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第2話 閨宿直―それは夜の記録係
僕は今、卓子 の繊細な螺鈿細工に目を落としながらお茶を頂いています。素晴らしい香りとほんのり甘みのある後味。そんな気はするけど、舌は痺れた感じがして正直味がわかりません。
実は、リァンさまは僕の幼なじみなのだ。彼女のお父上は現在、宰相の地位にある。いかつい強面な上、政策面で妥協を許さないことで有名なお人。貴族や皇族にも歯に衣着せぬ発言をするから、一部の貴族からは煙たがられているらしい。それでも、即位から日の浅い皇帝の信は厚く、大胆な改革が成功しているのは宰相のおかげとも言われている。
5年前、時の宰相に疎まれた僕の父が粛清されるまで、同じく大臣職にあった現宰相と父とはお互い親しく交流していて、子供だった僕らは屋敷でたびたび顔を合わせていた。
リァンさまはとびきり可愛くて楽しいお姉さまで、僕はよく遊んでもらったんだ。ちょっと難しい本を読んでくれたり、書斎に忍び込んで図鑑を片手に世界地図で旅行ごっこをしたり。思いのほか活発なお嬢さまだったから、屋敷の池や庭もよく一緒に探検したし、彼女の繊細な衣を泥で汚して怒られたりなんかもしたなぁ。
あの頃の僕は、家族に囲まれて勉強したり遊んだり何不自由なかった。自分もいずれは父の後を継いで国の中枢で働けると思っていて、それを疑いもしなかった。未来というものが、ただただ輝かしく見えていた頃だったな。
……久しぶりの楽しい記憶に頬がゆるんでいたらしい。
「ねぇ! 聞いてる?」
「はっ、はい!」
リァンさまの声に我に帰る。
父が粛清されたことはご存知だったけど、僕が肉刑を受けて宦官になったことはご存じなかった。いたく痛ましそうなお顔でこれまでの苦労をねぎらってくださったのは素直に嬉しい……けれど、こんな恥ずかしい体になってしまって、できれば見つかりたくなかったのが正直なところ。下働きに落ちた僕に、昔と変わらず気軽に話しかけて下さるのもいたたまれない。それでもばれてホッとしている自分もいて、身分違いに気を引き締めねばと思いつつも、久しぶりに温かい心地がする。
ところで、リァンさまは僕に頼みたいことがあってここに呼んだらしい。お咎めがあるわけじゃないと知って、胸をなで下ろす。
「ま、単刀直入に言うわね。しょーちゃんに閨宿直 をお願いしたいの」
ここでしょーちゃん呼ばわり?! って、突っ込みを入れるのはそこじゃない。
「はぁ? ね、閨宿直―――――?!」
説明しよう。閨宿直、それは……端的に言えば皇帝の夜の記録係である。夜の、って別に何時にご就寝になったとか寝言なんかの記録ではないの。閨事、つまり夜伽の女性との行為をつぶさに記録しなければいけないのだ!
いやそれ、普通は皇帝のお手つきになった侍女なんかがする役目なんじゃなかったっけ? 今イッた! とか観察しなきゃいけないの? 趣味悪っ……ていうかそんなこと、端から見ててわかるの⁈ 精通前に大事なもの取られちゃったから、僕には本当にわからないんだよ!
「無理です! というか適任ではありません! ぼ、僕はそういったことは全くの未経験ですから!」
何が悲しくて、幼なじみの可愛い女子、しかも正妃候補に童貞宣言をしなきゃいけないんだ! 経験もアレ本体もない年頃の(元)男に閨を見張れとは、どんな拷問だよ! 羞恥でぶるぶる震えながら即座にお断りする。
「だって、しょーちゃんが良いって陛下がおっしゃるんだもの!」
「いや、僕はただの下働きですから! そのようなお役目は、経験豊富な方を充てねば用をなしません!」
「もうね、決定事項だから!」
「いや、どなたが決定されたんです?! 抗議します」
「陛下と私!! 抗議は却下よ」
「えええええぇーーーーーー」
「とりあえず、今晩からお願いするわね!」
「えっ、えっ、えええええーーーー」
抗議の雄叫びを上げる僕を横目にリァンさまが立ち上がる。つられて僕も立ち上がるけど、悲しいかなリァンさまの方が背が高い。見下ろす視線と迫力のお胸に気圧されて二の句が継げない。
「夕刻には迎えを行かせるから安心してね! よろしく~」
彼女は僕に向かって扁桃 型の大きな目を片方だけパチリと閉じて、ひらひらと手を振ると侍女に目配せする。
それを合図に、呆然と立ち尽くす僕を、侍女たちが押し出すようにしてさりげなく退室させる。
その後、自室のある棟までどうやって帰ったのか、記憶がない。
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