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【夏の終わり】1〜東山晶〜
花火大会の日から三週間近くが経っている。本日は八月三十一日。今日で夏休みは終わりだ。
「明日から学校かぁー……」
ベッドの上で寝転んで、晶は独り言を零 す。花火大会の日を最後に、三木とは一度も会っていなかった。あれからしばらくの間、メールや電話は来ていたものの、晶はそれをたったの一度も返していない。純が言うには、晶は三木にとって負担になっている、らしい。自分では決してそういうつもりではなかった。だが晶は、無意識のうちに三木の優しさに甘えていたのかもしれない。彼に鬱陶 しいと思わせていたのかもしれない。
最近はもう三木からの連絡は一切来なくなった。来る日も来る日も連絡を取り合ったり、会って遊んだ日のことを、今ではまるで夢か幻のように感じてしまう。
明日から学校で会うのちょっと気まずいなぁ……。なるべく、三年生の教室の前は通らないようにしよう……。
夏休みが明ければ、学校で顔を合わせることも無きにしも非 ず。晶が何週間も連絡を返さずに無視していても、恐らく彼は学校で会えば、変わらずに笑顔で挨拶をしてくれるに違いない。しかし。その気がないのなら、優しくされるのは辛 いだけだ。もういっそのこと、あからさまに嫌ってくれた方が諦めもつくのに、またあの笑顔で声をかけられたら、忘れられるものも忘れられない。
なんでだろ。純ちゃんのことはあんなにすぐ忘れちゃったのに……。先輩のことは全然忘れられる気がしないや。
三木を好きになってまだ一ヶ月半。ひと夏の恋、と言っても過言ではないかもしれない。それほどにこの恋はまだ日が浅い。だが、今もまだ想いは強くなり続けている。
三木の笑顔や優しい声。高い背丈 や温もり。手から伝わってくる体温。三木と一緒にいて感じたすべてを、体中がまだ色濃く記憶しているのだ。晶は毎夜それらを思い出しては、全身で抱きしめるようにして眠りにつく。そうやって三木をいつも想った。
一方で、純との関係には気まずさが僅 かに残っている。花火大会の翌日、純に突然抱きしめられて告白されたのには、本当に驚かされ、ショックを受けた。もちろん嬉しくもあったが、晶の心が揺れ動くことは全くもってなかった。晶はすでに三木のことで頭がいっぱいで、純がそこに入る隙 はなくなっていたのだ。
純は付き合っていた彼女と別れて、ここ最近は晶に必要以上に構うようになった。やたらと部屋へ遊びに来たり、出かけようと誘われて、強引に街へ連れ出されたりもする。簡単に諦めるつもりはないと豪語していたから当然なのだろうが、やはりそうされても、晶に応じる気はさらさらなかった。
晶が一向になびかないことを、純は不満そうに日常的に口にした。ただし、もう彼は無理やり抱きしめようとしたり、キスをしようとすることはなかった。純は言った。「晶を力ずくで押さえつけたって気持ちがなかったら、意味がないんだよな……」と。
それを聞いた時、晶は純をちょっとだけ、見直した。それから、自分が純のどんなところを好きだったのか、久しぶりに思い出せたような気がした。ただし、それでも。もうかつて彼に恋をしていた頃の気持ちは戻ることはなかった。
先送りにしていた課題も何とか終わらせて、夏休み最後の日はもう今にも終わろうとしている。のんびりとした夕方、閉め切った窓の向こうからは、微 かにヒグラシの鳴く声が聞こえ始めていた。もう秋はすぐそこまでやって来ている。日の入りは確実に早まっていて、時計の針はもうすぐ午後六時を差すところだ。夕暮れ時の空は、街の向こうに沈んでいく太陽のせいで、真っ赤な色に染められていた。
今頃、先輩は何してるんだろう……。受験勉強の真っ最中かな……。それとも、誰かとデートでも行ってたりして。
秋の訪れを感じるせいか。ちょっとセンチメンタルな気分になってため息を吐 いた。だが、ちょうどその時、インターホンが鳴らされる。
