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第2話

 芳村探偵が狭い探偵事務所で考え事をしていた。おれは黙ってカウチに座り、茶をすすっていた。結婚どうとかの話を持ち出してから、芳村さんは考え事をよくするようになった。その様子は美形なせいで絵になっていたが、おれには不気味な沈黙にしか思えなかった。おい脳内でどんな展開をしてるんだ。もしかしてもう脳内では結婚式をあげているのか?  芳村さんとおれは、単なる雇用主と雇用者の関係だ。年齢は十ほど離れているだろうか。だがその関係はフランクなものすぎて、時々どちらが雇用主で雇用者が忘れてしまいそうになる。それもこれも、彼の気安い関西弁と性格も要因のひとつに思える。  おれは窓辺で考え事に励む芳村さんを眼鏡のレンズ越しに見た。  どの角度から見ても美景だが、横顔が特に美しい。三つ揃えのスーツをきっちりと着こなした姿は、男前すぎてぐうの音も出ない。畜生、美中年は得だな! 「……肇助手」  真剣な顔をして、芳村さんがこちらを向いた。おれは湯のみを手にしたまま、芳村さんを見詰めた。  芳村さんは万感の思いを込めるように言った。 「結婚し」 「おっと手が滑った」  反射的に手にしていた湯のみを投げつけてしまった。  湯のみは見事芳村さんの眉間に命中し、彼はその場にうずくまった。結婚式は脳内だけでやってろばか。  自分で言うのもなんだが、おれは温厚なほうだ。暴力沙汰は嫌いだし、できれば物事は円滑に進めていきたい。そして冗談にも理解がある。むしろ自分から冗談を飛ばすこともあるほどだ。  だが、この冗談だけは絶対に許せない。何があっても笑って流せない。雇用主であっても許せない。  なぜなら、おれは芳村さんのことが好きだからだ。友人としてなら何と楽で分かりやすいだろう。でもそうじゃない。ライクよりラブだ。これについてはおれの頭が可哀想というしかない。美形に誑かされたのだ。おれは悪くない。  真面目な話をしよう。  世渡りがお世辞にもうまくないおれは、大学を卒業したものの、就職できずにいた。途方に暮れて毎日公園のベンチで夕焼けを眺めていたところに、芳村さんが声をかけてくれた──という運命を感じさせる出会いでは決してなく、途方に暮れて公園のベンチに座っているおれの前で、芳村さんがぶっ倒れてくれたのである。あわてて助け起こしたときの最初の一言が、「腹減った」だった。仕方ないので牛丼をおごってやれば、これがまた妙にウマが合って……と、そこからは雇い雇われと今の状況に至る。  ……今思ったけど、このどこにおれが芳村さんに惚れる要素があったのだろう。ひどい話だ。しかも真面目な話でもなかった。  そういうわけで、結婚だのなんだのと冗談でも言って欲しくないのである。軽んじられているようで気分が悪い。まあ、芳村さんを見ているとおれの想いなんてかけらほども通じていないと思うけど。

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