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小さなすれ違い⑤/成り行き

「あれ? 滝島(たきしま)さん? 帰ったんじゃなかったんすか? 忘れ物?」 「あ……慎太郎(しんたろう)」  勢いで家から出てきたもののどうしたらいいのかわからず、何となく勤め先の塾に足が向かってしまった。もう遅いし誰もいないと踏んでたのに、塾に到達する前に道で声をかけられてしまった。 「いや、忘れ物……じゃないんだけど……えっと……」 「ん?」  俺に声をかけ、小首を傾げて不思議そうな顔をしているのは慎太郎。こいつは最近入ったばかりの新人の先生、何かというとすぐに俺に相談してくる可愛い後輩といったところか。可愛い、なんて言ったらまた智にうるさく言われそうだけど、頼られるのは悪い気がしないし嬉しく思う性分だから普段から気に留めてしまっていた。この男は今回の智とのすれ違いの原因と言ってもいい。きっとこういうのも智にとってみたら面白くないのだろう。仕事と恋愛感情は全く関係ないと言ったところで、気を悪くしているのは明白だった。 「滝島さん? 大丈夫?」  俺は明らかに挙動不審だった。頭の中がいっぱいいっぱいで、何からどう整理したらいいのかわからない。今まで生きてきてこんなに動揺したことはなかった。最愛の恋人とギクシャクした挙句に知らない間に他所に女を作られ、おまけにそいつに家を占拠されて居場所がなくなって飛び出してきたなんて、どう説明したらいいのかわからない。そもそも男の恋人がいるなんて口が裂けても言えやしない。俺はできるだけ心境を悟られないよう平静を装った。 「あ……ちょっと飯でも食いに行こうと……」 「え? メシこれからっすか? なら俺も一緒に行こっかな」 「ああ……うん」  咄嗟に口をついた言葉だけど、すぐに後悔した。腹なんてちっとも空いていなかったし、胸が苦しくてとてもじゃないけどそんな気分にはなれない。 「てか手ぶらっすね? 珍しい」  そのまま家を飛び出してきたから鞄も玄関に放ったままだった。所持品といえばポケットに携帯が入っているだけ。でも金は携帯で何とかなるから問題はない。どうしたものかと考えながら、仕事帰りでも何故だかテンションの高い慎太郎に連れられて、俺は近くのバルで食事をする羽目になってしまった。 「えっ……と、メシ食いにきたんですよね?」 「ああ、腹減ってないからいいんだ、これで。俺に構わず慎太郎は好きなの食え」 「いや、そう言われましても」  自分から「飯でも食いに──」なんて言っておきながら何も頼まずに酒だけ呷る俺を見て、明らかに怪訝な顔をする慎太郎。俺は平静を装うものの、もうどうでもいい気持ちになっていた。 「なあ、少しは何か食ったほうがいいって。滝島さん、最近体調もよくなさそうだし……」 「は? 俺はいつもと変わらない」  そんな自覚は全くなかった。慎太郎が言うには顔色も悪いし受け答えも以前と比べて覇気がない。俺の元気がないのは明らかで、ずっと気になっていたのだそう。俺は慎太郎の心配をして世話を焼いてやっているつもりが、逆に慎太郎に余計な心配をかけていたのかと、更に気落ちし投げやりな気持ちになった。 「はぁ、何やってんだか俺は……」

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