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小さなすれ違い④/大胆な浮気

 仕事を終え、疲れた体を引きずり家路に着く。  智と会話がないだけで何をしても気が乗らずやる気が出ない。今日は智は帰ってるだろうか……玄関の扉を開けるとき、毎度そんな事が頭をよぎり俺はちょっとだけ緊張する。    今日もいつもと同じに玄関の扉を開け小さく「ただいま」と呟く。きちんと揃えられて置かれている智のスニーカーをぼんやりと眺め、今日は帰ってきてるんだな、と安心しながら靴を脱いだ。ここのところ忙しいのか飲み歩いているのかわからないが、智の帰りが遅く顔もろくに見れていなかった。 「……ただいま」  何故だかそこにある智のスニーカーから目が離せない。ぼんやりと湧くこの違和感は何なのだろう……そう思った瞬間、思わず「えっ?」と声が漏れた。  違和感の正体──  智のスニーカーだと思ったこれは智のではない。そもそも智の靴がこんなふうにきちんと揃えられて置いてあるのも違和感があった。俺の記憶が正しければ、この靴は智の持っているものとまるっきり同じ靴だ。色まで同じ、汚れ具合も同じ、違うのはサイズだけ……  どういう事だ? と一回りほど小さく感じるスニーカーをじっと見ていたら、突然耳障りな大きな声が降ってきた。 「あー! 智かと思ったら違うじゃん。って、ごめん! お帰りなさい!」  目の前にいたのは見知らぬ女。智の部屋にあったクッション片手に、リラックスしたルームウェアのようなものを着て俺の前に立っている。まるでここがこの女の家のように錯覚するほど堂々とした佇まいだ。 「そんなところで何やってんの? 早く入んなよ。仕事? お疲れ様ぁ」 「……あぁ」  この目の前の現実を受け入れられない。  何でこんなことになったのだろう。なれなれしいこの女は一体誰だ? 何で勝手に人の家に入ってる? 智もまだ帰ってなさそうだし、鍵はどうした? 俺は出て行くときちゃんと施錠していたはず……どうやって入ったんだ?     混乱した頭で状況を整理する。でも整理したところで全く意味がわからなかった。 「あーもう、智ったら何やってんだろう。あ、ねえねえ、これもらっちゃっていいよね? 智のでしょ? ウケる! めっちゃ入ってんじゃん。どんだけ好きなんだって。て、アタシもこれ好きなんだよね。鈍感だから一本くらいなくなっても気づかないよね」  女は冷蔵庫を勝手に開け、智が好きで常備している野菜ジュースのパックをひとつ取り出す。俺の返事を待たずに勢いよくストローを差し込むと、すたすたと智の部屋に入っていった。あまりの図々しさと太々しさに圧倒され、俺は何も言えなかった。それに部屋に入ってしまった不審人物に自ら話しかける勇気もない。もとより智とは面識があるのだろうから、完全な不審者というわけではないのだ。  揃いの靴。親しげな様子。智の好みまで把握して、我が物顔で俺たちの家にいるこの女。  認めたくないけどどうしても頭に浮かんでくるのは智とこの女の「関係」だった。智と同じくらいの年齢で気が強そうだけど小柄で可愛らしい見た目の女。よく見てないけど、着ていたルームウェアだって手触りの良さそうな布地で丈の短い男受けしそうなものだった。  智はああいうのが好みなのかな。同棲しているのは俺なのに……  何となく俺の方が部外者に感じられる。智とあの女の住処に俺が勝手に入り込んでしまったような錯覚。きっとこれまでだったらこんなふうには思わなかっただろう。俺に愛想を尽かし、関心すらなくなってしまった今、智が俺ではない誰かに気を向け始めているのもわからなくもない。それならそうと言ってくれればいいのに、こんな仕打ちはあんまりだ。智らしくない……  どんどん惨めな気持ちになる。いたたまれなくなった俺はそのまま黙って家を出た──  

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