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小さなすれ違い①/智の苛々

 外での「仕事モード」の蓮二さんの顔を、この日俺は初めて見た──  たまたま今日は早番の週で、帰りがけに買い物でもしていこうかと思い俺はスーパーに向かっていた。  俺たちの住むマンションは以前蓮二さんが一人暮らしをしていたアパートの近くで、同棲をするにあたって蓮二さんが出した条件というのが「これまで同様、勤務先の塾に近いところ」と「お互いの部屋の確保」だった。一緒に住むのに部屋……特に寝室は別じゃなくてもいいのでは? と俺は言ったんだけど、二人の生活リズムが合わないのだから寝るところは別がいいと真面目に言われてしまい何も言えなくなってしまったのを思い出す。現実的な蓮二さんと比べ、俺の方が同棲に夢見てるみたいでちょっと恥ずかしかった。今思えば蓮二さんの言う通りでよかったと思う。どれだけ好きでも一人になりたい時もあるのだから。  俺は帰宅時には決まって蓮二さんの勤務先の塾の近くを通ることになる。だけどどういうわけか今の今まで仕事中の蓮二さんの姿は見たことがなかった。まあ建物の中で仕事してるんだから当たり前か。 「凄え……何あれ別人じゃん」  思わずそんな言葉が溢れ出る。  蓮二さんは塾の入り口付近で中学生くらいの女子生徒とその保護者らしき女と立ち話をしていた。俺が見たことのない満面の笑みを浮かべ、身振り手振りも交えながら楽しそうにお喋りをしている。学習のことではなく見るからに雑談。声が聞こえなくてもよく分かった。  俺は訳もわからず複雑な気分のままスーパーに寄り、不足していた調味料と飲み物、それと弁当の材料を少し買い足し家に帰った。  最近蓮二さんとはすれ違いが多い。  自分も仕事先に新人が入ったこともあり、その教育係云々でイラつくことが増えた。蓮二さんも蓮二さんで、受験が近くなってるからかきっと生徒のことが気にかかるのだろう。喧嘩まではいかないまでも、お互い何となくイライラしていることが多いな、と感じ俺は少し気になっていた。  蓮二さんは普段から口数が少ない。それでも何年も一緒にいれば、言われなくてもわかるようなことばかりで、それを不満に思ったことはほとんどなかった。  だけど先ほど見かけた蓮二さんのあの顔……それは俺の知らない顔で、何とも言えない気持ちになる。 「仕事中はあんな顔して笑うんだな……」  こんな感情はきっとジェラシーみたいなものだ。こんなことで、と自分が女々しく感じ嫌になる。モヤモヤとした気持ちを切り替え、俺は明日の弁当の下準備を始めることにした。  そう、俺ってば自分の弁当のついでに蓮二さんの弁当も作ってるんだよね。偉くね? これは俺がやりたいからやっていることであって、蓮二さんに頼まれてしていることじゃない。  付き合い始めに蓮二さんから聞いた食生活に、これじゃダメだと思ったから。家事全般何もできない蓮二さんは料理ももちろんやったことがなかった。今までよく一人暮らしで生きてこれたな、と思うくらい。付き合う前に行った蓮二さんの部屋がきれいに片付いていたのは、きっと俺がいつ来てもいいように頑張っていたのだろう。そう思ったらちょっと嬉しい。本当の蓮二さんは自室の片付けもできない、ちょっと残念なところもあるんだ。  食事は栄養補助にゼリー飲料があれば十分だし時間の短縮にもなるから一石二鳥だと言ってのける蓮二さんに、なら俺が簡単につまめるものでも、と思って作るようになった。今では当たり前のように蓮二さんは俺の弁当を持って出勤する。これは所謂「愛妻弁当」ってやつだな。  帰宅した蓮二さんに「ごちそうさん」と空の弁当箱を渡されることに、俺はちょっとした幸せを感じていた。

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