「……また純ちゃんかなぁ」
今、この家には晶しかいない。起き出すのを面倒に思いながらも仕方なく体を起こし、部屋を出る。ふらふらと階段を降りて、玄関へ行って、扉を開ける。案の定、そこに立っていたのは純だった。
「やっぱり純ちゃんだった。何?」
安堵 と落胆が混じった、何とも複雑な気持ちで眉 を上げ、晶は彼を見上げた。またどうせ夏休み最後の夜だから遊ぼうだとか、ゲームしようとでも言うのだろう。高校生最後の大会では、見事優勝を飾り、スポーツ推薦で大学へ入ることがすでに決まっている彼は、「受験戦争」とは無縁だ。しかし、彼のその様子は明らかに遊びに来た風ではなさそうだった。
「純ちゃん、どしたの?」
「晶……、ごめん」
「は……?」
どんよりした暗い声で唐突に謝られて、晶は聞き返した。
「ごめんって……。急に謝られてもわけわかんないよ。何なの、突然」
「オレさ、ずっと考えてたんだ。やっぱりお前に謝らなきゃいけないと思って」
「何を?」
「花火大会の日の……」
「あぁ、もうあれはいいってば!」
けらけら笑って言ってやる。無理やり抱きしめられたことにも、キスをしようとしたことにも、純はとうに謝ってくれたし、晶もそれを許している。しかし、明るく笑い飛ばす晶に対して、純の声はあまりに暗かった。それは夏休み最終日だからというわけでも、秋の夕暮れのせいでもなさそうだ。晶は仕方なく純が話し出すのを待つことにした。
「晶。オレ、嘘吐 いたんだ。あの日……」
「嘘?」
「花火大会の、次の日。お前に――」
思わずヒュッと息を吸い込んだ後、笑みが自然と消える。花火大会の翌日。その日は純に、三木が晶をどう思っているのか、その真実を聞かされ、告白をされた日だ。
「……嘘って何それ、どういうこと?」
「三木がお前に迷惑してるって、言ったろ。あれ、嘘なんだ……。夏からずっと、三木とお前が仲良くしてるからオレ、嫉妬して……どうにかお前らが会わないようになればいいと思って……」
「何……。え、ちょっと待ってよ、じゃあ……」
声が震えた。顔は引きつり、体は強張 っている。その先を聞くのが怖かった。晶の様子を見て、それが伝わったのだろうか。純はすぐに頭を下げて、慌てた声で話し出した。
「晶、本当にごめん! オレ、あの時は三木に腹立てて、つい嘘吐 いたんだ……。だけどお前、最近三木と会わなくなってから、ずっと元気ないし、沈んでたろ……。それ見てたら、オレは何やってんだろうって……、本当にお前が言った通り、すげえかっこ悪いなって、めちゃくちゃ後悔してたんだ……」
今は謝罪されたところでどうしようもない。もっと言えば今、晶は純を責めることも、許すこともどうでもよかった。ただ、真実を知りたかった。
「純ちゃん……、じゃあ本当はあの日、先輩と何を話したの……?」
「お前のこと……三木に取られたくなくて、晶のことは諦めてくれって、頼んだ。あいつ、お前のこと好きそうだったからさ……」
先輩が、おれを好きそう――?
「そ……っ、それで……?」
「だけど、三木の奴、全然引かなかったんだ。俺も晶が本気で好きだから……って、そう言われた。ごめん、オレ、それですげえムカついて、焦 って――」
「嘘……」
「本当に悪かった……!」
晶はそれを聞いて、部屋着のまま、サンダルで家を出た。夕暮れ時とは言え、外はまだ昼間の暑さがそのまま残っている。秋を感じさせるのはどんどん暮れていく空と、ヒグラシの鳴く声くらいだ。晶は慌てて自転車に乗って、三木の家へ向かって全速力で漕ぎ出した。ケータイも財布も持って出なかったことを途中で思い出し、ちょっとだけ後悔した。三木が家にいなかったらどうしよう、どこへ行けば確実に三木に会えるだろう、と必死に頭を巡らせる。
「先輩……!」
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