ちょっ、君……、だ、大丈夫?」 「だいじょぶじゃ、ないでずぅ……っ」 「そう……みたいだね……」  おろおろしながらも、彼は懸命に晶の背中を(さす)ってくれる。全く、恥ずかしいったらない。高校生にもなって泣きじゃくるのを止められなくて、しかもこんな風にどこの誰かもわからない人に(なぐさ)められるなんて、自分の情けなさにも泣けてくる。しかし、どうしようもなかった。後から後から涙は溢れて出てきて、止まらなくて、とにかく息をするのもやっとだった。 「う……、えぇっ……、えっ」 「もうそんなに泣かないで。ね?」  泣かないで、大丈夫、と優しく声をかけられると、余計に泣けてくるのだから困ったものだった。必死に気にかけてくれていることが嬉しいのか、もっと優しくされたいと思うからなのか。とにかく、彼が声をかけてくれたらそれだけ、晶は溢れ出る涙を拭かなければならなかった。 「ううぅ……、うっ、だって……、えぇっ」 「晶くん。ねぇ、そんなに目を(こす)ったら真っ赤になっちゃうからさ……」 「ううぅ……っ」 「ほら、ちゃんとラブレターは戻って来たわけだし。とりあえず顔を洗いに――」 ぐしゃぐしゃになって泣きながらそこで思わず頷きそうになって、ハッと晶は顔を上げた。ついでに涙も止まった。懸命に背中を(さす)ってくれた青年の手を振り払い、顔を見上げる。 「読んだな……?」  青年は笑みを引きつらせて答えた。 「え? いや、読むわけないじゃない。こんな短い間で」 「じゃあ、なんでこれがラブレターだって知ってるんだ。おれの名前も」 「だって、こんな可愛い便せんだし、ハートのシールがついてるし。晶より、って丁寧に差出人まで書いてあるし」  それを言われて、晶は黙った。そうだ。ちゃんと手に取ってもらえば、これが晶から純へのラブレターであることはきっとすぐにわかってもらえた。ハートのシールだって文房具屋に並んでいるものから一番それらしくて洒落(しゃれ)ていると思ったものを選んだし、便せんだってそうだった。もっと言えば、この字を見ただけで、純ならきっと晶が書いたものだとわかってくれるに違いなかった。  しかし、彼は今日、このラブレターを見もせず、手に取ることもしなかった。なぜか。読んだところで答えは変わらないからだ。そう言っていた。ショックだった。  せめて、受け取ってほしかったよ……。 「うぅ……っ、うー……」 「あぁ、またそうやって目(こす)って……。ほら、これ使って」  また涙が出てきそうになったところで、ポケットテイッシュを手渡された。ぐすぐすと鼻をすすりながら、晶は素直にそれを受け取り、ちーんと鼻をかむ。何度かそれを繰り返した後、それを丸めて教室の(すみ)のゴミ箱へポイっと放った。丸めたテイッシュは、綺麗にゴミ箱の中へ消えていく。すると突然、背中に添えられていた手が離れ、ぶっと青年が噴き出した。 「……っ!」 「……なんです?」 「ごめん! いや、なんか、可愛くって……!」 「……可愛い?」 「だって、すごい泣きべそかいてるのに、喋る時と鼻かむ時だけ、急に冷静になるからさ……!」 「はぁ……」 「ちっちゃい子みたい……!」  あまりに彼が笑うので、釣られて晶もへにゃ、と笑みを(こぼ)す。その途端、青年は「あっ」と声を上げる。 「晶くん、やっと笑った」 「あ……、はい」 「よしよし。じゃあ、顔洗いに行こうか、ね!」  青年に付き添われて、水道で顔を洗った晶だったが、今日はハンカチも持って来ていなかったことに気付いた。顔をびしょびしょにしたままでおろおろするも、それに気付いた青年はすぐに自分のカバンからタオルを取って来てくれた。しかも、席に戻った晶がまだしょぼくれている間、青年は窓を開けて風を入れ、落ち着いてきた頃を見計らって、一階の自動販売機まで行って、冷たいジュースを買ってきてくれた。本当に至れり尽くせりとはこのことだ。  この人にはそのうちお礼をするべきかもしれない。――と、ぼうっとした頭でようやく正常なことを考えられるようになってきたところで、晶は「あっ」と声を上げる。まだ彼の名前を聞いていなかったことに気付いたのだ。 「そういえば、あの、名前は……?」 「あぁ、ごめん。俺、名前まだ言ってなかったね。三年A組の三木葉介です」 「さんねん、えーぐみ……」 「そう」  三年生だったの……?  みるみる自分の顔から血の気が引いていく。どこの誰かは知らないが、まさか三年生だったとは思わなかった。しかも三年A組といえば、純と同じクラスではないか。晶は口をパクパクさせながらも、ひとまずペコッと頭を下げる。すると三木がまた、けらけら笑った。 「晶くんて面白いね……!」 「いやあの、す、すいませんでした……! おれ、先輩だなんて知らなくて……!」 「ううん、全然。追いかけてきてよかったよ」 「本当にすいません……」  そう言って、晶は机の上にあったラブレターを今度こそカバンの中に仕舞った。ボールペンで書いた「純へ」という字は、(こぼ)れ落ちた涙で(にじ)んでしまっている。渡す時にはパリッとしていた便せんもまた(しわ)が寄った挙句、涙でよれよれになってしまっていた。これではもう渡せない。いや、もう渡す必要もないのだが。  そうだった……。もう、全部終わったんだ……。  晶がふうっと長いため息を()くと、三木が(たず)ねた。 「ね、聞いてもいいかな?」 「はい?」 「その手紙の……純って、青野純のことだよね? サッカー部の」 「……そうです、けど」  もう隠す必要もないだろう。何しろ三木にはたぶん、これまでの人生でも一位か二位を争うほどの恥ずかしい場面を見られてしまったのだから。今更、その相手が誰だろうが、男だろうが女だろうが、晶にとってそれを彼に知られることは屁でもなかった。 「好きなの?」 「好きでした……。すごく」 「そっかぁ……」  晶は聞かれるまま答え、純が自分の幼馴染であること、また、もう何年も片想いをしていたこと。このラブレターを書き上げるのに一ヶ月もかかったこと、それを手にも取ってもらえないまま失恋してしまったことを話した。三木は「うん、うん」と相槌(あいづち)を打ちながらいつまででも話を聞いてくれていた。

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